言葉の魔法ゲーム
街中で偶然、ある女性と会った。
というよりも、会ってしまった。
彼女は友達を連れていた。
彼女は、テレビ映画の話題に夢中になったので、
私もそれに続き、最近観た映画の話をした。
「アンドレの生涯を物語った映画を観に行ったよ」
と言った途端、
「私、アンドレ、大嫌い。
あんなの何処かいいの?あの息子がまた酷いのよ」
と言って、彼の息子がどんなに酷いかを繰り返した。
「イタリア人はアンドレの詩を褒めるけど、
私には全く分からないわ。
イタリア人って音楽が全く分からない人種よ。
キヨミさん、そう思わない?」とふられたので
「プッチーニもヴェルディもイタリア人。
パバロッティだって、ボッチェッリだって・・・」
と言ったとたん、
「ボッチェッリー!
あんな音痴、音楽家だと思ってるの?止めてよ!
あなたの頭、大丈夫?正気なの?マンマミーア」
と彼女の口調が激しさを増していった。
「音楽は気持ちや感性で聞くと思うよ。
それぞれの人にとって、いいな、と思う人が違う。
じゃあ、あなたは誰が好きなの?」
と尋ねると
「マイケルジャクソンよ。リズム。
あのオリジナルのリズム!」と言い、
彼女の口調は興奮を増していった。
私は時計をちらっと見て「用があるから、行くね」
といって、その場を立ち去った。
その時から、なんとなく気持ちが重い。
パトリッツィオや彼の仲間たちからも
「キヨミ、お前はアホか!」と言われるけど、
言葉の裏に愛情があるので、かえって親しみを感じる。
でも、攻撃的な人の言葉は内面の怒りやコンプレックスを帯びているせいか、とても重い。
彼女は、悩み事があると私に連絡をしてくる。
そんな時は盛り上がる。
でも今回のように彼女が他の友達を連れている場合、
私に対してどこか攻撃的になる事が多い。
以前は「彼女の中にいい面を見つけよう」
と努力をしながら付き合ってきたけど、
そんな努力はしなくていい、と確信した。
今日の朝、ベッドの中でふと思った。
「あれは、魔法なんだ!
彼女の言葉を浴びた後、
友達との普通の会話が素晴らしく思える。
私の話を聞いてくれる友達たち、
なんて優しくて有難いんだろう!
お母さんが語る今日の話題、
なんて清々しいんだろう!
パトリッツィオのユーモア、天才的!」
彼女から浴びた言葉の感覚があるうちは、
普通に思えていた言葉が素晴らしいものに映る。
彼女の言葉の感覚が消えないうちに、
出来るだけ沢山の言葉や人を
「素敵だな」に変換していこう!
考えてみたら、塩に対して
「どうしてしょっぱいんだろう?
もっと甘くあるべきだ」と甘くすると、料理が物足りなくなる。
塩を上手に生かすと料理が美味しく完成するように、
塩辛い言葉も「魔法ゲーム」を通じて、生活の調味料にしてしまう。
そんな事に気付いた途端、気持ちが軽くなってきた今日この頃です。
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