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2024年7月

2024年7月29日 (月)

黄昏時のトスカーナの田園

猛暑が落ち着き始めた17時過ぎ

「日曜日に何処にもいかなのも勿体ないね」

という事で、
充てもなく、私とマッシモは
隣町のアッシャーノに向けて車を走らせた。

野原の真ん中に置かれた蜂の巣箱。

小さな教会から聞こえてくるリハーサルの音色。

黄昏に包まれた渓谷とキウズーレの村。

すくすくと育っているオリーブの実たち・・・

黄昏時のトスカーナの田園は、素晴らしい芸術です。
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2024年7月24日 (水)

チョン・ミョンフン巨匠とシエナ

先週の土曜日、カンポ広場で韓国人指揮者、

チョン・ミョンフンによるコンサートが行われた。

室内のコンサート会場でクラシック音楽を聴く場合、まるで、大切なコンファレンスに出席しているかのように背中を伸ばし、周囲からひんしゅくを浴びないように、咳など音を立てないように気を付ける、そんな雰囲気が漂うけど、
屋外には、どこか自由な空気が流れている。

時々、肌をかすれる夜風

ベートーベンの運命の出だしのモチーフに、
興奮して吠え出す犬の声

背後のレストランから聞こえるお皿の微かな音

22時を告げるカンポ広場の鐘の音は、
上手い具合に、オーケストラになじんでいた。

この日のレパートリーを終え、拍手が鳴り響く中
チョン・ミョンフン巨匠は聴衆に向かい、
マイクで話はじめた。

「是非、感謝を述べさせてください。
 今日のコンサートは、私にとって、
 とても特別な意味を持つものなんです。
 私は、ここシエナにあるキジャーナ音楽院で
 指揮の勉強をしました。
 それが私にとって、はじめてのイタリアとの出会いです。
 素晴らしいシエナでの音楽留学。
 その時の私の恩師のお陰で、
 才能とチャンスを得る事が出来ました。
 キジャーナ音楽院で教える機会を得、
 スカラ座で指揮をするチャンスを得る事が出来ました。
 今、思い出のシエナで、
 スカラ座のオーケストラを指揮している。
 胸が一杯です。
 ありがとう、シエナ!」

すると一斉に拍手が沸き上がり、続いて
アンコールにマスカーニのアヴェマリアが流れ始めた。

巨匠の想い出が走馬灯のように流れるようで、
会場は感動に包まれた。

私の前の列の男性は、
親指と人差し指を目頭に当てて涙を抑えていて、その2つ隣の女性は、涙を何度もぬぐいながら聴いている。

ふと、隣に居るマッシモを見ると、
彼の目からも涙がツーっと流れている。

私は今、日本からシエナにやってくる留学生何人かと連絡をとりあってる。

彼女たちは、小さな頃から相当な時間をレッスンに費やし、夢を実現させたくて、シエナにやってくる。

彼女たちは、必死になって、
シエナの学校に申し込んだり、
イタリア大使館とビザの件で向き合っていて、
そのやりとりの真っ最中にあるものだから、コンサートが始まるとすぐ、

「この壇上に並んでいる人全て、
 昔は音楽を目指す学生だったんだよな~」

なんて思った。

だから、チョン・ミョンフン巨匠がシエナでの留学の話に触れた時、私は特別な思いで彼の話に聞き入った。

毎年、カンポ広場でのコンサートが終わると、
指揮者はキジャーナ音楽院の中庭で乾杯の時を設ける事を知っていたので、私とマッシモは、音楽院の入口でチョン・ミョンフン巨匠を待った。

待っている間、韓国語で「ありがとう」を言いたくて、ユーチューブで覚えた発音を何度も繰り返してみた。

通りを歩く人はまばらで、
「本当に巨匠は現れるのだろうか?」
と思い始めたその時、ふ~っと、
アジア人の夫婦が音楽院の入口を曲がろうとしていた。

何というか・・・

あまりにも普段着で、全く飾り気のない雰囲気から
見過ごしてしまいそうだったが、
「マエストロ!」と咄嗟に叫び、
その後、頭の中が真っ白になってしまい、
ありがとうの韓国語が出てこなかった。

