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2024年5月

2024年5月29日 (水)

教会コンサート、本番

先週の土曜日、
シエナのサンジローラモ教会でコンサートがあった。

この教会では、毎日、貧しい人に無償でランチを施し、
衣料やシャワーの提供を行っているため
「移民慈善スポット」というイメージがある、
というよりか、そのイメージしかなかった。

今回、クララが企画したコンサートを通じて、
多くのシエナ人が初めて礼拝堂を訪れ、
宗教音楽の響きと共に、礼拝堂の美しさを知った事は、
教会にとっても、音楽家にとっても、聴衆にとっても、喜ばしいことだった。

このコンサートには、クララ以外に、
4名のソプラノ、そしてコントラルトとテノール、バリトンが1名ずつが参加。

日本から来ている友達のYさんも特別参加をした。

彼女はもともと、
2曲をソロで歌う事になっていたが、

コンサートの数日前、あるソプラノ歌手が怪我の為に参加出来なくなったので、代役として、スターバト・マーテルの2重奏のソプラノも受け持つ事になった。

短い準備期間であったにも関わらず、
当日の彼女はとても冷静で、
2重奏はとても美しかった。

コンサート終了後、
沢山のシエナ人から賞賛を浴びたYさん。

常に控え目で、他者を立て、礼儀正しい彼女を通じて、
また、日本人への賞賛が生まれています!

 

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教会コンサートのリハーサル

イタリアには教会が沢山あり、
礼拝堂にはオルガンもよく見かける。

しかし、機能しているオルガンは意外と少なく、
修復・調律するには、職人を遠くから呼び寄せるなど、非常にお金がかかる。

また、オルガンの音色が場に相応しか?
というと、これも問題で、
音が大きすぎたり、癖を抱えていたりして、
現実的に使用するのが難しい。

5月25日(土)のコンサートに向け、
2日前の木曜日にリハーサルを行った。

やはり、この日も、
オルガンの音色が問題となった。

音が大きすぎ、
ボリュームの調整が出来ないのに加え、

弾いているうちに、いくつかの音がならなくなる等 問題が発覚。

「これじゃダメだから、ピアノを手配したわ」

クララがぼそっと呟き、
オルガンで歌手たちはリハーサルを続けた。

今回のコンサートで、私はいつの間にか、
アシスタント的な役割を担っている。

「キヨミ、当日の午前中、ピアノが届くわよ」

「土曜の朝ね。了解!」

私はもう少し、詳細を知りたく、
翌朝、楽器屋のバルバラに電話を入れた。

「クララから依頼がいったピアノの件だけど、
 土曜日は何時頃、搬入されるかしら?」

「丁度、私からも電話を入れるとこだったの。
 9時に搬入するわ」

「了解!じゃあ、私、教会で待ってるね」

その後、30分も経たないうちに、
バルバラから電話が入った。

「ごめん。土曜日は各地でピアノを必要とされて無理。
 だから、今日の5時半に運ぶわ。
 いいわね?」

「了解!」

今日、これからピアノが搬入される事を、
責任者のシスターに伝えたく、
携帯に連絡を入れても応答がない。

身支度をして、修道院に向かった。

シスターは私たちにとても協力的で、
突然のピアノ搬入の件も快く応じてくれた。

「5時半にピアノが到着します」

「そうですか。6時15分から
 礼拝堂ではロザリオのお祈りが始まるのよ」

「それまでには、ピアノを設置し終えると思います」


5時半が近づくと、搬送の運転手から連絡が入った。

「すみません。6時10分頃、到着する予定です」

「えっ?それは困ります。
 6時15分から、シスターたちが礼拝堂に集まり、
 ロザリオの祈りが始まるんです。
 何とか、早く来てくれませんか?」

「分かった。出来るだけ急ぎます・・・」

ピアノが到着。

この時、既に、ロザリオの祈りが始まっていたが、
シスターたちは、邪魔された事に不満を抱かず、
静かに見守ってくれた。

イタリアでは、予定通りに行かない事が多いが、
切り替えも早く、最後には何とかなってしまう事が多い。

さて、今日はコンサート本番!
そろそろ準備をして、行ってきま~す!

