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2026年2月

2026年2月24日 (火)

嬉しい電話

もうすっかり朝だというのに、
布団の温度が気持ちよすぎて、なかなか抜け出せないでいる。

まどろみの中で、うとうとしていると、
ピーンッ、とメッセージ音が鳴った。

「きよみさん、今、お話できますか?」

発信は結菜ぴょんから。

母とマッシモ以外からの朝の連絡は、
たいてい何か事情があることが多いので、
「何かあったかな?」と少しだけ胸がざわつく。

そう思いながら電話をかけると、
受話器の向こうからは、いつも通りの明るい声。

それだけで、ふっと安心した。

「あのね、きよみさん、今、話してても大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ?」

「あのさ〜、最近さ〜、嬉しい事が沢山あってさ〜!」

弾むような、明るくて弾力のある声。

先週末、フィレンツェでバレエの大会があったこと。

バレエの筆記試験に全力で取り組んでいること。

写真撮影が控えていて、ダイエットに一層力を注がなければならないこと。

楽しそうに、途切れることなく語り続ける。

私は内心、
「……で、実は……」と続くのかな?
何か相談があるのかな?と、少し構えていた。

けれど今回も、結菜ぴょんは、
ただただ、近況を伝えたくて連絡をくれただけだった。

シエナでの留学生活にもすっかり慣れ、
イタリア語も分かるようになり、
イタリア人の仲間と笑い合い、
時には先生に食ってかかり、そして仲直りする。

なんてまっすぐなんだろう。

もし私が、彼女と同じ21歳の頃、
あんなふうに振る舞えていたら――

もっと友達ができて、
もっと豊かな人間関係の中で、
もっとたくさんの学びを得られたかもしれない。

最近になって、私はようやく変わることができたけれど、40代になるまで、とても閉じた性格だった。

自信がなくて、不安で、怖くて、
どうしていいか分からなくて、怯える日が多かった。

それでも表向きは、社交的なふりをしていた。

「いい子」でいることで相手に気に入られ、
いざという時に擁護してもらおうとする、
そんなセンサーが、いつもどこかで作動していた。

相手への親切に見える行動の多くは、
実は、自分のためだったことも多い。

あの頃、自分のキャパを超えようとしてまで踏ん張っていた私を、今さら責める必要はない。

でもきっと、相手には分かっていたのだと思う。
私の気持ちが、本当の意味で相手に向かっていなかったことを。

時間とともに、私も少しずつ変わっていった。

時々かかってくる、結菜ぴょんからの電話。

「キヨミさんのことが好きだから、お喋りしたいんだよ〜」

そんな気持ちがまっすぐ伝わってきて、
胸がきゅんとなる。

ただそれだけのことが、
こんなにも嬉しい、今日この頃です。

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チッチョ、どこにいるんだ~い?


小春日和の日曜の朝。

バールで朝食を終えた後、
マッシモと私は近くの教会まで歩くことにした。

そこには、数匹の猫がいるからだ。

のんびり歩いていると、
赤い車がす~っと止まり
窓から男性が顔をのぞかせた。

「すみません。
 犬をみかけませんでしたか?
  青いコートを着てるんです。
 1時間ほど探してるんですけど・・・」

――犬!

その言葉を聞いた瞬間、
私から穏やかさがサ~ッと消え去り、
この男性の気持ちに一瞬にして同調した。

私は咄嗟に、犬のボランティア活動をしているヴェローニカに電話をした。

男性は、犬の種類、服の色、犬を見失った場所などをベロニカに伝えて、電話を切った。

そして彼は私に
「自分の電話番号を伝えておきましょうか?」
と言ったけど、私はどういう訳か
「いや、大丈夫です。でも、見つかったらどこに連れていけばいいですか?」と、トンチンカンな返事をしてしまった。

