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2024年4月

2024年4月29日 (月)

日曜日のお菓子とバスティアニーニ

日曜の朝、私たちはバールで朝食をとった。

このバールはDuomoの近くにありながら、
素朴な店構えからして、観光客の姿は見られない。

しかし、ひっきりなしにセネーゼがやってきては、
ドルチェの包みを手に、去っていく。

イタリアでは、日曜のランチの後に、
ボリュームあるお菓子を食べる習慣があるとのこと。

このバールの奥ではお菓子も作っていて、
バールとしての機能より、お菓子で支持されている感がある。

「ねえ、ここかしら? 
 エットレ・バスティアニーニが働いていたお店?」

エットレ・バスティアニーニとは、
かつてスカラ座やメトロポリタン歌劇場、
ウィーン国立歌劇場など
世界を股に活躍をしたバリトン歌手で、
マリア・カラスとも共演している。

そんな彼は、歌手になる前、
シエナのpasticceria(お菓子屋)で働いていた。

このバールは、彼の生家の近くにあるため、
「もしかしたら?」という思いが浮かんだ。

バールで会計をするマッシモが、
店の女性に尋ねると、
エットーレ・バスティアニーニの時代には、
この店はなかったという。

「エットレ・バスティアニーニの時代、
 シエナの街中には2つの店しかありませんね。
 ナンニーニかヴァンニ。
 ナンニーニとは考えられない・・・
 彼の生家のすぐ傍にあるヴァンニでしょう」

私たちは、この店から10分ほどの距離にあるエットレ・バスティアニーニの生家、
そして、かつて存在していたヴァンニの店跡を訪れた。

後日、友達のクララ宅を訪れ、
エットレ・バスティアニーニの生家を訪れた話をすると、バスティアニーニの周年記念イベントの責任者として動いていた彼女は、彼にまつわるエピソードを語ってくれた。

「エットレ・バスティアニーニはね、
 生涯、自分の父親を知る事はなかったのよ。
 母親は娼婦だった、とも言われているの。
 貧しかった彼は小さな頃から菓子屋で働き、
 自転車でお菓子の配達をしていたのよ。
 歌いながらね!
 そんな彼の歌声を聴いたシエナに住む音楽に長けたお金持ちが、彼を歌の世界へと掛渡をしてくれたのよ」

彼はスカラ座でバレリーナをしていたマヌエーラと恋に落ちる。

歳の差20歳。

バスティアニーニは海外での公演中、
喉の痛みから医者を訪れると、咽頭癌の診断を受ける。

このことは、晩年まで、医者以外の誰にも知られる事はなかった。

日本には1963年(当時41歳)と1965年(当時43歳)に来日しているが、その時は既に、癌におかされていた。

外科手術を施せば生き延びる事は出来るが、
歌手生活は閉ざされる。

「バスティアニーニはね、(歌は人生だ!)と言って、
 声帯を失う手術を拒んだの。

 44歳。まだ、若かった・・・」

そう言って、クララは涙ぐんだ。

貧しい家に育ち、
小さな頃から菓子屋で働き、
歌の世界に飛び込み、
20歳離れたバレリーナと恋に落ち、
そして、癌の苦しみを内に秘めながら歌手活動を続け、最後に恋人に見守られ、ガルダ湖で眠りについたバスティアニーニ。

彼は、生まれ故郷のシエナと深いかかわりがあった以上に、コントラーダの「パンテーラ(ヒョウ)」地区と深いかかわりを持ってた。

シエナには17のコントラーダ(地区)があり、
シエナ人は、コントラーダとの結束を生涯大切にする。

7月2日と8月16日のパリオ祭とは、そんなシエナ人達の、自分のコントラーダへの忠誠と誇りが露わになる祭り。

これから、パリオ祭に関する投稿も始めなければ・・

世界遺産に登録されたたシエナの街。

街の魅力を、そこに住む人の生活からもお伝えしていきたく思います。

Rigoletto: Act II:
No, vecchio t'inganni … Si, vendetta より

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八十八夜と水田

手賀沼周辺を自転車で走っていると、
水田で休憩をとっている農家さんがいた。

「すみませ~ん、写真撮っても、いいですか~?」

「ほー、いいですよー
 今日で田植えは御終い。
 温暖化でね、暑さが早くやってきたから、
 5月2日を待たずに、もう始めましたわ。
 昔は八十八夜を待って
 苗の植え付けをしていたけど、
 今では信用できんね。
 別れ霜が来る事もあるし・・・
 八重桜が咲くと霜が来ない、というから
 そっちの方を信頼してる。
 あちらこちらに咲いてるでしょ?八重桜
 まぁ、霜が戻っても、
 水が張ってるから大丈夫なんだけどね」

