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2026年4月

2026年4月30日 (木)

だから今日も、庄屋で一人のみ・・・

イタリアから持ち帰ったコンピュータの様子がおかしくなってきた。

3分ほど作業をしていると、
勝手に電源が落ちてしまう。

イライラした気分から逃れたくて、
コーヒーを入れにキッチンに行った。

「お母さん、
 コンピュータの電源が落ちちゃうのよ。
 これじゃ、落ち着いて文章もつづれないし、
 ネットショッピングもできない。
 何も出来なくてイライラしちゃう・・・」

すると母は一言

「そっか~。生きてるってことだな」

と言った。

確かに。

イライラした気持ちはマイナスの感情だけど、
生きているからこそ味わえているわけで、
その生きてることへの感謝が、
イライラの中和剤のように入り込んでほんの少し落ち着いた気持になった。

気を取り直し、昔、母が使っていたコンピュータを引っ張り出した。

立ち上げやクリックの反応に異常に時間がかかるけど、何とか使えて、この投稿もこのコンピュータで打っている。

私のコンピュータに関しては、
ネットでバッテリーを注文したので、
届いたら取付に挑戦してみようと思う。

その日の夕方、今度は母が慌てた声を上げた。

「きよさ~ん、ちょっと、ちょっと!」

「どうしたの?」

「見て!この本ね、
 ほら、ページがどんどん外れちゃうの」

図書館で借りてきた本を読んでいたら、
糊付けが弱っていたのか、
途中からページをめくる度にがハラハラと切り離されてしまう。

「これ、お母さんのせいにされたらどうしよう?
 ねえ、すぐに図書館に電話して説明をしてくれる?」

これくらいで慌てちゃうなんて、大袈裟だな・・・

と思いながらも、図書館に電話をして状況を説明した。

図書館の方は

「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでた」

と丁寧に対応してくれて、
その事を母に伝えたが、すっきとしない様子だ。

そんな母に

「驚いたね。これも、生きてるってことよ!」

という気になれない。

「なんだったら、これから本、返却してこようか?
 今、電話口に出てくれた人もいるわけだし」

と言うと、

「そうしてちょうだい!」

と一つ返事が返ってきた。

返却期限はあと、10日以上ある。
そして、強い雨が降っているが、
「私のせいじゃないのに・・・びっくりしちゃったよ」と繰り返されるほうが面倒なので、図書館に向かった。

歩き出してすぐ、
靴下がどっしりと濡れていて気持ち悪い。

図書館で返却すると、
そのまま家に向かわず、庄屋に向かった。

そして、スマホを取り出し、
ユーチューブのジャズピアノ講座をつまみに、日本酒を飲んだ。

ジャズピアノ講座を飲みながら酒を飲むことの楽しさを覚えてしまった!

困った人に寄り添うとき、
一番効くのは、問題を取り除いてあげること。

「生きてるってことだよ!」
などの励ましの言葉は、
気の利いたアドバイスになることも多い。

でも、実際に自分の時間と労力を費やして、
相手の心情的な問題を取り除いてあげることに比べると、雲泥の差がある。

翌日、また、キッチンから母の声がする。

「きよさ~ん、
 図書館に早めに返さなければいけない本、
 どれだっけ?」

いつもだったら、すぐに駆けつけるところだが、あえて突き放してみた。

「お母さん、ゆっくりと自分で確認してみてね」

そう返答したのち、
お茶を入れるふりをして、キッチンに行き、

「お母さん、本の件、分かった?」と聞いてみたら、

「うん。この2冊が返却日が最初なの。
 それでね、あそこに置いた本が、後から借りてきた本よ!」

と自信満々に説明してくれた。

少し突き放しながらも、どこかでフォローする。

82歳の母、そして57歳の私にとって、
このパターンがストレスが感じないとわかってきた今日この頃。

そして今日も、庄屋さんに一人のみに行ってきま~す!