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窓を開いた生活

窓を開けっぱなしの日常がスタート!

時折、思いがけない外の世界が部屋に入り込んでくる。

好奇心旺盛なツバメが窓から入って来ては、
「この物件、ダメだな!」と言って去っていき、

窓の外では、朝寝坊した野兎が、
人間界のけたたましさに巻き込まれてオロオロしている

もうそろそろ、
菩提樹の甘い香りに包まれる夜を楽しめそうです・・・
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2024年5月25日 (土)

今日みかけた、シエナ人

シエナの街に、観光客が溢れている。

そんな中、オシャレに拘りを持つ地元のシエナ人が通りすぎると、自然と目で追ってしまう・・・

シエナでみかけるオシャレさんは、
ツートーンカラーが多いです。

髪を夜会巻きにまとめ、
ハイヒールにスーツ姿でワンちゃんの散歩をする女性。
まるで、雑誌のシーンのようです。
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石畳に、革靴がよく似合ってます

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思いっきりラメを使っているのに、
派手に感じるどころか、親しみを感じます。

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流行りを取り入れているわけではないけれど、

品格を感じます。

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髪型、髭、靴、そしてカバンまで、
トータルコーディネート!

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スニーカーでカジュアルな集い。
こちらも、どことなくツートンカラー。

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2組のカップル。
一組は観光客。そしてもう一組は、シエナ人。

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背筋をピーンと張って、大きく闊歩する姿。
より素敵な女性に映りました!

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カンポ広場の裏路地を散策

メイン通りからカンポ広場にかけては、
沢山の人で賑わっているというのに、
裏手に入っただけで、
ここには全く違う時間が流れている。

壁に刻まれた地区の紋章、
壁石に飾られた花、
市庁舎の後ろ姿、
カンポ広場の裏手から始まる田園の眺め・・・

スローライフ、イタリア

時に、裏路地でもお楽しみください!
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【忘備録】 母の日のカーネーションを買った時の事

我孫子駅から5㌔ほど離れた森林に、
私がかつて大変お世話になった方のお墓がある。

そこを目的に、田園風景を眺めながら自転車をこぐのは何とも気持ちがよく、今回の帰省では、2度、お墓を訪れた。

手賀沼公園で自転車を借り、
温泉施設「満点の湯」の傍にある店に立ち寄り、
お供え用の花を買う。

この日は、母の日の前日だったので、
店頭には沢山のカーネーションが置かれていた。

とりあえず、お詣り用の花を選び、
レジに向かった。

小銭で支払いたかったけど、
自転車の支払いの際に全ての小銭を使いきってしまい、こんな時に限って、1000円札も切らしていた。

カバンから携帯を取り出すと、
カード支払いの仕草に気づいたお店の方は、申し訳なさそうに言った。

「うち、現金のみなんです。
 システムが遅れていて、本当にすみません」

「あっ、分かりました。
 すみません・・・1万円からでもいいですか?」

「はい。大丈夫ですよ!」

男性は一万円札を受け取ると、
レジから9000円分のお札を抜いて一枚ずつめくりながら数え、続いて、小銭を私の手のひらに乗せてくれた。

客の目の前でお札をめくりながら確認する、
その所作が懐かしく感じられた。

「ところで、お宅のカーネーション、
 とってもお安いですね。
 後でまた、買いに来ます!」

「ありがとうございます。
 沢山のお客様が買ってくれるんですよ。
 ちなみに他では、幾らくらいするんですかね?」

「駅の周辺では2000円前後でした。
 道の駅でも、軽く500円は超えてましたよ。
 この時期、沢山の蕾をつけたカーネーションが
 380円なんて、
とても有難いです!」

田植えを終えた田んぼを横切り、
山道を登り、
ラザロ霊園でお詣りを済ませて
再びこの店に戻ったのはお昼過ぎ。

お腹が空いていたのでお弁当を買い、
カーネーションを自転車のかごに乗せてペダルをこいだ。

この時、公園のベンチで食べたアサリとゼンマイ入りのおこわご飯は物凄く美味しい!