農家の方からの返事には、日本が詰まっていた。

八十八夜って、何だろう?

小さな頃から耳にしていながら、
きちんと意味を知っていない。

調べてみたら、
立春から数えて88日目にあたる日とあり、
新茶の摘み取や穀物の作付けを知らせるための生活の暦とある。

2024年の八十八夜は5月1日。

おじさんは、この後、キュウリやナスの植え付けがある、と言っていた。

別れ霜とは、八十八夜の頃に多い最後に降りる霜の事で、忘れ霜ともいうらしい。

情緒ある霜の呼び名、
八重桜の調べに植え付けを始める自然の暦、
季節の移り変わりに設けられた八十八夜という雑節・・・

農耕民族である日本に伝わる知恵や文化を感じられたひと時でした。

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2024年4月27日 (土)

イタリア人と日本

4月の上旬、
テイスティングのイベントに参加した時の事。

とあるブースでワインを試飲していると、
一人の女性がやってきて、
私たちは一緒に作り手の説明を受ける事にした。

「なんの仕事ですか?」と作り手。

「アグリトゥリズモを経営してます。弟とね」

ショートヘアでボーイッシュな彼女は、
アグリトゥリズモの場所や最近の景気、
そして沢山の猪が出没する様子を語った。

「日本にも猪がいるんですか?」

と作り手が私に話を振ると、
彼女の好奇心は私に向けられた。

「えっ? 日本はどこの出身? 
 私、数年前に日本を旅行したのよ!
 東京、京都、沖縄・・・
 沖縄の前にある孤島にも行ったわ。
 1日1往復しかフェリーが運行してないのよ~!
 そこで見た白黒の蛇、インパクトあったな~。
 富士山も行った・・・」

すると、彼女の話を聞きながら、
話に入りたがって身を乗り出していたオーナーが
ここで、上手く割り込んだ。

「ロマンティック・トレーノー!
 私は富士山の麓に泊ったよ。
 部屋には布団と畳があって、
 スパは女性用と男性用があるんだ。」

「あぁ、YO-N-SE-N、YO-N-SE-N!」
と彼女も反応。

「ONSENね」と私。

「そうそう。ONSEN。
 まず最初に、小さなプールがあって、
 そこには、蛇口と黒い石鹸がある 。
 日本人は、20分かけて綺麗に体を洗ってから、
 ONSENに浸かるんだよね」

「そうよ。彼らは、洗う前に洗うのよ」と彼女。

「私たちは温泉の温度に慣れているけど、
 あなたたちにとって、熱くなかった?38度とか」

「私は平気だったわ。寒いよりも熱い方が好き」

「私が入った時は、外に雪が積もってて、
 お湯とのコントラストが良かったな~」

「お酒、飲みました?」

「SI ! 熱いのと冷たいの」と彼女

「私は、日本酒はちょっと・・・
 日本ビールは美味しかった」

私たちは暫く、日本の話題で盛り上がった後、
このワイナリーが手掛けるワインに向き合った。

イタリアに住む皆さんも、直面されるのでは?

「どこの国の出身ですか?」聞かれ、
「日本です」と答えた瞬間、
イタリア人は目を輝かせ、
日本紀行を嬉しそうに語り出すシーンに・・・

ひと昔前、日本人にとっての観光スポットは、
ローマ、フィレンツェ、ベネツィアだったが、
今では、イタリア人でも知らないような、
小さな町や村へと赴く人も多い。

イタリア人も然り。

東京、京都、大阪、秋葉原といった枠を超え、
彼らの求める日本を探し、満喫しているようです!