男性は「とにかく、私はヤコポといいます」と言って、
彼の職場と住んでいる場所を説明し、
私は「きっと、戻ってきますよ!」と言って、私たちは別れた。

少したつと、ベロニカからメッセージが入った。

そこにはフェイスブックに投稿された「捜し犬」の記事の写メと、「きよみ、ボランティアがね、飼い主の連絡先を知りたがってる」というメッセージがあった。

あ~、どうして電話番号を聞いておかなかったんだろう・・・
本当に私、バカだ。

自己嫌悪する私の傍らで、マッシモが小山を指さし、

「彼はあの屋敷で働いているって言ってたよ。
 そして、彼はその裏に住んでるんだって」と言った。

その屋敷に電話をしてみるが、誰も応答しない。

「歩いて行ける?」

「2~3キロだよ」

「行ってみましょう。ヤコポの電話番号を知るために」

私とマッシモは歩きはじめた。

オリーブ畑の間に敷かれた砂利道を進み、
道行く人に声をかける。

「すみません、
 ヤコポという男性を知っていますか?」

「ヤコポ? 知りませんね~」

その反応の後も、
マッシモはヤコポが犬を失った事、
犬は青い服を着ている事、
そしてヤコポの犬はこの辺りに住んでいるはずだという事を説明する。

何組かに声をかけながら現場に行ってみたが、
情報を掴めぬまま、私たちは帰る事にした。

まだ2月だというのに、
私もマッシモも、上着を手にして歩いた。

19時。

マッシモが車で私を家に送ってくれている時、
また、ベロニカから連絡が入った。

「キヨミ、その後、どうなった? 
 犬の名前とか、飼い主の連絡先とか、分かった?
 ボランティアが知りたがってる」

そこでまた、
彼が働いているという屋敷に電話をすると、
今度は落ち着いた男性が応答してくれた。

「ヤコポ? 知らないけど、
 恐らく彼を知っているであろう人物はいる」

そう言って、ある人物の電話番号を教えてくれたので、
早速電話をして、一部始終を説明した。

「あ~、ヤコポね。
 恐らく、彼の事でしょう。
 私から彼に連絡を入れてみます。
 あなたの連絡先は、表示されているから分かりますよ。 
 ヤコポからあなたに連絡を入れさせますね」

その後、5分くらいしてから、
私の携帯にメッセージが届いた。

「こんばんは。
 私は、犬を探していた男です。
 幸いな事に、チッチョは戻ってきてくれました。
 心配してくれて、本当に本当にありがとうございます!」

私もマッシモも、気持ちが飛び跳ねた!

「チッチョが戻って来た~! チッチョが戻って来た~!」

ベロニカに連絡を入れるとすぐに既読となり、
ハートマークがついた。

人の喜びを、自分の喜びのように感じて心から祝福する。

それが、いつも出来るわけじゃない。
いや、正直言うと、出来ない時の方が多い。

でも、チッチョが戻って来たという知らせに触れた時、
私の心は本当に飛び跳ねた!

あれから2日。

ヤコポがチッチョを抱きしめている姿を想像する度に、胸の奥からジワ~っと満たされる。

愛が通い合っているもの同士の再会は、
最高級レベルの幸せだな~、
と感じる今日この頃です。

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2026年2月21日 (土)

母とQRコード

朝7時の着信音。
携帯には「お母さん」という表示がある。

やはりざわつくな、朝早い母からの電話。

「あっ、きよさん?
 実はね、テレビでYou tubeが見れなくなっちゃったんだよ」

滅多に外出しなくなった母にとって、
家のソファーでユーチューブを見る時間は、
一日のルーティンの中で、大きく占めている。

携帯で見る事も出来るが、
やはり、古い映画や好きな音楽は、大きなテレビの画面でみたいものだ。

「前、きよさんが、携帯を使って操作したら見れるようになったじゃない?あれ、どうやんだっけ?」

この時、(あ~、どうしよう?)という気持ちと
(出来る)という感覚が同時によぎった。

「お母さん、テレビでユーチューブを選択した時、
 どんな画面になる?
 画面の右側に、大きな四角い絵がな~い?」

「あるある」

「それね、キューアールコードっていうの。
 その四角いマークをね、携帯のカメラで撮るのよ」

通常なら、携帯のカメラでQRコードにピントを合わせると、自動的に、本人確認が進み、テレビ―と携帯が同期してテレビでユーチューブが見れるようになる。

だけど、いっこうに、らちがあかないまま、
同じ操作の繰り返しで1時間が過ぎた。

「お母さん、グーグルの検索欄、あるじゃない?」

「グーグル? 検索欄?」

「ほら、お母さんが携帯で何かを調べたい時、
 携帯に調べたい事柄に関する言葉を入力するじゃない?
 それが検索欄」

「あ~、はいはい」

「その検索欄の右隣に、マイクとか、四角いマークがあるの分かる?」

「あ~、あるね~」

「それ。その四角いマークを、
 人差し指で軽くチョンとたたいてみて!
 それも、カメラなの・・・」

1時間半が過ぎても、
私たちは同じ操作を繰り返し続けた。

「お母さん、続きはまた明日ね。
 私たち焦ってきてる。
 この焦りはイライラに変わっていって、
 やがて、ヒステリックに変わっていくのよ。
 ひとまず、休憩して落ち着きましょう。
 私、これから外出しなくちゃいけないから。」