巨匠は私に向き合い、手を差し延べてくれたので、
私は、両手で握手をした。

すると次に、巨匠から、マッシモにも手を差し延べてくれたので、マッシモも驚いて、握手をした。

音楽院に入っていく後ろ姿に、
「カムサハムニダ!」と言うと、
巨匠の奥様が微笑んで、振り返ってくれた。

巨匠と握手をした時、神様から、
若い留学生を助けてあげる使命を言い渡されたような気がした。

どんなに才能があっても、
いざ、イタリアに来ると、
学校、滞在許可証、アパート契約、
agenzia delle entrateから発行されるcodice fiscaleの用紙、携帯等など、様々な手続きが必要で、イタリア語を話せない若い留学生にとっては、とても高いハードルとなり、そこで相当のストレスを抱える事になる。

幸い、シエナには、庶民の相談にのってくれる政府機関があり、そこで、滞在許可証についても、無料で相談にのってくれる。

担当者の男性はとても優しくて、
私たちのイタリア語を理解し、
正確に手続きをしようと、
私たちの顔をじっとみながら、一生懸命、話を聞いてくれる。

シエナに、クエストゥーラ(移民局)に書類を提出する手伝いをしてくれる機関があるように、日本にも、イタリア大使館に提出する資料の相談に乗ってくれる窓口があったらいいのにな~

為替が日本円に不利に働くこの時期、
どうしても夢を実現させたく、
シエナにやってくる留学生たちは、
今から、節約の工夫も考えている。

人からのいただきものは、その時は嬉しくとも、
時間が経つと色あせてしまうけど、
自分たちで努力をして得た喜びは、
自信となって、彼女たちの身にしみこんでいく。

私が留学を始めた25年前。

分からない事だらけで、怖くて、
学校の授業でも自分が取り残されている気がして、孤立していたから、泣きながら日本に電話をしていた。

その電話代は、家賃より高くかかっていた。

知り合いの知人で、ローマに長年住み、
ガイドをしている日本人女性を訪れると、彼女から

「あなた、日本にお帰りになった方が、宜しいんじゃないの?」
と言われた言葉が忘れられない。

そんな時、私に仕事のチャンスを与えてくれて、色々と手伝ってくれたのはパトリッツィオ。

昨日、7月23日は、彼の5年目の命日だった。

色々な思いがよぎる、今日この頃です・・・・
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2024年7月19日 (金)

大理石の床や柱の美しさ

シエナのドーモには沢山の大理石が使われている。

正門にそびえる淡いピンクの柱は、
固い物質でありながらも、どことなく
柔らかなフェミニンな印象を与えてくれて、
そこに刻み込まれた模様や、配色のセンスも美しい。

そういえば昔、ベローナの街を散策した時、
アレーナ野外劇場とブラ広場の間をつなぐストリートで、大理石に感動した時の事を思い出した。

その通りにはブランド店が並んでいるが、
私はそれらのショーウインドウには目を向けず、
犬のように視線を地面に向け、宝探しゲームを楽しむかのように大理石で鋪装された床を見て歩いた。

「あった!」

海底だった時代の貝類の遺骸が沈殿堆積して出来たヴェローナの大理石には、こうして、アンモナイトの化石があちらこちらにある!

気の遠くなるほど昔の痕跡がそこにあって、
その上を私たちが普通に歩いている事に驚きながら、ショッピングストリートを楽しんだ。

大理石の話題に触れているうちに、もう一つ。

かつてシエナの街中にあったマクドナルドの事も思い出した。

1999年、シエナに留学したての私は、
イタリア語を体で覚えたく、
マクドナルドでアルバイトをしていた。

客テーブルのある部屋にはGiallo Siena(ジャッロシエナ)と呼ばれる黄色い大理石のみが使用されていて、モップや雨で床が濡れると滑りやすいので、〈スリップ注意〉の立て看板をよく置いていた。

そのマクドナルドは、確かオープンから2年程で閉店。

当時のシエナの人はアメリカの食文化に全く関心を示さず、そこにはいつも、海外から出稼ぎにきた女たちや、ちょっと悪ぶったティーンエイジャーのたまり場になっていたので、高い家賃との採算が取れなかったのだと思う。

街に生きる自然の神秘、大理石。

専門的な知識や用語は知らないけど、
「面白いな」「美しいな」と思う気持ちの蓄積から
芸術や文化、この国にゆっくりと惹かれていく
今日この頃です!
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2024年7月17日 (水)

蜜蜂に感謝!