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4月25日

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2024年4月25日 (木)

フランクフルトから羽田へ

ルフトハンザを利用すると、
よく、ANAのコードシェア便で

フランクフルトから羽田に向かう事になる。

私はこれまで、
エコノミー席しか利用した事がない。

ファーストクラス、ビジネスクラス、
お手伝いが必要な方、お子様連れの方・・・

の搭乗の後、やっと番が回ってきて、搭乗。

(ファーストクラスって、どんなシート何だろう?)

(どんな方が使用するんだろう?)

などという庶民感丸出しの気持ちが出てしまわぬよう、チラッと横目で観察しながら、私の席、36のCへ向かった。

私はいつも、ウェブチェックインの際、
後部座席を指定する。

最後部だと、誰に遠慮する事なくリクライニングを倒せるし、トイレも近い!

そして運が良ければ、広い席を確保する事が出来る。

今回、私の席に到着すると、隣に人が座っていない。

(やった~! このまま出航してね!)
とほくそ笑んだ。

今回、横になる事が出来る。

ファーストクラスでも横になる事は出来ないので、
何だか、偉く得した気分になった。

シートベルトをすると、
お決まりの機内安全ビデオが流れだす。

とても真面目なトーンで説明が流れる中、
機内客の一人に、日本食の板さんが職人服姿でいるのを、不思議な気持ちで眺めた。

離陸後、お飲み物サービスでは、
白ワインをリクエストすると

「よく冷えたスペイン産のシャルドネでございます」と言って、日本人キャビンアテンダントが笑顔で注いでくれた。

何だか美味しいぞ!

そして、待ちに待った夜食タイム。

なんて美味しいのだろう!
ANAの機内食のレベルが、またアップしている。

機内のオーディオも、昭和生まれに嬉しいチャンネルが多く、長いはずの空の旅が短く感じられた。

羽田で荷物を無事に受取り、
ストレスフリーで実家に到着。

大満足の空の旅でした!

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フィレンツェからフランクフルトへ

予定時間より早く空港に到着。

チェックインの開始時刻にはまだ早いけど、
列についたら、受け付けてくれた。

英語で話しかけてくる彼女に
「イタリア語でお願いします」と言うと、
「あらっ!イタリア語?」と一瞬驚かれ、
それからの会話は、敬語抜きの友達会話で始まった。

彼女は、画面を食い入るように見つめている。

「最終目的地は?」

「HANEDAです」

「OK! HA~NE~DA,…OK…
 荷物は幾つ?」

「預ける荷物は2つよ!」

私は2つの荷物のうち、
段ボールを先にカウンターの計りに乗せた。

スーツケースを想像していた彼女は、
段ボールの梱包を見た途端、少し動揺し、

また画面を食い入るようにチェックしている。

「ん…?中身を確認しなければならないのかしら?
 中身は何が入ってるの? 
 発火の可能性のモノは入っていない?」

「ジャケット、靴、家族用のお土産が入ってるの。
 危険物はありません。
 もし、確認が必要だったら、箱を開いても大丈夫よ。
 でも、ガムテープを持ってきてなから、
 どうやって箱を閉じようかしら?」

すると彼女は、2つ隣に座るスタッフに声をかけ、
段ボールの場合の操作方法を訪ねた。

スーツケース以外の形態だと、
画面の打ち込み操作が違ってくるのだろうか?

「この箱の扱いについて、
 別途、料金が発生するのかしら?」

「いや、そんな事はないわ!
 2つの荷物を無料で預ける事が出来る条件でチケットを買ったの。
 重量も寸法も、ルフトハンザ空港の規定以内だから、問題ないはず」

「ごめんなさいね。
 今日、初日なのよ!」と彼女。

「慌てなくて、大丈夫よ! 
 ゆっくりやりましょう」と私。

段ボールの荷物に関して、
年末に日本に帰省した際、
乗り継ぎのスイスで検査の対象になってしまい、
2日後に家に配達された、という経緯がある。

家に届いた段ボールを開けると、
検査をした旨の英語の手紙が添えられていた。

無事、チェックインカウンターでの手続きを済ませ、荷物チェックの列につくと「ベルトも外してください」と言われた。

空港によって、また同じ空港であっても日によって、ベルトを外したり、外さなくて良かったり・・・

靴を脱がされたり、
脱がなくても良かったり・・・

電光掲示板には、1時間の遅延とある。

フライトがキャンセルされませんように・・・

何度も飛行機に乗るけれど、
気持ちに余裕をもって臨む事は一度もない。

フィレンツェを出たら、フランクフルトに到着。

シエナの田舎で暮らす私にとって、
フランクフルト空港は大都会。

羽田空港までの冒険が続きます・・・

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2024年4月19日 (金)