「あ~、そうかそうか。
 ごめんね、きよさん。
 こんなに長い時間付き合ってくれて、
 本当に申し訳ないね。
 本当にありがとう・・」

母の弱音の声をきくと、
私もやるせない気持ちになる。

電話を切った後、
近くの電気屋に電話をして、
出張サービスがあるか聞いてみたけど、
この状況を見てくれる事は出来ないらしい。

もんもんとした気持ちで身支度をしていたら
「ピーン」とメッセージの到着音が響いた。

送信は母で、メッセージには

「長い時間を、ありがとう。見えました。感謝です。」とある。

えっ!!!

驚きと喜びで、すぐに母に電話をした。

「お母さん、本当にユーチューブ、
 見れるようになったの? 
 私を安心させようと思って、
 嘘ついてるんじゃないでしょうね?」

「本当だよ! 出来たんだよ!」

私は興奮しているというのに、
母の声には興奮めいた躍動がなく、
いつもの口調に戻ってる。

「凄いよ!お母さん。
 QRコードを読み取って、
 いくつもの画面を次々に進めて、見れるようにしたなんて
凄いじゃない!」

私は、興奮して母を褒めまくった。

母はこの日、2つの事を手に入れた。

ユーチューブがまた見れるようになったことへの安堵と喜び。

そして、今後、また同じような事が起こっても、自分で解決できるという自信と安堵。

効率化や時短、AIの進化の中で、
私たちは気づかぬうちに、
テクノロジーが介入した生活のインフラに追いつこうとする。

自分の歳でも、
今まで使えていたPDFが開けなくなったり、
ビデオ操作がうまくいかずに困ることがある。

その解決方法を探すのも、意外と難しい。

さらに、高齢の親にQRコードやGoogleで情報が同期されている仕組みを説明するのは大変だ。

理解する時間が十分に与えられないまま、
インフラはどんどん先に進む。

もし市役所や地域のボランティアに、
時短や効率化が進む中で、
それに取り残された人を伴走する
「一緒に取り組んでみましょう課」
のような窓口があればいいのにな~♪

困ったことがあれば電話したり、窓口に足を運ぶ。

すると、根気よく一緒に考えてくれる人がいて
一緒になって取り組んでくれる。

ボランティアとして人助けをした人には、美術館の平日チケットが1枚無料でもらえたり、
賞味期限が近い食材を半額で購入できるチケットが渡される――

な~んて、ウィンウィンの関係。

こんなヒューマンな受け皿があればいいな、
と感じる今日この頃です。

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春がやってくる!

2月は何と心変わりが激しいんだろう?

2週間前、日本では雪が降っていたのに
今日は、春の兆しを感じるほどに天気がいいらしい。

ここシエナはというと、
あの鉛色のはっきりしない雲はすっかり姿を消して、青空の下、鳥たちが気持ちよさそうにさえずっている。

部屋中の窓を開けると、
レモンみたいにきゅっと酸っぱい風と、
黄色いフルーツのように丸くてやわらかい太陽が、部屋に入り込んできて、陽を眩しく感じる感覚が嬉しい。

今朝は、私の心も晴天。

天気がいいから気分がいい、というわけではない。

ひとつの電話や、メールの知らせで、
心は一瞬で嵐にも、雨模様にもなる。

でも今日は、めずらしく穏やかだ。

鳥のさえずりを楽しみたいから、
今は音楽をかけない。

これから洗濯物を干して、
鍋にかけている野菜スープを仕上げて……

静かな時間に浸りながら、
そうだな、本でも読もうかな。

みなさんも、穏やかな週末を!

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2026年2月20日 (金)

仲間が上演したLa serva padrona(奥様女中)

イタリア人って、やっぱりすごい!