 

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だから今日も、庄屋で一人のみ・・・

イタリアから持ち帰ったコンピュータの様子がおかしくなってきた。

3分ほど作業をしていると、
勝手に電源が落ちてしまう。

イライラした気分から逃れたくて、
コーヒーを入れにキッチンに行った。

「お母さん、
 コンピュータの電源が落ちちゃうのよ。
 これじゃ、落ち着いて文章もつづれないし、
 ネットショッピングもできない。
 何も出来なくてイライラしちゃう・・・」

すると母は一言

「そっか~。生きてるってことだな」

と言った。

確かに。

イライラした気持ちはマイナスの感情だけど、
生きているからこそ味わえているわけで、
その生きてることへの感謝が、
イライラの中和剤のように入り込んでほんの少し落ち着いた気持になった。

気を取り直し、昔、母が使っていたコンピュータを引っ張り出した。

立ち上げやクリックの反応に異常に時間がかかるけど、何とか使えて、この投稿もこのコンピュータで打っている。

私のコンピュータに関しては、
ネットでバッテリーを注文したので、
届いたら取付に挑戦してみようと思う。

その日の夕方、今度は母が慌てた声を上げた。

「きよさ~ん、ちょっと、ちょっと!」

「どうしたの?」

「見て!この本ね、
 ほら、ページがどんどん外れちゃうの」

図書館で借りてきた本を読んでいたら、
糊付けが弱っていたのか、
途中からページをめくる度にがハラハラと切り離されてしまう。

「これ、お母さんのせいにされたらどうしよう?
 ねえ、すぐに図書館に電話して説明をしてくれる?」

これくらいで慌てちゃうなんて、大袈裟だな・・・

と思いながらも、図書館に電話をして状況を説明した。

図書館の方は

「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでた」

と丁寧に対応してくれて、
その事を母に伝えたが、すっきとしない様子だ。

そんな母に

「驚いたね。これも、生きてるってことよ!」

という気になれない。

「なんだったら、これから本、返却してこようか?
 今、電話口に出てくれた人もいるわけだし」

と言うと、

「そうしてちょうだい!」

と一つ返事が返ってきた。

返却期限はあと、10日以上ある。
そして、強い雨が降っているが、
「私のせいじゃないのに・・・びっくりしちゃったよ」と繰り返されるほうが面倒なので、図書館に向かった。

歩き出してすぐ、
靴下がどっしりと濡れていて気持ち悪い。

図書館で返却すると、
そのまま家に向かわず、庄屋に向かった。

そして、スマホを取り出し、
ユーチューブのジャズピアノ講座をつまみに、日本酒を飲んだ。

ジャズピアノ講座を飲みながら酒を飲むことの楽しさを覚えてしまった!

困った人に寄り添うとき、
一番効くのは、問題を取り除いてあげること。

「生きてるってことだよ!」
などの励ましの言葉は、
気の利いたアドバイスになることも多い。

でも、実際に自分の時間と労力を費やして、
相手の心情的な問題を取り除いてあげることに比べると、雲泥の差がある。

翌日、また、キッチンから母の声がする。

「きよさ~ん、
 図書館に早めに返さなければいけない本、
 どれだっけ?」

いつもだったら、すぐに駆けつけるところだが、あえて突き放してみた。

「お母さん、ゆっくりと自分で確認してみてね」

そう返答したのち、
お茶を入れるふりをして、キッチンに行き、

「お母さん、本の件、分かった?」と聞いてみたら、

「うん。この2冊が返却日が最初なの。
 それでね、あそこに置いた本が、後から借りてきた本よ!」

と自信満々に説明してくれた。

少し突き放しながらも、どこかでフォローする。

82歳の母、そして57歳の私にとって、
このパターンがストレスが感じないとわかってきた今日この頃。

そして今日も、庄屋さんに一人のみに行ってきま~す!

 

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2026年4月27日 (月)

価格が戻らないなら、私も食生活を戻さない!