カンポ広場にある郷土料理

カンポ広場から数メートルという距離にありながらも、
観光客に見過ごされている、昔ながらの食堂がある。

一見、倉庫のような外観をした扉を押し、
店内に入ると、ヴィットリオ・ガスマン似のカメリエーレが
手に皿を持ち運びながらも、
「いらっしゃい!」と顔で挨拶してくれる。

「奥のテーブル席へどうぞ」

前回も、このテーブル席を勧められた。

この席に着くと、店の様子が見渡せて面白い。

アルバイトの外国人男性がやってきて、
水はいるかどうか?聞いてきた。

「水は結構です。赤ワインください」

そう答えると、フィアスコに入れられた赤ワインがすぐテーブルに運ばれ、私たちは、この飲み口のよいワインを飲みながら、カメリエーレを待った。

ガスマン似のカメリエーレは、料理を運ぶ際
テーブルで軽い会話を交わしている。

これも、典型的な昔のカメリエーレのスタイルで、
そんな彼の会話に、他のテーブル客が聞き耳をたて、時には、会話に参加してきたりする。

外国人アルバイトは手が空いているが、
注文を取るのは、ガスマンの役目と決まっているので、私たちは、彼が来るのを待った。

私たちのテーブルにやって来た時、
順番が回って来て嬉しくなった。

ガスマンは早速、メニューを語り始めた。

「ピーチ、タリアテッレ、リコッタ入りのラビオリ、ニョッキ・・・・」

ん? いいね? というように、
私の表情を確認すると、今度はソースを語り始めた。

「ラグー、鹿のラグー、オッソブーコのソース、トマト・・・さあ、どうしますか?」

昔ながらの食堂では、
こうして、先にパスタの種類を読みあげ、
次に、ソースを伝え、
客は、好みのパスタとソースの組み合わせを伝えることになっている。

「なるほど。分かりました。
 セコンド(メイン料理)は何があるんですか?」

すると、ガスマンは、肉料理を朗読しはじめた。

「ピッチョーネ(鳩)、ファラオーネ(ホロホロチョウ)、トリッパ、オッソブーコ、豚のオーブン焼き・・・」

忘れてしまったけど、
この他にジビエ系の肉も読み上げていた。

この店は昔から地元客を相手に郷土料理を手掛け、
中でも、ジビエを得意としている。

以前、ピッチョーネを頼んだ時、
白いお皿に、気絶したかのような鳩が運ばれてきたので、
私は、ジビエ系を避け、オッソブーコを選んだ。

その前に、プリモのパスタを1品ずつ、
私はピーチを、そして友達は、タリアテッレを注文した。

この手の店はボリュームを盛ってくれるので、
シェアした肉料理も、たいあげる事が出来なかった。

すっかり満足し、会計を済ませて店を出ようとしたら、
雨が降っていた。

「雨がおさまるまで、店で待ってるといい」
と言われ、
私たちは再び席についた。

これからスタッフはまかないを食べるというのに、
ガスマンは、私たちの事を気遣い、
水とグラスを持ってきてくれて、
リッチャレッリのお菓子もサービスでくれた。

トスカーナのレストラン事情も少しずつ変わり、
中には、QRコードでメニューをダウンロードしなければならない店もある。

時代の流れに、レストランの在り方もゆっくりと染められていく中、このような、昔ながらの食堂で郷土料理を食べるひと時に、ホッとできる今日この頃です。

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蜂蜜の季節になりました

養蜂家のマウロおじさんが手掛ける蜂蜜を買いに行った。

シエナ近郊の巣箱から採れる蜂蜜の一年は、
Millefiori(百貨蜜)からスタートする。

「おじさん、今年の蜂蜜、いつ頃から買えますか?」

「ん~、来月頃かな?
 来週から寒さが戻ってくるから心配なんだ・・・」