この前の日曜日に上演したオペラ「La serva padrona(奥様女中)」では、
セルピーナ役のソプラノ、アニエッサちゃん以外は、全員が素人。

音大で音楽を学んだわけでも、
芝居の勉強をしたわけでもなく、
大人になってから、趣味として歌の勉強をしはじめた人ばかり。

今回、舞台に登場した4人のうち、
二人は歌わずに演技をしているだけだが、
この二人も実際に歌うとプロ並みに上手い。

子供の頃から自然に踊れるラテンやアフリカの人々、
つっこみとボケのセンスを持つ関西人のように、
イタリア人は生まれながらにして、舞台で輝く素質を持ってるのだろうな~!
と改めて感心する今日この頃です。

公演前日リハーサル風景、本番のダイジェスト版、そして本番の様子をユーチューブにアップしました!

 

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ボランティアと私

ここ1か月、雨が続いている。
朝から激しく降る日もある。

そんな日にボランティアが重なると、
「この悪天候じゃ、きっと人も少ないだろうな?」
と思いきや、
衣服をもらいに来る移民は少なくとも、意外と仲間はいたりする。

ボランティアの仲間の中では、
57歳の私が一番若くて、

あとは、年齢不詳の若い高齢者が多い。

正直に告白すると、
「今日はボランティアの日!
 慈善活動よ!
 今日も人助けをするわよ!」
という高い志で通っているわけではない。

ただ、仲間とお喋りをしたいから、
なんとなく家を出たいから、
一週間のルーティンだから…

そんな感覚で足を運ぶ。

着くと、シエナ市民から届いた衣服を仕分け、
移民が求める靴や衣服を探して、
「これ、どうかしら?」と手渡す。

入口で「42の靴、ある~?」と声がすれば、
誰かが靴の置き場に行き、
それを入口にもっていく。

仕分けも、お渡しも、「一緒に」やっている場面が多い。

週に2回、午前中の2時間。

誰が偉いとか疎いとか、
評価のつけようがない作業。

責任を背負うわけでもなく、
認められようとするわけでもない。

ただ、誰かと一緒にいられる。

その空間が私にとって安堵と癒しになっていて、しかも、その場がボランティアとなると、少しは誰かの役に立っているわけでだから、なんとも都合がよい。

社会や職場では、「自分のやり方が正しい」と心の底で思っている人たちの間で生きる事になる。

またプライベートでも、
ストレスを抱えた人の余波を受ける事もある。

だから「ただ、一緒にいられる空間」というものは、簡単なようで、そうあるものではない。

そう感じるのは、高度経済成長の勢いの中で生まれ、人口の多さゆえに学歴競争と過当競争を経験した世代の私固有のものなのかな?

そうそう...
このグループが気持ち良い理由は他にもあって、それは、場の空気を読みすぎる人も、過度に気遣いする人も、丁寧すぎる言葉や笑顔を振りまく人もいないから。

みんな、素のまま。

仲間同士の会話も、言いたいことをそのまま吐いている。

物事を細かくルール化する風潮もなく、自由にやっている。

2時間という時間も丁度いい。

結局のところ、
これは誰かの為というより、
私の為のボランティアなのね・・・

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2026年2月18日 (水)

