「1966年の秋、フィレンツェで大洪水があったんだ。
何世紀も前に書かれた手書きの本も泥まみれさ。
当時、”フィレンツェの芸術を救おう”って
世界中からボランティアが集まった。
泥まみれになった芸術品は、
ボランティアの手から手へと
バトンタッチされていったんだ。
当時は、有志が動いていた」
パトリッツィオが懐かしそうに、当時を語った。
「でも今はさ、災害が起こると
‟被災地にお金を振り込んでください”
で済んじゃうだろ?
個人的に被災地に向かうと、かえって迷惑になる。
効率的なのは分かるけど・・・
当時、救済に関わった若者が感じた
団結・連帯感みたいなものは薄れたな」
先月の日本帰省で、
アマトリーチェの震災の為に義援金を集める
食事会を開催した。
食事会に参加した方、食事会の会場「サンヤコピーノ」のシェフ、ケンちゃんから集まったお金をもって、シエナに戻り、シエナのアマトリーチェ災害本部宛にお金を送金した。
義援金について、
「お金は被災者に渡ることなく、
どこかの機関の懐に入るんじゃないか?」
という声も聞く。
確かに、そういうケースもあると思うけど、
今回は視点を変えて、ピュアな気持で向き合いたい、
と思った。
食事会に参加した人は、
「お金を与える」という意識より
「参加できる」という連帯感を喜んでくれた。
この会を通じて、私たちは、与えられた。
このお金が、私たちの見えないところで、
形になってくれるといいな。
被災地の方が、ぐっと心に元気が出るような、
そんな動機のほんの一部に、
このお金が関わってくれるといいな。
この日、
錦糸町で行われた食事会に参加してくれた人の殆どは、
シエナに訪れた事があるか、
シエナの街に関心を寄せてくれている人。
何だか、シエナが畑のように思える。
一つ一つの小さな種が、実を結んでいく。
今日の新聞に、
「シエナ発、日本でアマトリチャーナ。
震災の義援金がイタリアに戻ってきた」
と紹介された。
シエナの街に関わる日本人の団結力、
遠く離れた地であっても、
このようなグローバル化が存在する事を、
シエナの街も喜んでくれた。
実りの秋。
目には見えないけど、
人の集いから何かが実る事を信じたい今日この頃です。