自然の法則にのっとり、
蜂蜜の収穫量や出来栄えは、毎年、違いがある。

昨年の春は多雨や湿度が高かった関係で、
蜂が活動できた地域と、活動が鈍った地域がある。

アカシアは難しかったけど、栗はよく採れた、と言っていた。

空気の美味しい地域に生息する蜂たち。

彼らが収集してくれた土地の花を、
『蜂蜜』という甘い形で味わえるなんて!

養蜂家のおじさんから、
その土地の季節と蜂たちの働きぶりを知る事が出来るなんて!

蜂蜜って面白い!

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2024年4月17日 (水)

挨拶にユーモアを!

私の年齢からして、
イタリア人の友達の中には、年輩女性も多い。

そんな彼女たちが別れ際に使う「またね~!」の挨拶は、
「アッリヴェドルチ~!」
 arrivedolci~

本来、アッリヴェデルチ(arrivederci)
と言うべきところだが

デルチを、ドルチ(お菓子)に置き換え、
笑顔で手を振る。

ストレスを感じたら、
ちょこっと美味しい時間を挟み込み 
世知辛さと相殺。

今日も、穏やかな日でありますように・・・

では、皆様、アッリベドルチ~!

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アルドおじさんと洗濯機

朝、大家のアルドおじさんが犬を小屋から解放し
庭で自由に遊ばせていたので、
私も寝起きのままの状態で部屋から飛び出し、
犬と戯れた。

30分ほど過ごした後、おじさんは

「洗濯機を外に出しておくか。
 後で若いのが来て、洗濯機を持ち帰る。
 それから、変わりの洗濯機を設置だ」

と言って、
台車を手にして、私の部屋に向かった。

壊れた洗濯機の給水ホースを蛇口から外すのは、
そう簡単ではなく、おじさんは苦戦している。

「パパガッロ(オウム)がいるな」

と言って部屋を出ると、
工具の入ったカバンをもって、戻ってきた。

パパガッロ(オウム)って何だろう?
と思っていたら、それは、先がオウムのくちばしのような形をしたペンチ、ニッパーだった。

「お~ぃ、ハサミ!」とおじさんが言うと、

「はいはい。ハサミ、ハサミ!」と言って、
私はすぐにハサミを手渡した。

「ちょっと、ここ、掴んでおいてくれ」と言われ
ホースのその部分を掴むと、
「ブラーヴァ」と言って、
オジサンはまた、黙々と作業に取り掛かる。

やっとの事でホースが外れ、
87歳のアルドおじさんと私で、エッチラオッチラと部屋の外まで洗濯機を運び出した。

何だろう?
この懐かしい感覚。

安心して一緒にいられる感覚。

私の話を聞いてくれる感覚。

何をしているのか良く分からないけど、
一生懸命のお父さんを見て
「お父さんは凄い」と感じていた、

遠い昔の感覚・・・

器械化、利便性、時短、サービス化・・・

昭和の生活に比べて、日常生活の中で、お金さえ払えば便利を手に入れる事が増えた。

そんな中、ふと、昔懐かし薫りに触れた、
今日この頃です。
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2024年4月16日 (火)

ご注文いただいたワイン&オリーブオイルは、ミラノに到着です!

皆様、こんにちは。

この春も、ご注文をくださいまして、
改めまして、感謝・お礼申し上げます<m(__)m>

イタリアの大地で育ったワインやオリーブオイルが、

作り手さんから私の元に届き、
シエナの作業場からミラノにあるクロネコヤマトさんに到着。

今回も無事、全ての荷物の輸出通関許可がおり、
日本に向かって、進んでまいります!