お惣菜コーナーには少しのお弁当が残っていて、このおこわご飯は最後の一つだった。

お店は小さいながらも、
一定の常連客に支持されている事が伺える。

この店の向かい、
道路を渡ったところには道の駅があり、
野菜以外の品揃えも豊富で、
いつも沢山の人で賑わっている。

一方、こちらの店には
オーソドックスな商品しか並んでおらず、
時々、他の買い物客の姿をみかけるほどに落ち着いている。

限られた品数、
品質の良さ、
適正な価格設定、
他店の販売価格を意識いないマイペースさ、
現金のみという少し遅れた販売方法・・・

知る人ぞ知る、目立たぬ店だけど、
ここのおこわの美味しさが忘れられない。

今度は昼前に立ち寄り、母の分も買っていこう!
と強く思った。

なんだろう? この安心感・・・

ふと、私のオリーブオイルの販売スタイルに近いものを感じた。

オンライン販売、ShopifyのECサイト等、
顔の見えないお客様を相手に、
新しい販売スタイルに挑戦すべきなのか?
ここ数年、薄っすらと悩み続けていた。

しかし今、
昔ながらのやり方で小さく構えるこの店に魅力を感じ、
小さく感動している自分がいる。

この店が続く限り、私も
このままのスタイルで続いていけるんじゃないか?

そんな気がしてきた。

皆様、不器用なスタイルではありますが、
今後ともどうぞ、宜しくお願いいたしますm(__)m
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2024年5月23日 (木)

【忘備録】我孫子でレンタル自転車を借りた日の事

清々しい朝、家にいるのは勿体無く、
自転車で散策する事にした。

いつものように、
手賀沼公園のレンタル自転車コーナーに行き、
年配の男性に声をかける。

「ごめんくださ~い、
 自転車をお借りしたいんですけどー」

すると、一人の男性がすぐに駆け寄ってきてくれて、
申し込み用紙を手渡してくれた。

名前、住所、電話番号を
添えられた鉛筆で記入。

メールアドレスの記入欄がないところも、
昭和のスタイルそのものだ。

「書きました」と言って、
小銭500円と一緒に用紙を渡した。

「あれ、この前も来ましたね?
 確か、お墓参りに行くって言って…」

「そうなんす!
 よく覚えていてくださいましたね!」

私と男性はお天気などの雑談をしながら、ブレーキの確認、タイヤのチェック、ベルの確認などをした。

「行ってきま~す!」

軽いお喋りのお陰で、
なんだか嬉しいスタートとなった。

レンタル自転車を担当するのは、
定年退職をした男性4~5人。

口下手ながらも、こうして
確認事項等の会話をきっかけに、

コミュニティーに触れ、
生きがい、と言っては大げさだけど、

小さな達成感を感じているように見える。

野に咲くマーガレットのような、
見過ごしてしまいそうな、
でも、小さくて可愛らしい喜び。

今日も明日も、あるんです。

それを見過ごさないように、
ちょっと、気持ちの持ち方を工夫したい、
と感じる今日この頃です。

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イタリア映画「C’e ancora domani」とPERFECT DAYSで感じた事

日本からイタリアに戻る飛行機の中で、
イタリア映画「C’e ancora domani(まだ明日がある)」を観た。

時は1946年。

ローマの貧しい家庭で生きる妻は、
夫の暴力に耐えながら、
3人の子供と寝たきりの義父の世話をし、
家事の合間には、洋服や傘の修理、訪問注射など、せっせと働きに出ている。