ついこの前まで、甘酸っぱい香りを放っていた
菩提樹やジャスミンは姿を消し、
元気いっぱいに太陽を仰いでいたヒマワリも
うつむき始めた。

様々な花がピリオドを打っていくけど、
そんな花たちの余韻を、
これからは蜂蜜で味わう事が出来る。

蜂蜜に関するイタリア語の書物を読んでいたら、
こんな事が書かれていた。

蜂は蜜を採取する際にフィルターの役割を果たし、
多くの有害物質を除去します。

場合によっては、
致死量の毒性物質に接触すると蜂は命を落とし、
蜂蜜が汚染されるのを防ぎます。

〈蜂蜜の汚染に影響を与える要因〉

・土壌消毒剤、除草剤、種子処理剤、
 葉に散布される農薬など。
 これらは、土壌から水を汚染し、
 樹液や蜜にまで影響を及ぼすことがあります。

・花の開花中に不適切に処理された農薬や
 殺菌剤も直接花に入り込むことがあります。

・空気の質も重要です。
 重金属やその他の有害物質が蜜や蜂の代謝に
 必要な水に容易に入り込む可能性があります。

蜂は数多くの脅威から生き延びてきたのです。

1つの巣箱の蜂だけでも、
蜜、花粉、プロポリス、水を求めて
20km²以上の範囲を探索し、
毎日何百万回もの採取を行っています。

📚📚📚📚📚

ちなみに、ヒマワリは、
蜂蜜に形をかえて体内に入ってくれると、
解熱作用、骨のカルシウム補給、
コレステロールと脾臓の病気などに良く働きかけてくれるとのこと。

蜂さんたちに感謝しかありません!

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2024年7月13日 (土)

地産市場にて 2

生産者が並ぶ地産市場で、
今日も素敵な作り手さんに出会えた!

数日前、友達のルチアと卵の話題になった時、
私たちは同じ市場に通いながらも、
別の作り手さんから買っている事が分かった。

「私はシエナ近郊にある農園の、
 女性が販売しているブースで買っているのよ。 
 色々な種類の卵があって、面白いわ!」

「あら、私は男性のブースで買ってるわよ!モーツァルトの」

「モーツァルト???」

「そう。そこの鶏たちはね、モーツァルトを聞いてるのよ♪」

モーツァルトの曲を葡萄畑に流し、
その葡萄で名醸ワイン、ブルネッロを作る蔵を訪問した事はあるが、鶏にモーツァルトを聞かせているというのは初耳だった。

毎週金曜日に並ぶ直売市場には何度も足を運んでいるのに、どうして気づかなかったんだろう?

さっそく事実を確かめたくて、男性がいる卵売りのブースを訪れた。

「すみません。鶏たちがモーツァルトを聴いて育っているって、本当ですか?」

すると、ブースにいた女性客が、この話題に乗り出してきた。

「ほらね~♪ 前から言ってるじゃない!
 ここにモニターを置いてお客に見せるべきなのよ!
 モーツァルトを聴きながら生活している鶏たちの様子を!」

続いて、作り手さんが穏やかな口調で、鶏について語ってくれた。

「鶏たちも人間と一緒です。
 可愛そうに・・・この猛暑に彼らも耐えてます。
 この暑さで食欲は低下しているけど、
 フレッシュな水を沢山、飲んでます!
 外は暑すぎるから、
 この時期はベランダで涼んでますよ。
 雨が降っても屋外に居れるように、
 ベランダを作ってあるんです。
 そこは日陰で、風通しがいいんですよ・・・」

卵のクォリティーなど、商品価値を語る代りに、鶏の今の様子を語ってくれる作り手さんに、なんだか凄く好感が持てる!

彼は北イタリア出身のイタリア人で、
北イタリアで七面鳥を飼っていた。

しかし、2013年、鳥インフルエンザが彼の農園を襲い、全ての七面鳥を処分せざるを得なかった。

その後、保健所から、外で飼育しないように、という通達が届いたとのこと。

何故なら、外で飼育していると、
風で病原菌が飛んできて感染する可能性があるから。

狭い部屋に閉じ込められた鶏たちは、
劣悪な環境から病気になりやすい。

その病気を防ぐために、薬を投与する必要がある。

彼は、ビオの認定を受けており、今後も、健康で美味しい卵を扱いたく、思い切ってトスカーナの山奥、San Cascianoに引っ越してきて、鶏の卵の生産を始めた。

「今の農園は人里離れた所にあり、
 近くに工場もありません。
 空気は綺麗で、鶏は安心して
 伸び伸び暮らしてますよ!」

ここの鶏たちは、日中はモーツァルトを、
そして就寝前には子守歌「Lullaby and Goodnight」を聴きながら眠りに就く。

「今度、遊びに行ってもいいですか?」と尋ねたら、

「どうぞ、どうぞ!」と快く了解してくれた!