朝の7時過ぎ、「お母さん、おはよー!」
と母に呼びかけると、
ソファーで本を読んでいた母も
「きよさん、おはよー」と振り返った。

「あれっ? お母さん、どこか行くの?」

「ん、どこにも行かないよ」

「え~? カーラー巻いて、
 口紅なんてつけちゃって・・・・」

「フフフ。マスクするようになってから
 ご無沙汰してたけど、
 ちょっとは心がけないとね」

2日前に82歳の誕生日を迎えた母だが、
最近、また若返ったような気がする。

日常の空間で、音楽や本、花を愛で、最近では、自分自身へのこだわり取り戻し、朝の散歩やちょっとしたお洒落も楽しむようになった。

「お母さん、朝ごはん何が食べたい?
 ご飯? それともパン?」

「そうだな~、
 昨日みたいに、おじやがいいな~
 色々な野菜入れて」

母は、昨年の10月から1か月の間、
入院先生活を送っていたが、
その病院で出された朝食のお粥がきっかけで、今でも朝食には、柔らかいご飯を食べるようになった。

冷凍庫から茶碗一杯分のご飯を取り出し、
野菜室からも適当にいくつかの野菜を取り出す。

それを小さく切って鍋に入れ、
適当に水を入れて温める。

仕上げに溶き卵を流し込んで、完成。

茶碗一杯分のはずだったご飯が、
二つのお茶碗に、大盛になって、
結果的にはボリューム朝ごはんとなった。

物価が高騰し、
毎日の食費が大変だと、誰もが言う。

40%OFF や半額セール等の赤札チェックは習慣化され、私も、よくまとめ買いをするようになった。

そうやって、プライスダウンの商品を探す他、食生活で言えば、ある食材を減らし、でもボリュームと栄養はアップした料理をするようになった。

今回のおじやも、そう。

ご飯の量は半分にするが、
その埋め合わせとして、今日は、
大根、小松菜、ネギ、生姜を少々、溶き卵を入れる。

ランチはハンバーグをメインにしたが、
300円で買ったひき肉に、卵、パン、玉ねぎ、昔から冷凍してあったパルミジャーノチーズを加えたら、大きなハンバーグが4つも作れてしまった。

野菜はスーパーではなく、
農家から直に仕入れている小さな八百屋さんで買う。

ちなみに、この前の買い物では、
大根1本、キャベツ1玉、セロリ、生姜、えのき、新玉ねぎ、ネギ3本を買って、千円でお釣りがくるほど安く買えた。

そして何よりも、鮮度がいい!

昔は、値上がりというと、
10円、20円と徐々に上がっていき、
また、売る側も申し訳なさそうな態度を示してくれたが、今では消費者の顔色などお構いなく、グングンと登っていく。

《コロナだからしょうがない》

《ウクライナ戦争の影響を受けているからしょうがない》

《円安だからしょうがない》

そして
《ガソリン不足だからしょうがない・・・》

でも、私たちは知っている。

これらの要因が落ち着いたとしても、
一度跳ね上がった価格は元には戻らないことを。

なら、私も、言ってやりたい!

「お米やお肉、出来合いのお惣菜の価格が20%、30%と上がっていくならば、それらの量を20%、30%減らし、その分、豆や野菜でボリュームを補います」と。

節約の知恵で身についた食生活の工夫は、
健康面で利益を出してくれている。

「だから、元の食生活には戻りませんよ~っ」と♪

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普通の日常に、一振りの香り

今朝、歯医者に行く時間には
雨がしっかりと降っていて、
歯垢の掃除を終えて帰る頃には、
更に強風にもあおられ、
靴もパンツもずぶ濡れになってしまった。

家に着くや否や、友達にメッセージを入れ、
午後の約束を明日に延ばすことにした。

約束がなくなったフリーな午後。

パソコンに向かってブログを綴っていると、
ふと、香水に目がいき、シュッと腕にひと吹きしてみた。

それと同時に、別の部屋にいた母が、
「あっ、香水の匂いだ!」と声をあげた。

様々な種類の香水があるけど、
私は、ゲランのMITSOUKOが好きだ。

奥深く複雑なスパイス香と、果実のニュアンス。

面白いことに、私の好きなワインにも、
よく、このようなヒントが感じられる。

私がMITSOUKOを始めた買ったのは、20歳の頃。

学生時代、有楽町駅にあった「ピーターパン」という喫茶店で短期間だがアルバイトをした事があった。

その店の女性オーナーが着けていたのがMITSOUKOで、それを真似したのがきっかけだが、そのころは、今のように香を味わう事もなく、バブル作法の一つとして、ただ、身につけていただけだった。

57歳。

ようやくMITSOUKOと意気投合できてきたような気がする・・・

イタリアに渡り、すぐにワインの仕事に就いたので、長いこと、香水とは離れた生活をしていた。

ソムリエにとって、香水はタブ―なのだ。

でも、ワインの仕事を手放した今、
また、香水が生活に香だした今日この頃です・・

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2026年4月26日 (日)

国柄が出てるオチ話

キッチンに行くと、リビングでは母がソファーに仰向けになって本を読んでいた。

いつものように、両手で本を高く掲げたまま
長時間 読み続ける母を見て、
(よく、腕が疲れないもんだな…)
と感心してしまう。

コーヒーを準備している間、
母の笑い声が聞こえてくる。

そして、コーヒーを母のもとへ運ぶと、
母は満面の笑みで、また「ふっ」と鼻で笑うもんだから、私もつられて笑ってしまった。

「お母さん、何、読んでるの?」

「これさ、面白いんだよ~。
佐藤愛子さんの本。
三越のデパートでトイレに入った時の話が書いてあるの。

今時のトイレって、どうやって水を流していいか分からなくて、
紐をひっぱってみたんだって。

そしたら、それは非常呼び出しのアラームで、
係員の女性が慌てて駆けつけて来たんだって!