17日にミラノの空港に搬入。

日本へのフライトは、19日を予定しております。

成田空港に到着後、羽田に移動し、
それから地方局へと分けられます。

私が発送する荷物は、全て
人の手によるリレーの積み重ねです。

作り手さんが1箱ずつパレットに積み、
ドライバーに託された荷物が私の元に到着すると、
1箱ずつ、作業場に下ろします。

梱包した荷物は、1箱ずつドライバーと一緒に荷台に積み、クロネコヤマトさんへお届け。

クロネコ ミラノ支店のスタッフの方が
1箱ずつ荷物を確認、点検し、
このようなパレットが出来上がりました。

荷物の輸送に携わってくださるドライバーの皆さん、
そして、クロネコヤマト ミラノ支店のスタッフの皆様、
丁寧に荷物を扱ってくださって、
ありがとうございます!

これから、日本の関係者の皆様、
どうぞ、お客様のご自宅までのお届け、
宜しくお願いいたします!

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2024年4月15日 (月)

サンフランチェスコ教会にある奇跡

アッシジのフランチェスコが亡くなった2年後の1228年に創建したシエナのサン・フランチェスコ教会。

見事なステンドグラスがあるにも関わらず、
この教会を訪れる観光客は少なく、
今日もひっそりとしていたが、
奥の小部屋には人の姿があった。

その小部屋は、誰にでも開放されているのだけど、
私は入る事が出来なかった。

単なる好奇心でこの空間に入りこんではいけないような、そんな感覚に襲われてしまった。

この教会は「ミラクル」としても知られている。

遡ること、1730年8月14日。

この教会から、カトリックのミサの儀式で使われる円形の薄いパン「ホスチア」が盗まれてしまった。

3日後の8月17日、
ホスチアがプロヴェンツァーノの教会で見つかり
サン・フランチェスコ教会に戻されたが、
その後、使われる事もなく、忘れ去られていた。

長い年月が経ち、発見されたホスチアを見ると、
その状態には劣化が見られない。

1914年、化学者グリマルディ教授によって、
ホスチアの分析と試験が実施されると、
その結果は驚くべきものだった。

ホスチアの成分である小麦粉は、
微生物や寄生虫、腐敗発酵等にとって最適な培養培地である。

にも拘わらず、粒子に光沢があり滑らかで、
擦り切れたり崩れたりもしていない。

一体、何の改変が加えられて、
このような化学的法則に反した異常現象が起きているのか?

これが「ミラクル」と呼ばれる所以です。

そんな「奇跡のホスチア」が置かれている小部屋に、
まるで病院の待合室で長い順番を待つかのように、
数人の人が寡黙に座っている。

それはまるで、絶望の中にあって、
僅かな奇跡にすがるような、

そんな空気を感じてしまい、
私は好奇心でその部屋に入る事が出来なかった。

教会について、
建築の様式や構内に掲げられた絵画、彫刻など、

芸術的な視点で記述される事が多い中、

「祈りの場」「癒しの場」「救いを求める場」
である事を感じた今日この頃です。
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2024年4月13日 (土)