毎日働き僅かなお金を得ること、
主婦としての務めを全うすること、
そして耐えること。

近所の主婦と笑顔で会話をする彼女の姿には「惨めさ」は感じられず、女性としての強さと逞しさが漂っていた。

昨年リリースされたこの映画は大ヒットとなり、
イタリア国外でも数々の賞を受賞している。

映画と言えば、もうひとつ。

今年に入り、イタリア全土で役所広司主演のPERFECT DAYSも話題となった。

公共トイレの清掃員である彼のルーティンは、
デジタル化社会、消費社会から離れたところにあり、
それでも、彼の淡々とした日常風景には穏やかな喜びが感じられる。

2つの映画は、一攫千金や夢が叶う類のストーリーではない。

自分の置かれた環境で、きちんと生きる。

地味だが、どことなく美しく潔い。

なぜ、この2つの作品が今、
多くの人の心を掴んだのだろう?

街中のカフェやレストランは、
QRコードのシステムが導入され、
庶民の通う大型スーパーでもセルフレジが置かれるようになった。

ネットビジネスを通じて、
お金を稼ぐノウハウを語る者も多く、
投資、投げ銭システム、ライブ配信、オンライン講座、電子マネー等々、気付くと、テクニック論がはびこっている。

時々、人の注意を惹き続けたくて、飽きられないように、不自然だったり過剰な喋り方をするユーチューバーや芸能人もみかけたりする。

そんな世の中だからこそ、
この2つの映画が響いたのかな?

AIとは真逆な、不器用な人間。

ネットビジネスとは真逆な、汗水たらして働く人の姿。

野心とは真逆な、日常生活で摘み取るささやかな幸せで満足する人の姿・・・・

2本の映画のヒットの裏には、
人間社会への追慕があるような気がしているのは、
私だけでしょうか?

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廃墟となったロマネスクの教会

「教会の怪物たち ロマネスクの図像学」
(著)尾形希和子

という本との出会いから、
田舎にひっそりと佇むロマネスクの教会に興味を持つようになった。

本文に、このような記述がある。

聖堂内外のフレスコ画や彫刻などの装飾は、
大部分が読み書きのできない中世の民衆が目で見て学ぶことが出来るキリスト教の教えの図解であった。

なるほど。

中世の民衆の視点から教会を見つめてみたく、
シエナから西へ車で約40分、
コッレ・ディ・ヴァル・デルザの森林にひっそりと佇む、
「Abbazia Di Santa Maria Assunta A Conèo」教会を訪れた。

11世紀に建てられた教会は、
1920 年~1922 年にかけて修復されたものの、
過疎化と宗教行為の減少により閉鎖されていた。

トレッキングか、教会に興味を持つ人以外には、
関係をもたない土地となっているが、
フランチージェナ街道沿いにある事から、
昔は、病院の役割をも果たすほど、重要な位置を占めていた。

フランチージェナ街道とは、
イギリスのカンタベリーからローマに続く殉教の道で、
990年から、巡礼者のみならず、商人にも利用され、
今のようにインターネットのない時代、
文化の交流を担っていた。

さて、都市から離れた、アクセスの困難のこの教会に、
一体、どんな図像があるんだろう?

正面に立ち、入口の柱頭を見上げると、
なるほど!

フランチージェナ街道故に、
巡礼者の彫刻がある。

その他、ライオンや木に止まった鳥、
ヤシの葉も見られ、
どことなく、プロテクトされたパワーと癒しが感じられる。

屋根の下には、人の顔、蛇、狼のような獣の姿もみられ、花や蔓のような装飾もみられる。

教会的に、どのような意味を持つんだろう?

もし、これらの図像が教会から取り外されていたら、
アフリカ? インド? 
どの国の何の宗教か?分からない・・・

翌日、シエナの図書館で、
この教会の解説がある本を借りてみた。

本によると、この教会には、ロンバルディア人の影響を受けた彫刻の装飾が見られる、とあり、建築には、地元で訓練を受けた労働者だけではなく、ロンバルディア州の労働者も参加、と書いてある。

ロンバルディア州?

