繋がっている人たち
左耳の奥に痛みを感じるので、
近くの総合病院に行った。
日本で耳鼻科にかかるのは、29年前ぶりだ。
受付で初診の手続きを終え、
待合室で私の名前を呼ばれるのを待った。
「大多和さ~ん、お入りくださ~い」
看護婦さんに呼ばれ先生の前に座った時、
思わず、大きな声を上げてしまった。
「あ~! 工藤先生!」
先生は、
「やはり、大多和さんですよね、お久しぶりです」
先生の声はあの時のままに柔らかく、
笑顔はもっと優しくなっていた。
29年前の冬、
私は顔面完全麻痺になってしまったので、顔への神経を通すため、耳の裏の頭蓋骨を削る手術をした。
その時、手術をしてくれた主治医の先生が、
工藤先生だった。
あれから先生は病院を変わり、私も引っ越をした。
突然の再開に、お互い驚き、懐しさに包まれた。
今回、短い日本滞在の中で、
高校時代の友達とランチをし、
中学と短大時代の友達と電話で話し、
松戸教会に顔を出すと、幼少の私を知る人から
「聖美ちゃん」と声をかけてもらい、
親戚のお姉さんや叔母さんと会い、田舎を懐かしんだ。
弟や妹と過ごす時間もあり、
両親とも毎日、濃い時間を過ごした。
これって、シエナ人の過ごし方に似ている。
シエナ駅の近くにあるコープや病院、
カンポ広場に続くメインストリートを歩くと、
シエナ人は、たいてい誰かしらと会う。
パトリッツィオはよく、立ち話をしないまでも、
軽く目で挨拶をしている
「あいつ、小学校が一緒だった。
名前は憶えてないが・・・」
そして時々
「今日は、従兄弟にでも会いに行くかな?」
と思い付きのまま、車を走らせる。
私はこれまで、
自分の仕事に関わる場所に出向いてはイタリアを語り、
そこに集う人と、縁を深めようとしていた。
今回の帰省で会った人は、
私の仕事には係りのない領域にいる人が多く、
また、彼らにあった時、
私は「イタリア」の話題を殆ど口にしなかった。
自分の中に、バランスを感じる。
仕事の世界に生きる自分と、人間社会に生きる自分。
40代の価値観の変化って、目まぐるしい~!
いつも思うけど、今が一番、楽しいです!
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