洗濯機とアルドおじさん

昨日の夜、洗濯機が故障してしまった。

蓋についているゴムの一部が切れ、
そこから水が流れ出してしまう。

1時間かけて床を掃除しているうちに、
気持ちが暗~くなってしまった。

基本的な問題は、洗濯機なのだが、
その問題から波及する2次的問題、大家さんとの論争を妄想してしまう。

「洗濯機が壊れてしまったんです」と私。

「新しいのに取り換えるけど、支払いは君だよ。
 だって、君が使ってたんだから」と大家さん

「でも、賃貸契約書には、
 arredato (家具・備品付)とあります。

 その場合、故障の際には、大家さんが支払いを持つ、
 と思いますが‥‥」と私。

「でも、君が使って壊れたんだろ?」と大家さん。

挙句の果てに、私は半額を支払うのかな?と
妄想していた。

大家さんの言いなりにならないよう、
多岐に渡ってサポートしてくれる政府機関「Patronato」にも相談日の予約を入れておいた。

翌朝、小鳥がさえずり、気持ちよい天気にも関わらず、
私の気持ちは曇っていた。

窓から、大家のアルドおじさんの声が聞こえる。

私は咄嗟に家を出て、
アルドおじさんが腰掛けるベンチに座った。

「おじさん、おはようございます」

「やあ、おはよう!」

「実は、お願いがあるんです・・・
 洗濯機が壊れてしまいました。
 私、母に会いに日本に帰省しますが、
 その飛行機代が高くって・・・

 節約しているんです。
 洗濯機にお金をかけたくないんです。
 でも、故障しちゃって、困っちゃって・・・」

するとおじさんは、
「取り換えるよ! お金は要らんさ!
 今日の午後3時に、様子を見に行くからね」

と言ってくれた。

その瞬間、私の気持ちにぱ~っと晴れ間が戻ってきた。

最初から、心で相談すればよかったんだね。

私は、心の底で、相手が言ってくる事に対して
こういう切り札を出せば勝てる、
と勝負ばかりを考えていた。

勝負は、どちらかが勝てば、どちらかが負ける。

負けた方としては、ず~っと心にその思いが残る。

いつの頃からか、自分の立場を主張したり、
正当化する為の証拠資料を集めたり・・・・

相手を負かすような意気込みで、
問題に取り組んでしまう自分に気付く。

洗濯機の問題を通じて、
私の性格の一部の汚れが落ちたような今日この頃です。

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今日のカンポ広場と、1717年のカンポ広場

1555年、フィレンツェとの闘いに負けて以来、
シエナはフィレンツェに統治されていた。

1717年、シエナはフェルディナンド・デ・メディチの妻であり、トスカーナ大公子妃である、ヴィオランテ・ベアトリーチェ・ディ・バヴィエーラに統治されていた。

その彼女がカンポ広場にやってきた時の光景。

写真のない時代は、
こうしてイラストで当時の様子を記録している。

中央手前の馬車に、バヴィエーラが乗っていて、
その後ろに、11台の馬車が続いている。

建物の上の煙は、
恐らく、今日の花火の役割だと思う。

広場には、庶民、商人のテント、馬車、荷を運ぶ動物、犬等など・・・

活気溢れる庶民生活の営みが伺えますね。

今も昔も、カンポ広場は庶民の生活の舞台です!
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1717年のカンポ広場には、犬も沢山いますね!
私は、6匹、見つけました。
市庁舎の上、広場を囲む建物の上には煙が立ち、
祝典ムードが伺えます。
がしかし・・・
シエナ市民は誰もバヴィエーラの馬車を気にする人がいないのも、興味深いです・・・?

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1717年のマンジャの塔。
時計の上には、三角屋根がつけられています。

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現在のマンジャの塔。
1717年のイラストにあった、
時計の上の三角屋根の跡がみられます。

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2024年4月10日 (水)

わざと、こうして見せてくれるんです!

シエナの旧市街地に向かう長いエスカレータを上っていると、白い壁が剥がれ、レンガがむき出しになっている部分がある。

このレンガ部分は、
1200年代からあるシエナの城壁の一部。


表面はレンガが積み木のように配置されているが
面と面の間(空洞の部分)は、レンガや石、銅など
色々な材料で埋められている。


エスカレータで、中世の城壁の構造を見せてくれるなんて、なかなか、面白いアイデア!

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もう少しだけ、お花見気分

まるで、指揮者が指揮棒を振り落としたかのように
サクランボの花が、パッと咲き始めた。

アーモンドやスモモの花は散り始めたけど、
桜と同じバラ科サクラ属の花をもう少し鑑賞できることは何とも嬉しい!

ケシの花、カラー、藤の花、チューリップ、スミレ等など、
色とりどりの花が咲き誇っている中、
桜に似た花を見ると、つい
「あっ!咲いている!」と心を寄せてしまう。

桜に寄せる気持ちから、
日本人のDNAを感じる今日この頃です。

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TOKYO LOVE STORY

シエナのメイン通りにある書店に、
「TOKYO LOVE STORY」という新刊が並んでいた。

いつもは、日本人作家の翻訳された本が並ぶけど
この本の著者は、日本人ではない。

早速、作者のYasmin Shakaramiさんを調べてみると、
以下のような情報が見つかった。

ヤスミン・シャカラミさんは、1991年ミュンヘン生まれのハンガリーとイラン人のハーフ。

学校卒業後、東京に移り住む。

2011年3月の東日本大震災を経験し、
普段は高度に組織化されている大都市が大混乱に陥るとはどういうことか?を身をもって体験。

後に、ミュンヘンで哲学と倫理学を学び、
修士号を所得した後、
バンクーバーにドイツ語、ドイツ文学、
ドイツ哲学の学校を設立。

ミュンヘンに戻り、2021年度、
ミュンヘン文学奨学金を受賞。

「東京の雨」は彼女の処女作。

なるほど・・・

「TOKYO LOVE STORY」の物語には、
大災害が東京を破壊するシーンがあり、
荒廃した大都会で、主人公のマルは愛するケンタロウを必死に探す・・・とある。

もはや日本は、日本人だけの発信にとどまらず、
外国人の方も発信しているんですね!