2月の小さな劇場で行われたLa Serva Padrona

先週の日曜日、隣町Castelnuovo Berardengaの小さな劇場で、仲間たちによるオペラ《La Serva Padrona》が上演された。

私は入口でチケット販売を担当。

開演前、子どもを連れた男性が息を切らして駆け込んできた。

「チケット、まだありますか?」

「ありますよ」

そう答えると、ほっとした顔で
「よかった。急いで着替えて戻ります」と言い、
また走って出ていった。

杖をついたご主人と一緒のご婦人が尋ねた。

「まだ席はありますか?」

「ご安心ください、ありますよ」

そう返すたびに、こちらまで嬉しくなる。

耳が聞こえにくいから前の席を、
と希望するご夫婦も何組かいた。

寒い2月の日曜日。

それでもオペラを観たいと思って足を運ぶ人たちの表情は、少し高揚している。

そんな人たちが次々に入ってくるその空間は、まるで舞台のようだった。

200席の小さな劇場は、ほぼ満席となった。

赤い座席に包まれながら、
真冬のひとときをオペラとともに過ごした。

あの場にいた私たちは、
きっと誰よりもあたたかい時間を共有していたと思う。

当日の様子は、短いダイジェストでご紹介。

Agnessa、Gennaro、Gianpaolo、Lucie、そしてKlara。

音楽の教師はたくさんいるけれど、
作品を一つにまとめ、
皆の力を引き出すKlaraの存在は本当に特別だった。

《La Serva Padrona》は、
裕福な主人ウベルトと、若く賢い女中セルピーナの物語。

セルピーナは使用人ヴェスポーネを巻き込みながら、ついには主人との結婚を手にし、女主人の座におさまる。

約300年前の作品。

形式ばったオペラが主流だった時代に、身近な人間の感情を生き生きと描き、笑いと音楽が絶妙に重なり合う。

寒い日曜日に集まった大人たちの、あのわくわくした空気。

それもまた、このオペラの一部だったように思う。

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2026年2月11日 (水)

人助けはお当番のようなもの?