実はお母さんも、
これと同じ事、やった事があるんだよ。

直ちゃんと一緒にイタリアに行った時にさ、
トイレの流し方が分からなくて、
紐を引っ張ってみたの。

そしたら、直美が
(お母さん、何やってるの!それ、非常呼出だよ!)
って、怒るんだよ。

でもね、暫く経っても、誰も来なかった!」

母は、当時を思い出して笑い、
私は、非常呼出装置を引っ張ったのに、
誰も現れなかった、という何ともイタリアらしいオチに笑ってしまった。

そういえば、ちょうど1週間前。
とある有名カフェメーカーで働くイタリア人から、
こんな話を聞いたばかりだった。

「30年前、出張で東京に行ったんだ。
イタリア大使館に勤めていた友達がいてね、
彼と一緒に、東京のイタリアレストランで食事をして、
最後に、カフェ ・コン・ モスカを注文したんだ」

(ここで、注釈)

カフェ・コン・モスカとは、
直訳すると、ハエ入りコーヒー

もちろん、珈琲にハエが入っているわけではない。

エスプレッソにコーヒー豆を数粒浮かべるスタイルで、その黒い豆が「ハエに見える」ことから、そんなユーモラスな名前が付いている。

「注文した後、
なかなかコーヒーが運ばれてこなかったから、
友達が席を立って、様子を見に行ったんだ。

そして、彼は笑みを浮かべて戻って来て、
こう言ったんだ。

二人のカメリエーレが議論してるよ。

一人は、豆の割れ目は上向きに浮かべるべきだと言い張ってて、もう一人は、いや、下向きだ、と言い張っている…」

これも、なかなか日本人らいしオチだ、と笑ってしまった!

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2026年4月25日 (土)

アンティークの銀のスプーン

シエナでは毎月1度、アンティーク市場が開かれる。

4月の市場では、銀のスプーン
(推定1890~1920年もの)を4本 調達できた。

どれも長い年月を経てしっかりと黒ずんでいる。

それを、アンティークならではの風合いと捉え、
そのまま大切にする人もいるらしいが、
私は磨いて、本来の輝きを取り戻してあげるのが好きだ。

アンティークのカトラリーだったら
何でもいいというわけではなく、
フォークやナイフにはあまり興味がない。

私が惹かれるのは、専ら小さなスプーンのみ。

アイスクリームやケーキ、カフェや紅茶に使われていた小さなスプーンから、どこか、当時の幸せ時間が漂ってくるような気がする。

調べてみたら、ヨーロッパでは銀のスプーンを幸福と豊かさの象徴とみなしたり、悪い運気を遠ざけるおまじないの品としていたり...何かとラッキーなアイテムとして扱われていた事が綴られている。

磨いてみたら、こんなに綺麗に蘇りました!

これからも、少しずつ集めて
いつの日か、皆様にもお分けしたい!
と密かに考えてます。

甘く美味しい時間をすくってきた銀のスプーン。

そんな優しいエネルギーが、
皆様の日常にも受け継がれますように・・・

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庄屋で読書

図書館でジャストに求めていた本に出合えた。

これから2週間は私の手元に置けるけど、
すぐに読みかかりたくて
図書館前のバス停でバスを待つ間も、
バスに乗り込んでからも読み続けた。

そして終着駅で下車すると、
迷うことなく居酒屋に向かい、カウンター席に着いた。

平日の16時。

高齢客が少しいる店内には、
飲み屋独特のアグレッシブな賑わいはない。

そして、本と一緒だと、飲み屋であろうが、
まるでカフェにいるかのように居心地がいい。

卓上には、4月限定のメニューが置かれている。

そこに書かれた酒の名前を見た途端、
迷わずそれを注文した。

静岡産の特別本醸造 夢仕込み「開運」。

なんと縁起のよい名前なんだろう!