私の読解力では怪しいので、
以下の事も、パートナーのマッシモに聞いてみたい。

-この教会は、田舎に文化を浸透させる為の手段であった、って事?

-地元の芸術家たちは、Conèo教会とイゾラ教会の建築現場で働き、その経験を活かして、他の教会を手掛けていった、って事?

 だから、ロンバルディア州やトスカーナ南部で、これに似たスタイルが見られる、って事?

尾形希和子さんの書いた本を参考に、
半分廃墟となった教会のストーリーを探っていく。

誇りをはたき、部品一つ一つを磨きながら、
ガラクタがアンティークに仕上がっていくように、
少しずつ、明るみになっていく歴史を楽しむ今日この頃です!

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2024年5月22日 (水)

シエナ 機関車で周るオルチャ渓谷

煙突からもくもく噴きあがる黒い煙、
汗をぬぐいながら石炭を火室に投炭する鉄道員・・・
汽笛の雄叫び・・・・

タイムスリップしてトスカーナの田園を訪れる
温故知新の小旅行は、朝の9時に出発進行!

シエナを出発した後、
汽車は糸杉が並ぶ丘陵地帯、
世界遺産に認められたオルチャ渓谷へ。

名醸ワインの産地、モンタルチーノでブルネッロのセラーを訪れ、
古い巡礼の道、フランチェージナ街道を散策し、スローながら、充実した内容となっている。

1850年代、農業と鉱業で重要な地域であった
シエナ⇔グロッセートを結ぶために計画された
ヴァル・ダ・オルチャ鉄道。

第二次世界大戦中、深刻な被害を受けて数年の間、閉鎖された後、再開に至るが、鉱業活動の停止、道路交通の発達、より短距離で直通の鉄道路線の誕生により客数は減少し、1994年に運行を停止した。

しかし、素晴らしい景観と歴史的に価値のある地域を通過する路線を活かしたく、2年後の1996年、
鉄道愛好家や自治体の働きかけにより、
特定の休日に運行する「観光鉄道」として再開。

切符の販売、顧客サポート、沿線のアトラクションなど、ヴァル・ドルチャ鉄道協会のボランティアたちによって成り立っている故、有志の熱い気持ちから、
温かみとエモーションが感じられます!

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2024年5月21日 (火)

シエナ駅でみた、日本とイタリア

ふと、珈琲が飲みたくなって、
シエナ駅のバールに立ち寄った。

18時。

駅だというのに、
人混みどころか、人の気配もなく、
構内には、アナウンスの替わりにツバメの声が響いている。

端のプラットホームに2本の電車が止まっている。

一つは「HITACHI」 と書かれた
ハイブリッド技術搭載の最新モデル式。

そしてもう一つは、
1930年代に石炭と蒸気で稼働していたSL列車。

日本とイタリアの古今が並ぶ姿は、
まるで「きかんしゃ トーマス」の世界そのもので、
2本の列車がお喋りしているようだった!
      

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2024年5月13日 (月)

【庄屋忘備録 その2】

「お客様、お帰りで~す。
 あ~りがとうございま~す!」の威勢のよい声、
時々ドット沸き立つテーブル客の笑い声も聞こえるけど、私はスマフォのユーチューブで、美空ひばりの歌声を聴いていた。