今、トスカーナは猛暑が続き、予報によると、
来週いっぱい40度近くまでなるらしい。

9月に入り、涼しくなったらこの農園を訪れてみよう!

これまで何度も足を運んでいる市場だけど、
この作り手のブースはとても地味で、卵だけが置いてあり、モーツァルトについての記載は全く見当たらない。

それは「モーツァルトを聞かせている」
という特異性を売り物としているのではなく、
鶏さんたちの事を想って愛情を注いだ結果の行為だから。

そして、卵さえ大量にとれればいい、
という考えではなく、鶏さんの健康を気遣い、自然光を浴びてビタミンDを摂取できるように心がけている。

これからは、ここの卵を有難くいただきます!

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地産市場にて 1

金曜の朝は、生産者さんが並ぶ直売市場の日。

新鮮な食材を仕入れたくて この市場を訪れるけど、
生産者さんから聞ける情報も 商品同様に濃くて新鮮!

この日私は、卵農家のブースを訪れた。

「ボンジョールノ!
 卵を6つください。
 それと・・・
 ここに並んでいる生パスタ、
 あなた達が打った麺ですか?」

「そうですよ!」

「前回は、ピーチ(シエナの郷土麺)がありましたけど
 今日は違うタイプの麺が並んでるんですね」

「今日は、タリアテッレとスパゲッティです」

新鮮卵を使用して作られた手打ち麺なんて、
美味しいだろうな~♪

私は日本のお客様から、
シエナの宿について問合せを受けることがある。

街中のホテルを希望する人もいれば、
トスカーナの田園で牧歌的な体験を求める人もいて、大抵の方は、現地で車を運転されないので、運転手やタクシーを付けると、高くついてしまう事になる。

そんな中、この農園は
シエナの街中から車で5分という至近距離にあり、
アグリトゥリズモもやっている。

放し飼いされた鶏の新鮮卵、
手打ちの生パスタが味わえるお宿なんて、
喜ばれるんじゃないかな?
と気持ちが沸き、作り手さんに話しかけてみた。

「手打ち麺とは魅力的ですね! 
 宿泊客がパスタ作りに参加する事は可能でしょうか?」

すると、作り手さんから一寸の迷いなく、即答が返ってきた。

「あ~、無理無理!
 私たち、手一杯なんです。
 動物の世話、農作業、
 アグリトゥリズモの事、
 その他にもやるべき事が沢山あって、
 時間が全く足りないんですょ」

なるほど。納得。

私の知る限りでは、
無農薬の農園を営む中小の作り手さんは、
いつも時間に追われている。

労働時間もまちまちで、
夏のこの時期だと、朝の5時から昼まで働き、
昼食の後、炎天下は事務的な仕事をこなし、
また夜に畑で働くパターンもよくある。

雹にみまわれたら、それなりの対応を即座に施さなければならないし、天候不順で虫や病原菌に襲われたら、日曜日であろうが、その対応に追われる。

仕事上、彼らと連絡をとりたくても、
トラクターに乗っていたり、機械に向き合うなどで電話に気付かず、連絡を取れるのは、翌日以降になる事もよくある。

この農園も忙しくしているから、
日本のお客様をお連れするのは難しいだろうな~。

それに、もしお客様がこの農園のアグリに宿泊したら、
400羽の鶏たちの鳴き声で、眠れないかもしれない!

昔、ワインの産地 キャンティクラッシコ地区でアグリを営んでいるドイツ人の友達が、こんな事を言っていた。

「この前ね、
 アメリカ人弁護士が全ての部屋を予約して、
 彼のプライベートハウスのように使用したのよ。
 そしたら、
 明け方に鳴きだす鶏にクレームを言ってきたの。
 私、困っちゃって・・・
 結局ね、就寝前、
 一羽ずつに底穴が開いた植木鉢をかぶせたわ!」

ゆったりとした時間の流れるトスカーナの田舎ライフ。

絵に描いたような素敵なイメージを具現化し、
サービス提供してくれる施設はあるけれど、高額な宿泊料がかかってしまうケースが多い。

何故なら、観光客は、その時その時の状況によって、
あらゆる質問や要求をしてくるので、
それに対応すべく、
語学が堪能で情報を把握したコンシェルジュ、施設業務の人員と体制が整ってる必要があるから。