1872年(今から154年前)に創業した酒蔵「土井酒造場」が、小貫の地の発展を祈願して、この名前をつけたそうだ。

つまみは同じく限定メニューから「カツオのサラダ」を選んだ。

今回は少し長めの日本滞在で、
ほぼ毎日のように、庄屋に通う予感がしている。

日本酒はカロリーが高く、肝臓にも負担がかかるから、
せめてつまみは、ヘルシーなものを選ぼう、と決めた。

店長がグラスと一升瓶をもってきて、
目の前でトクトクと酒を注いでくれた。

並々と注がれた開運を一口。

ん~ッ! 美味しい。

トロピカルな果実がぎっしりと感じられるようなニュアンスがあって、イタリアワインに例えるとしたら、北イタリアの洗練された響きがある白、というよりも、南イタリア(カンパーニャ州)の白って、感じがする。

店長がまたやって来て、
「はいっ、和らぎです」と笑顔で水を置いていった。

お酒を飲む際、深酔いしないようにと添えられる水を「やわらぎ水」と呼ぶ事を始めて知った。

日本酒文化と深く結びついた呼び方が面白い!

さて、お目当ての本を開き、
2ページほど読み進んだところで、
入口のドアがガラガラと開き、
80歳前後の老人が入って来た。

すぐに、若いアルバイトの女性が現れると、
老人は「おむすび2つ。タラコね。そして、焼き肉弁当。持ち帰るんだ」と言った。

その言い方はあまりにも口語的で、発音が聞き取りにくい。

一方、アルバイトの女性は新人らしい。
日本語を上手に話しているが、東南アジアからの留学生だろうか?
一生懸命、丁寧に対応しようとしている。

「おむすび・・・」。
 
「あのね、おにぎりが食べたいの。タラコで」

「あっ、はい。ご注文を繰り返します。
 おにぎり2つとタラコ。合計3点て宜しいでしょうか?」

「いや、違うよ!おにぎり2つだよ。タラコで。
 あと、焼き肉弁当ね」

「えっと・・・焼肉弁当ですか?」

「そうだよ。この店にあるんだよ、そういうの」

「あっ、はい・・・」

そんなやり取りに気づき、店長がやってきた。

「あ~、お父さん、こんばんは。
 焼肉弁当って、生姜焼きの事ですよね?」

「それそれ。それをテイクアウト。
 また10分後に戻ってくるからさ」

「了解です。タラコのおにぎり2つと生姜焼き、
 ご用意しておきますね」

「うん。じゃ、また来るからね」

そう言って老人は右手を軽くあげ、店を出て行った。

こういう会話をつまみに酒を飲むと、
酒がより美味しく感じられる。

カツオのサラダも到着。

最初のうちは美味しく感じられたけど、
次第に飽きてしまった。

というのも、ドレッシングの甘酸っぱいポン酢の味が強すぎて、
カツオ本来の味が感じられない。

若い頃は、醤油、中華だし、白だし、甘じょっぱいドレッシングなどの調味料が使用された濃い味つけを美味しく感じていたけれど、
今となっては、最初の一口で飽きてしまうようになった。

その代わりに、大葉やミョウガ、生野菜、刺身、焼き魚等、
素材そのものが持つ風味が感じられる食事には、感動がある。

日本酒があまりにも私のタイプだったので、
お代わりをしたい気持ちが何度も押し寄せたけど、
1杯を飲み干したところで、席を立った。

お会計は二千円なり。
 
金額も、滞在時間も、体の調子も、
日常生活のワンシーンとして収まっている。

これからも庄屋に16時に入店して、17時前には席を立とう。

実家がある我孫子は、高齢者が多い町なので、
口頭で注文する店が多いし、支払いも現金払いをする人が多いから、つり銭を確認する店員の声も聞こえてくる。

今の時代、様々な事が充分に機能している。

だから、これ以上の便利さ、迅速さを狙った機械化は、私には必要ない。

人の声が自然と耳に入ってくる街に、
居心地の良さを感じる今日この頃です。

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2026年4月22日 (水)

正しい情報のチューニング

空港に近づくにつれ、
どんどんと気持ちに落ち着きが広がって、
空港に到着した今、
とても穏やかな気持ちで投稿を綴っている。

昨日の午後、
シエナの国鉄駅から電車に乗って、フィレンツェに向かった。

HITCHIと書かれた新しい電車になって久しいが、
車内の席には余裕があり、スーツケースがあっても快適だった。

近くにはトイレがあるけど、
嫌な臭いが漂ってくるわけでもなく清潔だ。

時刻表どおりに出発。

フィレンツェに到着すると、
待ち時間を味わう事なく、トラムがやって来た。

それに乗って、ホテルのある駅に向かった。

下車し、徒歩1分で宿に到着。

初めて泊る宿で事情が分からなかったけど、
隣には、エッセルンガという大きなスーパーマーケットがあったので、チキングリルとパンとビールを買い、部屋でニュースを見ながら気楽に夕食をとった。

シャワーのお湯も問題ない。

今朝、また、トラムに乗って空港に向かった。

トラム代は、1.70€。

タクシーを使って空港に行くと、最低でも20€はするので、とても得した気分だ。

空港に到着し、出発ボードを確認。
キャンセル便はなく、全て通常運行だ。

荷物を預け、ゲート内で珈琲を飲んだ。
自販機の珈琲だけど、十分に美味しい。
ちなみに、値段は1.30€。

そうそう、これも是非、伝えたい!