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2024年4月 7日 (日)

春の味覚 ご注文ありがとうございました!

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イタリアで生きるには趣味を持つ事が大事

教会のコンサートに参加した。

ピアニストは、エリーナだけど、
彼女は歌も歌うので、彼女が歌う時は、
私が彼女の伴奏を務める。

聴衆の殆どは高齢のシスター。

歌を聴く様子から
彼女たちの子供のような純真さを垣間見た。

あるシスターは、手と手を合わせ
神様に祈るように聴いている。

あるシスターは、両手で拳を握り、
音楽の抑揚に合わせて、

感情の赴くままに、拳で膝を叩いている。

一緒に口ずさむシスターも沢山いる。

会が終わると、何人ものシスターが笑顔でやってきて、「今日は本当に楽しかった!ありがとう!」と言ってくれた。

その笑顔は、おとぎ話に出てくる優しくて善良なおばあさんのそれだった。

私は今、仕事がとても忙しく、
この日も、ギリギリまで家で仕事をしていた。

「こんな事、引き受けなければ良かった・・・
 もっと、仕事に集中したいのに」

とブツブツ言いながら、曇った気持ちで教会に行った。

しかし、コンサートを終えてみると、
ガラッと私の気持ちが変わっていた。

お金の為の仕事。

コニュニティーの為の音楽。

後者はお金にはならないけど、
損得勘定、利害関係が全くない、
そして、「誰が上手か?」という比較もない、ただ、気持ちよさと感謝の調和が流れる空間。

シエナでは、人と会う時、
仕事の名刺は全く意味を持たない。

でも、「私は〇〇が出来ます」「私は〇〇が好きです」という自分の世界観は、とても意味を持つ。

イタリアがそういう傾向にあるかどうか?
分からないけど、

少なくとも、シエナでは、
プロや肩書、有名大学出身を問わず、
少しの技能やパッションがあれば、
社会に関われる機会が与えられます!

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2024年4月 4日 (木)

シエナは塔の街

シエナの市庁舎には、
1338-1339年にアンブロージョ・ロレンツェッティが手掛けたフレスコ画『善政と悪政の寓意と効果』があります。

中世都市シエナのイメージを体現した絵の中には、
沢山の塔が描かれてますね!

実際、街を歩いてみると・・・

あるある!

見過ごしてしまいそうですが、
まるで隠し絵のように、あちこちに塔がある!

シエナにいらしたら、是非、
Cassatorre(塔のような外観を持つ中世の邸宅)を見つけてみてください!

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塔に刻まれたアルファベット
どんな意味があるのでしょう?
いまだ、解読されていません。

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塔にはめ込まれたタイル。
上の段には、1224年に設立との記載が。
下の段には、1798年に修復された記載がある。

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春の力

私の家を通過するバスは少ない。

街から家に戻るバスを待っていたが、
やってきたバスは、
私の家の1km手前が終着地。

でも、日が延びた事だし、
あえて、そのバスに乗り、
終着地から歩いてみる事にした。

実際に歩いてみると、
バスの車窓からは味わえない、
自然の息吹がビシビシと感じられた!

線路わきに咲く野の花、
アスファルトを押しのけて咲いているケシの花、
深みある緑の絨毯の大地・・・

誰かが水を撒くわけでもなく、
誰かが剪定をするわけでもなく、

この時期、自然に力に圧倒されてしまう。

もうすぐ、アフリカからツバメたちも到着するでしょう。

考えてみたら、海を渡る彼らの飛行能力も凄い!

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頑張ってね~、ツバメチャンたち!

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