私は50代に入った頃から、
心に小さな怒りの火がともりやすくなった。

笑顔を作り、人格者ぶろうと繕いながらも、
何度もその火がくすぶり、
心をざわつかせる瞬間があった。

2025年は、その火が頻繁に顔を出し、
怒りっぽい自分に戸惑うことも少なくなかった。

でも2026年、2月に入った頃、
ふと腑に落ちる瞬間があり、
驚くほど穏やかな心境になった。

これまで私は、自分にこう言い聞かせてきた。

「人格者であらねば」

「困っている人は率先して助けるべきだ」と。

でもその「助ける」という執着が、
知らず知らずのうちに、自分をややこしくしていたことに気づいた。


人は、強く願うと、必要な時に必要な人が現れ、想像もしなかった形で物事が好転することがある。

そしてその「必要な人」とは、
必ずしもいつも親しい人とは限らず、
偶然の出会いが多いものだ。

私はこれまで、「必要な人」として、
思いもよらない人と関わる機会をもらってきた。

私自身も、偶然の出会いで助けられたことは数え切れないほどある。

大げさに言えば、世の中にはそんな仕組みがあって、私もただその流れに絡まれながら生きているだけなのだ。

なのに、時には恩着せがましく
「助けてあげたのに」と思ったり、
被害妄想で「私は利用された」と感じたりする自分もいた。

だから「人を助けるのは人徳だ」と自分に言い聞かせて行動するほど、心のもやっと感は大きくなった。

でも今は分かる。

人が困っている時、
誰かの願いが強く交差する世界で、

私が「必要な人」として関わるのは、
目に見えない社会のルールのようなものだということを。

そして、その役目が回ってきたら、
まるで当番をこなすかのように、
自分のできる範囲でやるだけ。

それ以上でもそれ以下でもなく、
ただそうするだけのことなんだな、と。

だから役目を果たしたら、心にこう言う。

「はい、私に当たったお役目は終了!お疲れ様」

やったことにこだわらず、手放す。

相手のことをあれこれ思う気持ちも、執着も、自然に消えていく。

この意識を持つようになってから、
心はすーっと軽くなった(^^♪

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アンドレア・ボチェッリと母

朝早くに携帯が鳴った。

毎朝、私に電話をくれるのは、マッシモと母。

着信を見ると母からで、
いつもより随分早い時間に思わず

「何かあったのかな?」と心がざわついたけど、
受話器越しに届く母の早口な声に、ふっと安心した。

ちなみに、心配事を抱えた時の母の口調は低く、
何か絡まったように言葉が出てこない。

「あ、きよさん? 
 今、ミラノでオリンピックやってるでしょ?」

いつものように「もしもし」を言わず、話しはじめる母。

興奮した声と、オリンピックというテーマから、
私はすぐに母の言いたいことが見えた。

「きよさん、開会式見た?」

私はショート動画でチラッと見ただけだ。

「あのね、凄いのよ! アンドレ!」

母は「アンドレア」と言えず、
いつも「アンドレ」と呼ぶ。

「声が凄~いの。きよさん、絶対聞いてみて! 
 本当に素晴らしいんだよ」

私は、アンドレア・ボチェッリが『ネッスンドルマ』を歌った記事を見ていたが、少しとぼけて知らないふりをした。


「へ~、彼が歌ったんだ! で、何を歌ったの?」

すると母は、さびの部分を口ずさみ始めた。
タイトルは思い出せない。

私は身支度をして家を出るところだったので、
「また後でね」と言って電話を切った。

すぐに母からメッセージが届いて、
「ネッスンドルマ」と書かれていた。

母は毎日、感動している。

YouTubeで『ローマの休日』を見て感動したり、
聖書を興味深く読んだり、
ユーチューバーのトークを楽しそうに聞いたり、
音楽、映画、スポーツ、政治…

毎日がアラカルトだ。

母はアンドレア・ボチェッリの大ファンで、
今朝、YouTubeのお薦めに上がってきた動画を見て、
感動のあまり、私に電話してきた。

81歳の女性が、心から感動する。

なんて素晴らしいことだろう!


ちなみに、私は今日、心が震えて思わず誰かに電話したくなる…なんて経験はしていない。
昨日も、一昨日も。

81歳の母を、感動させてくれるイタリアに感謝!

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2026年2月 1日 (日)

モッラの誕生日

今日はモッラの11回目の誕生日。

私は、犬の大きな絵が描かれたスウェットに、
モッラと思いっきり戯れられるパンツ――
要するに、汚れが目立つ白系ではない、
濃い色のパンツをはいて家を出た。

車があれば十五分ほどの距離だけれど、
私にはバスしかない。

家から5番に乗り、ピスピニ門で2番に乗り換える。

シエナのバスは三十分に一本。

どうも私はバス運に恵まれない。

今回もきっと、乗り換えまで時間があるだろう。
そう踏んで、バス停近くの肉屋で、モッラへのプレゼントに牛肉を買う算段をしていた。

――が、こういう時に限って、2番のバスが「あと1分」。

やっぱり、バス運が悪い。

心苦しかったけれど、私は手ぶらで向かった。

モッラの家に近づくと、
いつもあるはずのルチアの車が見当たらない。

「外出かしら。でも、フランチェスカはいるはず」

そう思って、キッチンのガラス戸を両手で引っ掻いた。

普通なら、訪問前に電話をして、
到着したらノックかチャイムを鳴らす。

でも私はいつも、突然訪問しては、
散歩帰りの犬や猫が「入れて〜」と訴える、あの仕草をする。

すると、それに気づいたモッラが、キッチンに飛んできて、全身で喜びを爆発させる。

その騒ぎでルチアが気づき、笑顔で戸を開けてくれる。

挨拶のキスを済ませ、
私はモッラに抱きついて、ハッピーバースデーを歌った。

モッラは、扉と私を交互に見る。

――「外でしょ」
その目が、そう言っている。

「ルチア、モッラと遊んでくる。だから、まだコーヒーは入れないで!」

そう言って、私たちは寒い外へ弾け出た。

昔は何時間でも走り続けたモッラ。

でも今は、少し暴走しては休む。

視力も聴力も、きっと衰えてきているのだろう。
真っ黒だった顔には白い毛が混じり、
もう「黒いラブラドール」と言い切れない色になっている。

それでも、喜びを爆発させるその姿は、昔のモッラのままだ。

家に戻ると、ルチアがコーヒーを淹れてくれて、
フランチェスカが現れた。

今日も、彼女の作ったお菓子が出てくる。

「KIYOMIが来る日と、お菓子を作る日は重なるのよ」と言うけれど、私は内心、彼女は毎日お菓子を作っているに違いないと思っている。

今日はオレンジの皮を使ったお菓子。

一口食べて、その美味しさに驚いた。

レシピを聞くと、見た目からは想像できないほど、時間と手間がかかっている。

彼女が語る工程は、どんな有名店の包装紙よりも、このお菓子の魅力を引き上げてくれる。

話し込んでいるうちに、今度はルチアのクッキーが焼き上がった。

オーブンから出たばかりのそれは、
素朴で、いかにもホームメイドの、優しい味。

「そろそろ帰るね」と言うと、
今日も二人は惜しみなくお菓子を持たせてくれた。

「来週も来るね」と言ったけれど、
日にちも時間も決めない。

私は、そうやって、またふらりと来る。

1月31日。

春の調べはまだ遠く、
寒くて湿った日が続くけれど、
それでも胸が温まった、
そんな日常のワンシーンでした。

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