今回、宿泊した宿の料金は、市への税金込で、48.65€。

こんなに空港に近くて、駅からも近く快適なのに、50€以内に収まってしまった。

今、空港で口中に残るコーヒーの余韻を時々感じながら、穏やかな気持ちでこの文章を綴っているが、渡航日から遠くあった私の気持ちは、どこか落ち着かなかった。

下調べをしようと思うと、
なぜか、マイナスな情報にチューニングしてしまう。

ガソリンの事情で飛行機がキャンセルで飛ばない、と解説するユーチューバー。

物価高で、何もかも狂ってる、と訴えるユーチューバー。

あるイタリア人女性は
「飛行機、大丈夫なの?」と私に言ってくるので、
「大丈夫」と答えると、続けて
「でもさ~、世界で起こってる事なのよ?大丈夫じゃないよ」と話題を続けたがる。

でも、こうして実際に動いてみたら、
不安の要素が一つ一つ、消えていった。

昨日のニュースでは、
EUの運輸担当委員アポストロス・ツィツィコスタス氏が、EUの運輸大臣会議の後の記者会見で以下のような事を述べていた。

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中東で今後3か月、4か月、あるいは5か月の間に何が起こるかは分かりません。しかし、訪問者を守るための航空輸送に関する権利や仕組みがあることはお伝えできます。
もしフライトがキャンセルされたり、大幅に遅れたりした場合、乗客には分かりやすい情報の提供、サポートやケアを受ける権利があります。
また、払い戻し(返金)か、目的地までの別の便への振り替えを選ぶこともできます。
EU(ヨーロッパ連合)の乗客の権利に関するルールに基づき、保護はすべてのEUの空港から出発する便に適用されます(航空会社がどこであっても関係ありません)。また、EUの航空会社が運航するEU到着便にも適用されます。

=======

時々、「あなたの事を心配して言ってるのよ」
という節を使って、結果的に、相手に不安を感じさせる情報を口にする人がいる。

数日前、バス停でふと出会った大学生のソフィアちゃんは違っていた。

彼女に「日本行の飛行機が心配なの」と伝えると、
彼女は落ち着いて「大丈夫よ。大手企業は、渡航者を危険にさらすような事はしない。ちゃんと手をうってくれてるはず」と返答してくれた。

その短い言葉から、彼女の賢さが伝わって来た。

ある人は、自分の内面に潜む不安な気持ちを、相手の事情に絡めてくる。

ある人は、相手の心配を取り除くような意見をくれる。

私は後者でありたい、と思った今日この頃です。
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2026年4月19日 (日)

2026年4月19日 動画日記

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完全ではない潔さ

数日前、シエナの歴史に関する本の出版記念講演に出席した。

その締めくくりに、写真を担当したGigi Lusiniが短いコメントを残した。

彼は壇上に上がると、
どこか申し訳なさそうに、控えめにマイクを取った。

「私は本当に、言うことがほとんどありません。
  写真を撮る人は、写真で語るべきだと思っています。
 できるなら言葉ではなく、その一枚そのもので。
 時には、写真も文学のように“語る”ことができる。
 つまり、写真は何かを伝えるために撮られるのであって、
  単なる記録ではないのです……」

さらに、こんなことも言っていた。

「人工知能のようなものと、写真はまったく別物です。
  違いはすぐに分かります。
 AIには“心”が欠けているからです。
 もし、あまりに美しく、あまりに完璧な写真を見たら、
 それは心が欠けているのです。
  私たち人間は、完璧ではありませんからね……」

その言葉を聞いたとき、不思議と腑に落ちた。

本来、人間は不完全な存在だ。

だからこそ、私たちの手から生まれるものにも、
“完璧”は宿らない。

一方で、コンピュータは簡単にそれを整え、
隙のない仕上がりを作り出してしまう。

けれど、そこにはどこか、心がない。

思えば私は、 「どれだけ美しく整えられるか」
ばかりを軸にして、 コンピュータで処理を重ねてきた気がする。

その奥には、 その場の空気を誰かと共有したいという気持ちと同じくらい、 あるいはそれ以上に、 「これを発信している自分の姿、環境を認めてほしい」という、 自分のエゴがあったのかもしれない。

そんな思いで手を加えたものは、
たしかに美しくはあるけれど、 どこか薄く、心が通っていない。

年配の職人の言葉に、 深みや面白さを感じるのは、 きっとそこに“人の不完全さ”が滲んでいるからかな・・・

なんてぼんやりと考える今日この頃です。

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2026年4月15日 (水)

ヘラオオバコがいっぱい!

