« 38度がやってくる! 天然冷房を作らねば! | トップページ | 忍耐の夏 o(^・x・^)o »

2017年8月 1日 (火)

家族の幸せが大きな幸せ

イタリア時間の昼過ぎに実家に電話をかけると、
今日も母は「もしもし」と言う代わりに
「今日も無事、終わりました~」と電話に出たので、
私もいつもの通り「今日もご苦労様~」と伝え、
それから母の言葉に耳を傾けた。

「来月、80歳以上の教会員を祝す会があってね、
 お父さんのコメントも求められているのよ。
 そこで、お父さんに、
 《どういうコメントを書く?》って尋ねたら、
 《そうだな~病気の身となりましたけど、今が一番幸せです》って・・・そう言ったのよ!」

「え~!本当にそう言ったの? お父さん」

「ホント、そう言ったのよ!」

父は口下手で、お世辞を言えない不器用な人間だ。

今まで、イタリアから持ち帰ったお土産も、
「キヨタン、このカバン、重すぎて使えないよ」とか
「このオペラのCDは今一だな」と言うので、
シエナに持ち帰ったものもある。

イタリアに留学を決めた時も
「どうして、イタリアなんかに決めたんだ」と言い、
私が個人事業を起こすと決めた時も、
失敗例を羅列して私の気持ちを暗くさせた。

そんな父が今年の2月に脳出血で倒れた。

その後、他の病気も併発させながら
危ない場面にもさらされた父が、
〈今が一番、幸せです〉と口にした。

私にとっての父の思い出は、
布団の中で昔話を聞かせてくれたり、
ピアノの練習を聞いてくれたり、
廊下に置きっぱなしのランドセルを庭に放り投げたリ・・・

どれも小さな頃の思い出ばかりで、
私が高校生になってからの思い出はとても淡い。

この前の5月、日本に帰省して病院を訪れると、

「迷惑かけて、すまん」
と顔をくしゃくしゃにして大声で泣いたので、
父の肩に手をかけて
「近くにいてあげられなくて、私の方こそ、ごめんね」
と言って、私も泣いた。

その数日後、父を介護タクシーに乗せ、
2時間だけ実家に連れ戻した時も、父は声を出して泣いた。

父は2月に倒れてから、
病院やリハビリセンターで辛い経験も沢山したけど、
1か月前から、
家の近くにある施設で穏やかに生活をしている。

〈ありがとう〉〈寂しい〉〈嬉しい〉と口にする父を、
最初は別人のように思えたけど、
そういう感情を表す父にも慣れてきた。

父が健康だった頃、
家族そろって食事を囲んだ時もあったけど、
それぞれが自分の生活に関心を置いて過ごす故、
会話はどこか表面的で、
食事がすむと、父は自分の部屋に戻って行った。

でも、父の病気を通じて、私達家族は寄り添った。

パトリッツィオやシエナにいる友達、大家さんも、
父や母の事を気にかけてくれる。

人の家族を見守る、という感覚を初めて知った。

「歩けなくなったけど、そこにも喜びがあるはずよ。
 お父さん、今の生活に慣れて長閑に過ごしてくれると思う」

と母と励ましあったけど、

実際に父の口から「幸せ」という言葉を聞けた今、
母はこれまでの苦労が癒され、
私も、父が生まれ変わってくれたかのような奇跡に胸が一杯になった。

明日は、何が起こるか分からない。

でも、今日を無事に過ごせました。

感謝です!




|

« 38度がやってくる! 天然冷房を作らねば! | トップページ | 忍耐の夏 o(^・x・^)o »