これまで、美空ひばりの歌をきちんと聴いた事がなかったけど、居酒屋の雰囲気と、母が好きな歌手という理由で、なんとなく選んでみた。

一人飲む私に、歌は直球で入り込んでくる。

《でこぼこ道や曲がりくねった道
 地図さえないそれもまた人生》

《ああ、川の流れのように
 穏やかに この身をまかせていたい・・・》

聴いているうちに、涙が出てきた。

泣いている事を隣客に気付かれないように、
カウンターに肘をつき、こめかみに指を当てて顔を隠しながら聴き続けた。

「その通りだ。
 地図さえない、それもまた人生なんだ」

今を充実して生きたいのに、
将来の問題を考えると、暗い気持ちになる。

それはまるで、今日が晴天であっても、
未来の雨雲を糸でわざわざ引っ張ってくるような、
そんな感じ。

未来の問題に備えたくとも、
いつ、どのようにそれが起こるのか?わからない。

すると今度は、
分からない事に対する不安の雲が生まれたりする。

「分からなくていいんだ。
 地図さえない、それもまた人生・・・
 川の流れのように
 穏やかに この身をまかせていたい・・・」

もう少し、心の膿を流し出したくて、
2次会を続ける事にした。

庄屋の前には、深夜まで営業しているスーパーがある。

そこに駆け込み、日本酒とつまみを買って、
足早に家に向かった。

「お母さん、ただいま~」

足音を立て、リビングに荒々しくつくなり、
テレビの画面で、美空ひばりのユーチューブを流し始めた。

それまで寝ていた母も、パッと起き、
一緒になって美空ひばりを聴いた。

母は、ちょこっと注がれた日本酒を、
「美味しいね~」と言って、大事そうに味わった。

人は哀しいものですね~

人生って 不思議なものですね~

人は かよわいものですね~

人生って、嬉しいものですね~

人は かわいいものですね~

今度は泣かなかった。

美空ひばりの歌と酒に飲まれた一日でした・・・

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2024年5月12日 (日)

【庄屋忘備録 その1】 

ふら~っと気の赴くままに、庄屋に行った。

いつもは冷酒から始めるけど、
今日は、中生でスタート。

迷う事なく、ぼんじりと皮を塩で注文した。

ジューシーな焼鳥をビールで流し込む。

それを繰り返すうちに
「あ~飲みたい、あ~食べたい」
の欲求が少しずつ満たされ、

気が落ち着いてくる。

脂ののった焼鳥を4本食べ終えると、
何か追加をしたくなって、メニューを眺めた。

さっきまで美味しそうに思えた牡蠣フライやアジフライなど、油が使われたメニューの魅力は半減し、なかなか決まらない。

ビールが空いたので
とりあえず、いつもの菊水を注文した。

ふと顔を上げると
壁メニューにいかの塩辛があったので、

それを注文した。

何年振りだろう? 塩辛を食べるのは・・・

箸でちょこっとつまみ、口に運んでみる。

しょっぱい!

この店の塩辛が辛口仕上げなのか?
久しぶり故に塩味を強く感じるのか?
とにかく、パンチある塩味が口に広がった。

そこに日本酒を含むと、酒の甘味が引き立ち、コクのある酒の旨味は ねっとりとしたわたの独特な風味といい感じに絡んでくれる。

他にもつまみを追加したかったけど、
塩辛の塩がドーンと口を支配していたので、
塩や醤油を感じる料理への関心は薄れてしまった。

塩辛って凄い!
全部、もってっちゃうんだな~

そうなると、次に欲するものは、
お茶漬かおにぎりだった。

〔ビール&ぼんじり〕
→〔日本酒&塩辛〕
→〔〆のおにぎり〕

今宵はシンプルに、この3ステップで満足でした!
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2024年5月11日 (土)

庶民の視点からみた歴史的建造物


日本に帰省すると、隣町に住むYさんと会う。


Yさんは昔、ミラノに住んでいた経験があり、
日本に戻ってから美術の先生を務め、
定年退職をしてからイタリア好きが集まれるクラブを作った。


10年経た今、そのコミュニティは高齢者を中心とした方々の心の拠り所にもなっている。


そんなYさんは、この5月、イタリア旅行を企てている。


「キヨミさん、今回の旅行はこんな感じなんですょ」


そういって、スケジュールを見せてくれた。


「でね、この本なんだけど‥‥」と言って、
カバーのかかった本をカバンから取り出した。


今回の旅行に紐づいた本のはずが、
開いた途端、違っている事に気づいた。


「あら、いやだっ!
 どうして、この本を持ってきちゃったのかしら!
 せっかくだから、キヨミさんにお貸しするわ」


そういって私の目の前に現れたのが、
「教会の怪物たち ~ロマネスクの図像学」


読みだしてみると、とても面白い!


