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2026年5月10日 (日)

今日の我孫子のお宝歴史探し - 水戸街道を求めて

「お母さん、行ってきま~す!」

「行ってらっしゃ~い。
きよさん、楽しんできてね~♪」

母の明るい声に見送られ、
まだまだ十分に明るい午後の5時頃、
今日もまた、ここ我孫子の街に隠れた歴史探しへ出かけた。

今日見つけたいお宝は、石碑。

そこには、「水戸街道」と書かれているはず。

その石碑がある場所を母から聞いたときは、何となく分かった気でいたけど、いざ、その付近に到着してみると見つからない。

あの道、この道と歩き回り、
一度通った道も、もう一度確かめるように歩いてみるけど、やはり見つからない。

何だか足が疲れてきて、
気がつけば暗くなってきたので、
この日は諦め、翌日、母と一緒に出直す事にした。

ここ我孫子(あびこ)の街が
「水戸街道」上にあったことは書籍に記されている。

でも、そのことをどうしても私の目で確かめてみたい。

なぜ、水戸街道が私の中で盛り上がっているのか?

それは、水戸街道なしには、
この街の歴史を語る事ができないことに加え、「街道」というキーワードから、シエナと我孫子を、私なりの視点で比較する事が出来るからだ。

遡ること、1603年。

徳川家康が関ケ原の戦いに勝利し、将軍になると、江戸幕府(徳川幕府)を開いた。

家康は、各地の大名が力を蓄え、
江戸に攻め入ることを防ぐため、
大名が定期的に江戸を訪れる
「参勤交代」という仕組みを作った。

地方からくる大名の行列は、
その規模によって人数もさまざまだが、
移動費や滞在費には膨大な出費と体力が費やされる。

その結果、江戸幕府に反乱を起こす余力を奪う仕組みでもあった。

江戸幕府から約120km離れたところに、水戸がある。

もし、敵が攻めてくるとしたら、水戸を通る可能性が高い。

それゆえに将軍は、水戸に厚い信頼を置ける人物を配置し、防衛の要としての役割を重視した。

水戸街道とは、そんな水戸藩の大名が江戸(現在の東京)を往復するために整備された街道で、後に、この街道は商人や旅人にも使われるようになり、ここ我孫子の街は、宿場町として、宿や店などが並び、栄えていった。

この節を読みながら、
「そうそう!」と心の中で声を弾ませた。

シエナも、イギリスのカンタベリーからローマを繋ぐフランチェージナ街道上にあり、ここで巡礼者は、休憩をとり、両替をしたり、病院で傷を癒したり、貴重品を預けたりと・・・長旅の途中で休憩する大切な拠点とされていた。

そして、巡礼者に留まらず、
商人も使用し、異国から入るモノや情報の交換が行われていた。

フィレンツェ軍が責めてくる事を事前に察知するため、シエナ郊外には、防衛機能を備えた塔も、いくつも配置されている。

さて、我孫子に話を戻すと、
約250年続いた江戸幕府は1868年に幕を閉じ、参勤交代もなくなった。

そして、約10年後には、我孫子駅が誕生し、人は、電車を使って移動するようになり、街の風景や賑わいも変わっていった。

シエナも同じく。

1964年に、ミラノ〜ローマ〜ナポリを結ぶイタリア縦断ルート「太陽の高速」と呼ばれる高速道路が開通し、経済の成長と共に、それまで使われいてたフランチェージナ街道はどこか色褪せていった。

しかし、シエナには、当時の痕跡を残そうという姿勢が、今もなおまだ生き生きと息づいている。

市はフランチェージナ街道の道標を掲げ、
観光案内所ではルートマップを無料配布し、
民間でも、愛好者による説明会が開催され、
その話に触れようと足を運ぶ市民も多い。

今でも、シエナのサンタ・マリア・デッラ・スカーラのフレスコ画をみると、当時の巡礼者の様子を感じ取ることが出来る。

1999年、シエナ大聖堂(ドーモ)の修復作業中には、長い間埋もれていた地下空間が発見され、そこには、13世紀頃の非常に保存状態の良いフレスコ画が現れて大きな話題になったが、そこの壁に切り込まれた手の形をなぞった落書きや楽譜などから、巡礼者たちの休息所だったのではないか?とも推測されている。

シエナが巡礼者を、慈悲と厚いホスピタリティーをもって迎え入れたことが一目瞭然だ。

一方、我孫子の場合はどうかというと???

歩いても歩いても、街道の痕跡を見つける事が出来ないほどに、市も、市民も、この土地の歴史を残していこうという意気込みや活動が感じられない。

残念ではあるが・・・

情報もサービスも容易に手に入れられる時代に、
こうして一つ一つ、
自分で探しながらストーリーを組み立てていくのも、
自分だけの宝探しのようで楽しいな!
と感じる今日この頃です。

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