この前の日曜日のイベントで、
羊の移牧と野草について学んだので、
今日の散策では、自然と足もとに生える草に視線が向いてしまった。

今まで気づかなかったけれど、
本当にあちらこちらにヘラオオバコ(ピアンタジーネ)が生えている!

この野草については、
この前の日曜日に“野生のハーブの専門家”であるクラウディアさんから聞いた話がとても面白かったので、シェアします

🧑クラウディアさん

ヘラオオバコは食用・薬用など様々な面で見ても、
非常に多目的に使える草で、
農民文化ととても密接に結びついている植物なんです。

特に、傷を治す特性については、
応急処置としての即効性があるので、
「農民の絆創膏(チェロット)」や
「羊飼いの絆創膏」とも呼ばれていました。

羊飼いたちが移動の途中にいるとき、
近くに獣医や誰かがいるわけではないので、
これが彼らにとっての大切な解決策でした。

使い方もさまざまで、
葉を噛んで、その噛み砕いたドロドロの塊を傷口に直接当てることもできるし、あらかじめ少し押しつぶしてから包帯のように使うこともできます。

広い範囲の傷には、
この葉で包帯を作って固定することもありました。

寝る前に目の上に置いて包帯を巻くと、
翌朝には目がしっかり休まり、
とてもリラックスした状態になるんですよ!

こうした使い方は、ほんの一例に過ぎません。

きっと他にもたくさんの方法があるのでしょうが、
傷ができたときには、この植物は“まず最初に手に取られる存在”でした。

食用としても、いろいろな食べ方があるんです。

例えば、ペスト(ソース)にするのもおすすめで、
バジルの代わりにこの葉を使い、
他の材料と一緒にミキサーにかける。

そのまま食べてみたい人は、
小さな葉を味見してみてください。

最初はタンニン系の苦味を感じるけれど、
しばらく噛んでいると、ほんのりキノコのような風味が広がってきます。

ただ、サラダ用の野草としては最高級というわけではなく、葉は革質(コラチェア)で、少し毛があるものもあれば、滑らかなものもあります。

今の時期はまだデリケートな段階にあり、美味しいですね。

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さて、散策から戻り、
この葉についてネットで調べてみたら、
さらに嬉しい情報が書いてあった。

なにやら、血液をきれいにする働きや、痰を出しやすくする作用、体を元気にする効果があり、ミネラルも豊富。

特に更年期の女性にとって良い効果があるらしい!

これからはウォーキングの際、
ビニール袋を持参して、摘んだヘラオオバコをサラダのトッピングにしてみよう!

日本にも生えているようです。

皆様も是非、散策の際には探してみてはいかがでしょう?!
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移牧の跡を辿るイベント

夏時間に切り替わり、イースターも終わって、
過ごしやすい気候になった途端、
あちらこちらでイベントが開催されるようになった。

どのイベントにも、主催者のメッセージ性が感じられて、とても興味深い。

先週の日曜日は、「LE ERBE DEI PASTORI」というイベントに参加した。

1950年代頃まで、カゼンティーノからマレンマ地区に向けて、羊をはじめとする様々な動物たちが移牧をしていたという。

その道中、動物たちはどんな草を食べていたのか?

病気になった時、
人々はどのような草で手当てをしていたのか・・・

自然と深く共存していた人々の暮らしぶりや知恵、
そして名もない雑草が持つ役割や力について、
楽しく学ぶことができた。

薬となる草、食べられる草、そして毒を持つ草。
これまでほとんど意識を向けてこなかった雑草たちは、実に多様な顔を持っている。

ほんの3時間ほどの散策だったけど、
広場に咲く草に、これまでにない愛着を感じた。

殺虫剤や除草剤などを使って、
この自然形態を壊してはいけない、
と心から感じられた事は、とても大きな収穫だった。

この日の風景をユーチューブにアップしました。

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2026年4月13日 (月)