このような趣旨が書かれている。


紀元1000年を超える頃から現れたロマネスク教会。


地方に建てられた教会は、
農村の共同社会の中心となり、
洗礼や埋葬の儀式が行われていた。


聖堂はキリストや聖母マリア、聖人たちだけでなく、怪物や動植物の図像にも満ちている。


当時の主な観者は農民たちであり、
実際に図像を制作したのは、その地方の石工。

そこに巡礼者たちも立ち寄ったであろう。


一般的に中世では、
文字文化を支配しているのは聖職者で、
地方封建領主も、農民同様、
読み書きは出来なかったようだ。


・教養があり、宗教権力を握る聖職者
・世俗的に権力を握る領主
・読み書きが出来ない世俗性を持つ民衆


これからの人々が集まる教会の彫刻、
モザイク、フレスコ画には、
異形の姿をした怪物や植物も見られ、
それはプリミティブな生命感溢れるものであったり、神話や宗教からくる教えであったり、時に皮肉を示唆したものであったり、いろいろなメッセージが込められている。


なるほど!


世界史、イタリアの歴史を勉強してこなかった私は、世界遺産だらけのイタリアにいながら、教会や絵画について、どこか距離を感じていた。


しかし、読み書きのできなかった民衆の視点に立つ事は出来る。


これは、日本のお寺や神社にも言える事。


龍や獅子をはじめ、
さまざまな梁や柱に刻まれた寺社彫刻は、読み書きのできなかった百姓に、どのような教えを伝えたのだろう?


この本を私の手元に置いておきたく、
早速ネットで注文をした。


シエナに戻ったら、この本を手に、
地方のロマネスク式の教会を訪れてみたく思います!
(柏の葉のYさん、Grazie!)

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2024年5月10日 (金)

QRコードのレストランに違和感

今回の日本帰省では、
QRコードで注文をする、とうシステムのお店を体験した。

何だろう?
このスッキリとしない感じ。

どの店にも、何もせず立っているスタッフの姿があり、
このシステムの導入の理由が分からない。

レストランの厨房で働いていたので、
食事は作れるし、家でも焙煎珈琲を入れて飲んでいる。

でも、あえて、外にそれを求めるのは、
軽くなりとも、人との接触を求めているから。

日本に帰省すると、地元の庄屋を訪れる。

カウンターに座る。

「いらっしゃいませ。お飲み物、何にしますか?」

「日本酒・・・菊水、ください」

「菊水ですね。かしこまりました」

しばらくメニューを眺め、お店のスタッフさんを見つけ
「すみませ~ん」と声をかける。

すると、若いスタッフさんが、小走りでやってくる。

「お刺身の盛り合わせ、
 そして焼鳥ください。ぼんじりと皮。2本ずつ」

「はい。塩になさいますか? タレになさいますか?」

「塩でお願いします」

波々と注がれた日本酒をこぼさないよう、
カップに口を近づけて、すすってみる。

美味しい。

おつまみが届く。

ゆっくりと、日本酒が体に染みていき、
ダメな自分も愛おしく感じ始める。

隣の夫婦の会話が耳に入ったりする。

こんな空間が好きなんです。

庄屋には、QRコードの注文システムが入り込んできませんように・・・

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2024年5月 9日 (木)

エロイカジャパン 10周年 伊豆で開催です!

