雨上がりの散歩
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ミラノのスカラ座周辺にある
老舗のお菓子&バール巡りをした。
1936年創業「Sant’Ambroeusサンタンブローズ」の
マロングラッセが美味しい、との情報を基に、
ブランド街を探し歩く。
意外と簡単に店は見つかり、入ってみると、
まるで5星ホテルのロビーに居るような錯覚を受けた。
ミラノの紳士達がバッチリと決めたスーツ姿で
カフェをするシーンは、映画そのものだ。
バリスタの佇まいもエレガントで、私の知る
シエナのバールと同じ業種とは到底 思えない。
流石、プラダが出資しているだけある。
「マロングラッセ、ありますか?」と尋ねると、
「今の季節はありません。10月以降です」と言われ、
季節限定品という条件が、
ここのマロングラッセの価値を更に高めた。
価格を尋ねると、
1粒、3ユーロだったか3.5ユーロだったか、
今では記憶が曖昧になってしまったが、
10粒買うと軽く5,000円を超えてしまう高級品である事は確かだ。
宿泊したホテルの近くに
「Giovanni Galli」というお菓子屋さんがあり、
そこもマロングラッセで知られた店だった。
1911年創業で、店内には、フランスやドイツなど、
世界のコンクールで金賞を獲得した賞状が飾られている。
店内に入ると「マロングラッセをお求めでしょ?」
と女性店員から声がかかった。
量り売りなので、1粒の金額は定まっていないけど、
平均すると、1粒2ユーロ。
ブランド街から少し外れた所にあり、
先ほどの「サンタンブローズ」に比べると嬉しい価格。
お次は、1817年創業のCOVA。
先ほどの「サンタンブローズ」の並びにあり、
日本にも支店があるけど
折角なので、ミラネーゼらしく
カウンターで珈琲とチョコレートをいただいた。
ここもまた、5つ星ホテルの風格が漂っていて、
バリスタに「全く~、今日も暑いわね!」
なんて気楽に声など掛けられない。
このまま、ホテルに戻ろうかな?と思ったけど、
ついでにスカラ座の脇にある
「VERDI」というバールにも行ってみた。
店構えを見た途端、私のアンテナにスイッチが入る!
名前は、イタリアを代表する作曲家のベルディ。
入口には安っぽいオレンジ色で
パスタ&ピッツァと書いてあり、店内には
ターバンを巻いたインド人客がテーブルに着いていた。
深みある赤いソファー、
テーブルに乗っている作曲家の像、
額縁にある過去の偉大な音楽家たち・・・
全てがレトロだ。
店内には、マダムと呼ぶには程遠いオバチャンがいて
気付くと、いつもの調子で、気楽に話しかけていた。
「このお店、いつからあるんですか?」
「ん~、私は35年勤めてるのよ。その前からあったわ」
棚には、1900年前後に印刷されたオペラの台詞本が積まれていて、5ユーロ~8ユーロで売られている。
「こんなに古い本、どこから来たんですか?」
「コレクションをしている人達のものだったのよ。
今日まで、生き延びている」
この台詞、
以前、クララの家でランチをした時にも耳に残った。
クララは陶器が大好きで、
マイセンなどの昔の作品も持っている。
「これ、今まで、生き延びてくれてるのよ!」
その言葉の聞き心地が良くて、
(古いものを大事に愛でるって、美しいな)
と刺激を受けたのが2週間ほど前。
このオバチャンも、同じ表現を口にした。
「昨日、オセロのオペラを観たから、
その本を探したいんです」
「オセロだったら、これよ!」
「これは、ヴェルディのオセロ。
私が観たのは、ロッシーニのオセロなんです」
「あら、ロッシーニもオセロっていう作品書いたの?
ヴェルディは、パクったってこと?」
「いや~、その辺はよく分からないんですけど・・・」
結局、ロッシーニのオセロは見つからず、
「椿姫」「リゴレット」「セヴィリアの理髪師」の台詞本を買った。
あるページには、
1890年4月26日と鉛筆でメモが書かれている。
普段、あまり買いものをしないけど、この日は、
心が小躍りするようなショッピングを楽しみました!