4月12日 動画日記

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ナポリの会で感じた事

昨日は、ナポリのイベントにピアノの伴奏として参加した。

食事会に集まる人は30人くらいだろう、と思っていたけど、
いざ、会場に到着してみると、
80席以上がセッティングされていて、
一気に緊張が押し寄せてきた。

会を主催したアンドレアさんの構成は素晴らしく、
前菜、プリモ、肉料理、ドルチェの合間に、
ナポリの歴史や文化の語り、そして歌が挿入される形式となった。

歌い手も若干、緊張している。

でも、流石、ナポリ民謡。

日本人ですら、耳にした事のある曲は、
イタリア人にとっては尚の事。

マーチの部分では手拍子が起こり、
さびの部分では、自然と皆が口ずさみはじめる。

誰かが促すわけでもなく、
気づけばひとつになっている。

なんて素敵な空間だろう!
一緒に音楽を楽しでくれている空気が漂っている。

演奏者は皆、アマチュアだけど
観客の中に、「上手い」「下手」をジャッジする者はいなくて、
曲が終わる度に、ブラーヴォ!を投げかけてくれる。

イベントは、主催者、演者、料理や会場をセッティングするチーム、そして、観客の参加する気持ち、全てのハーモニーが揃って、より温かな会になる事を改めて感じた。

私は普段、観客者としてイベントに足を運ぶ事が多いけど、
これからは、「楽しんでますよ!」「応援してますよ!」という気持ちを届ける、そんな観客としての役割を気づかせてくれた会だった。

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2026年4月11日 (土)

ナポリ民謡2

海の上には銀の星たちが瞬いている

波は穏やかで、風は心地よく通り抜けていく

やわらかな風、
なんと心地よいのだろう。

やさしさに包まれたこの場所、
祝福された大地

ここは、創り主が微笑みを託した場所。

すべてが調和し、そっと寄り添い合う、
安らぎの王国・・・

さて、みなさん、
ここは何処か分かりますか?

あるナポリ民謡の歌詞から、
いくつかのフレーズを抜粋してみました。

その歌とは・・・・

今から177年前の1849年、
ナポリの美しい港町を讃えて作られた歌、「サンタルチア」

平和で優雅な夜の風景、
まるで、絵画のように美しい歌ですね。

この曲を、1873年にナポリで生まれ、
1921年にナポリで息を引き取った
エンリコ・カルーソー (Enrico Caruso)でお届けします。

Santa Lucia

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2026年4月 9日 (木)

ナポリ民謡 その1 'O surdato 'nnammurato

今週末、ナポリ民謡の伴奏を引き受けているので、
あらためて歌の意味を調べている。

「'O surdato 'nnammurato」

なんと切なく、それでいて どこか温かく、
心に光を差し込んでくれる歌なんだろう。

この曲が生まれたのは、1915年。

第一次世界大戦の前線で戦う兵士が、
遠くにいる恋人を想って歌っている。

「ああ、愛しい人。あなたは私の人生で最初の恋人で、きっと最後の人になるだろう…」

こんなに悲しい状況だけど、
軽快なマーチのリズムに恋人を愛する気持ちがまっすぐ行進しているようで、泣けてくる。

イタリアの昔の歌や映画に触れていると、
時々、どんな過酷な状況にあっても、
ユーモアや愛をもって運命に立ち向かう姿に出合うことがある。

このようなセンスは本当に素晴らしいと思う。
こんな風に生きていきたいな・・・

〈歌詞の意味〉

この心から離れているあなたへ
想いだけはあなたのもとへ飛んでいく
何も望まず、何も期待しない
ただあなたがいつもそばにいてくれればいい
この愛を信じてほしい
僕があなたを信じているように

ああ、僕の人生、愛しい人よ
この心の心である君よ
君は最初の恋だった
そして最初で最後の人になるだろう
どれほどの夜、君に会えず
この腕の中で君を感じられないことか
その顔にキスもできず
強く抱きしめることもできない
でも、この夢から目覚めると
君を想って涙がこぼれる

ああ、僕の人生、愛しい人よ
この心の心である君よ
君は最初の恋だった
そして最初で最後の人になるだろう
君はいつも元気だと書いてくれるね
僕はただ君のことだけを想っている
ひとつの想いが僕を慰める
君も僕のことだけを想ってくれていると
すべての美しい人たちの中で
君ほど美しい人はいない

ああ、僕の人生、愛しい人よ
この心の心である君よ
君は最初の恋だった
そして最初で最後の人になるだろう

 

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