5月11日(土)~12日(日)にかけて
伊豆で行われるエロイカジャパン。

今年で10周年を迎えるこの自転車のイベントは、
1997年9月の末、シエナ郊外にある小さな街、
「ガイオーレ イン キャンティ」で生まれた。

当時、自転車の愛好家であり、
医者だったジャンカルロ ブロッチ氏は、
フィレンツェ出身の自転車競技選手、
ジーノ・バルタリ(1914-2000) の生き方に深く感銘を受け、1997年に自転車レース「エロイカ(英雄)」を発足。

ジーノ・バルタリとは、プロの自転車選手として数々の優勝を経験した人物。

第二次世界大戦が始まると、
ユダヤ人を救うべく、

カトリック教会との接点を持ち、ピウス12世と接見し、
大主教やフランシスコ会にも救いを求めた。

ユダヤ人迫害の動きが強まると、
ユダヤ系人をスイスアルプス方面に逃亡させるため、
トレーニング用品をワゴン車に積み、

検問を逃れながら命をかけて逃亡させていた。

第二次大戦後、バルタリは自転車競技に復帰。

宿命のライバルであるコッピとの逸話も美しい。

そんなバルタリに触発されて生まれたエロイカ。

ゴールのタイムを競うものではなく、
自転車競技を通じて人生を味わう、
というのがこのレースの在り方。

タイヤのパンクした仲間を助け、
走行する土地の自然を愛で、
その土地の文化や歴史を感じ、
その土地の郷土料理を楽しみ、
イベント主催者に感謝をし、交流を持ち・・・

この考えに共鳴した自転車愛好家が増え続け、
日本での開催は、10年目を迎える。

ブロッキさんは今日、日本に上陸!

昨年、日本で行われたイベントの様子を、
ビデオでどうぞ!

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2024年5月 5日 (日)

ゴールデンウィークでみた木漏れ日の幸せ

近所の公園に行き、
木陰のベンチに腰掛けて本を開いた。

子供たちのキャッキャとはしゃぎ回る声、そんな子供たちを大声で呼ぶパパやママの声を聞いているうちに、ゆっくりと時が巻き戻されていく・・・

お母さんが作ってくれたお弁当とビニールの敷物を持ち、2つ隣の駅にある公園で家族揃って過ごしたあの頃。

その光景は柔らかく、
懐かしい平和な匂いがほんわりと蘇る。

50年前と比べ、世の中はガラッと変わったけど、
あの頃から変わらない景色もある。

当時の私たちからしてみたら、
今の私たちの生活ぶりは、
近未来を描いたフィクション映画のように映るだろう。

確かに、あの頃から比べて、生活は便利になった。

ゆっくりと便利になっていったというのに、
どの時代も、いつでも、ニュースでは
この先に訪れるであろう暗い未来図を発信し続ける。

最近、ニュースやユーチューブでは
「円安」の問題を取り上げている。

「このままだと、海外旅行どころか、
 日本国内旅行にも行けなくなるんです。
 外国人客に合わせた価格設定になりますからね」

「世界の中で、円は価値がないんです」

「アイフォンを買うのに、多額の金額を
 払わなければならない時代になります」

等々・・・・

円安→モノが買えない→貧困生活→不幸、
という生活予報の警鐘を鳴らしている。

数日前の夜、この手のニュースに触れ、
どんよりとした気持ちになったが、
目の前に広がる公園の光景に、心が温まった。

50年前、芝生の上で家族揃って過ごした思い出は、
とても純粋で、幸せそのものだ。

当時、私たち子供は
「本当は遊園地に行きたかったのに」
「レストランで食べたかったのに」などと
不平を口にする事なく、
ただただ、安心してそこにいられた。

2024年、我孫子市では連休だというのに、
公園内の図書館が開館している。

ベンチで本を読む大人もいれば、
バトミントンで遊ぶ若者もいる。

日常の空間に存在する幸せのスポット。

地域が公園や公共の施設を提供してくれる限り、
社会は、そう不幸にはならないんじゃないか?
と感じた今日この頃です。

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2024年5月 2日 (木)

今日の音楽

5月。肌寒さを感じますが、
気持ち良い季節となりました・・・

お部屋にイタリアを感じてみませんか?

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