虫が部屋に入らないように窓を完全に閉じ、
施設内にエアコンをつけなければならないかもしれない。

小さな規模でやっている、牧歌的なトスカーナの宿に泊まるには、
宿泊者側も、自らが問題解決に臨む逞しさが必要となるが、
日本のようなサービスが行き届いた環境に慣れ親しんだ方にとっては、少々のサバイバルを体感する事になるかもしれない。

お客様が求める全てのイメージを搭載した宿を見つけるのは難しいけど・・・

ん~、それでも何か、
素敵な物件が見つかるといいな~と願う今日この頃です。

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2024年7月 6日 (土)

【シエナのパリオ 4】

年に2度(7月2日と8月16日)
シエナで行われるパリオ祭。

7月2日、朝から儀式や伝統衣装に身を包んだパレード等がスケジュールに沿って行われていたが、いざ、最終章である馬のレースが行われようとしていたジャストの時に雨が降り始め、祭りは中断された。

翌日も雨。

やっと7月4日に、レースの部分だけが実行された。

優勝したのは、
波のシンボルマークを持つONDA(オンダ)

老若男女共に歓喜に溢れる姿から、
改めて、コントラーダの結束、
親子に受け継がれる価値の共有など、
真のコミュニティが伝わってくる。

この日、目にしたシエナの独特の空気を、
ユーチューブにアップしました。

次回のパリオは8月16日。

今後も、パリオやコントラーダをテーマとした投稿を少しずつ、皆様にご紹介していきますね!

※レースをご覧になりたい方は
「Palio2024」「siena」などとユーチューブで検索していただけると、テレビ局の動画を見る事ができます。
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ヒマワリ畑からボンジョールノ!

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2024年7月 2日 (火)

【シエナのパリオ 3】

7月2日のパリオ祭に向け、
シエナには歌声が響き、
熱気と興奮が高まっている。

言葉では伝える事が難しいこの気迫を、
カンポ広場で行われた6月29日の馬の抽選、
そして30日の試走の様子を通じてお届けします。

子供から大人まで、
コントラーダ人に宿る魂を感じてください。

 

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2024年7月 1日 (月)

【シエナのパリオ 2】

パリオ祭では、地区代表の馬がカンポ広場を3周
(たったの90秒)走行し、勝敗を競う。

優勝したコントラーダ(地区)は、
「パリオ」と呼ばれる優勝旗を手に入れ、
聖母マリアの宿る教会に向かうわけだが、
年に2回、7月2日と8月16日に行われるパリオ祭では、それぞれの教会が違ってくる。

7月 2日:プロヴェンツァーノ教会
8月16日:ドーモ

シエナには沢山の教会があるというのに、
何故、この教会に向かうのか?

今回は、7月2日に関わりを持つプロヴェンツァーノ教会とそこに宿る聖母について説明します。

まずは、聖母マリアとシエナの関係について。

日本の教会では、十字架をみかける事が多いが、
ここシエナでは、聖母マリアの肖像が非常に多く、
街中でもよく見かける。

プロテスタントとカトリックの違いにもよるが、
シエナ人は、これまでシエナを襲った疫病や戦争
地震、自然災害等など・・・
様々な災難から聖母マリアによって救われた、
と信じている。

遡ること、1552年。

スペインの圧力の元にあったシエナには
スペイン兵が横行しており、ある酔っぱらい兵が
街の壁に設けられたテラコッタのマリアの壁祭壇に向けて銃を発射した。

その時、胴体の下部は砕けたが、
聖母マリアの顔と肩は完璧な状態で残り、
兵士の銃は破裂し、スペイン兵は亡くなった。
(負傷という説もあり)

この事は奇跡とされ、
残った聖母のテラコッタ胸像は崇められ、
40年後の1592年、
そこに教会を建てる構想が生まれた。

1611、プロヴェンツァーノ教会が完成。

1630年、ミラノでは「マンゾニアン」と呼ばれるペストが猛威を振るっていて、3年後にはシエナにも到着すると恐れていたが、幸い、シエナはこの危機から免れた。

これはマドンナの御加護だと称えられ、
1633年、聖母マドンナの胸像は主祭壇に祭られるようになった。

7月2日、優勝旗パリオを掲げたコントラーダの民が、
奇跡の聖母の宿るプロヴェンツァーノにて歓喜を上げる様子も今後、お伝えしていきます。

その前に、パリオ祭に向けてボルテージが高まっていくシエナの様子、カンポ広場で行われたProva(試走)の様子を次回、投稿したく思います(続く)!
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