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同行したMさんのミラノでの目的は、
スカラ座でのオペラと最後の晩餐の鑑賞。
「シエナでお世話になる分、ミラノは私に任せてね!」
と言われていたが、スカラ座のボックス席は高額だし、
ミラノのホテルはデラックスルームで、1泊の料金は、
私の家の近所にある4★ホテルの一週間分に相当する。
とにかく、私の日常レベルから かけ離れた内容に
戸惑いながらも、ご厚意に甘える事にした。
初めてのスカラ座。
そして、私の大・大・大好きなフローレス!
でも、慣れぬことにはトラブルも・・・
私はシエナで自然体な生活を送っていて、
靴もカバンも洋服もブランド品を一つも持っていない。
幸い夏なので、黒いワンピースさえ着れば、
なんとかイブニングの雰囲気を真似る事は出来る。
スカラ座に向かう前、ホテルに戻って着替えたら、
なんと、スカートの裾から裏地が出ている!
家で洗濯をした際、
表の生地は縮んでしまって丈が短くなり、
裏地は、元の長さを保っている。
スカラ座は、遅れた人を入れてくれないので、
このまま、部屋を出るしかない。
私は、裏地を引き上げて、
腰のあたりで裏地を掴みながら歩いた。
恥ずかしい、という感覚がなく、
「シメタ!ネタが出来たゾ!」
と笑って喜んでしまった!
トスカーナ人の気質になってきた
と確信する今日この頃です!
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日本からいらしたMさんの誘いを受け、
ミラノまでご一緒した。
イタリアでは、外の世界に出ない人を、
pantofolaia(スリッパ族)と呼ぶ。
私も典型的なスリッパ族だから、
シエナ以外の街に関しては全くの無知で、
たった1泊二日の間に、
良くも悪くも、驚く事が沢山あった。
シエナからミラノに向かうバスでの出来事。
遠距離バスは、必ずと言ってよいほど定時に現れず、
バスを待つ人同士「来ないですね~、心配だ」と会話が始まるのが いつもの光景。
今回、私がネットで購入したのは、朝の9時発ミラノ行
乗り換えなしのダイレクト便だ。
「時間通り来ませんけど、
そろそろ行きましょうか?」
近くのバールでゆったり珈琲を飲んでから、
バス停に向かった。
バス乗り場には、同じ会社のバスが到着している。
何やら慌てた様子の運転手に
「これ、ミラノ行ですか?」と尋ねると
「そうだ」と返事が返ってきた。
9時まで、あと10分ある。
私が持つチケットを提示すると、
「このチケットのバスは1時間前に出発しちゃったけど
とりあえずこれに乗って!
ボローニャで乗り換えが発生するよ」
と言われ 私達が乗り込むとバスはすぐに走り始めた。
手元のチケットには9時と印刷されているが、
そのバスは無くなっていて、1本前の、
遅れをとっているバスに乗り込んだことになる。
とにかく、このバスに乗れてラッキーだ。
前日も同じような事があり、
Mさんとモンテプルチャーノの街からシエナに戻る際、
バスのチケット売り場で言われた17:40発が存在せず
19:10分のバスで戻ってきた。
「聖美さん、イタリアのバスって
旅行者にはハードルが高すぎますね!」
イタリアの住人にとっても、長距離バスは手ごわい。
でも、今回のシエナ→ミラノまで、
380キロを走行するバスの料金はたったの9ユーロ。
トイレも冷房もあって快適。
乗車客は少なく、リムジンのようだ。
何が起こるか分からないイタリアを渡るコツ、
それは、沢山の予定を詰め込まない事。
~郷に入れば郷に従え~
スローライフの国イタリアでは、
たっぷりと時間に余裕を持たせておけば、
寄り道・回り道をする羽目になっても、
その流れにのって、別の光景を楽しめます!
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シエナでは、毎週金曜日に、
作り手さん自らが販売する市場が開かれます。
作り手さんから説明をきくと、
食材の背景に自然がより感じられて、美味しさアップ!
今日は、お野菜を仕入れました!
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今年の誕生日に、
パトリッツィオからALLEVIのCDをプレゼントされた。
ALLEVIの音楽は天使の遊戯のようで、
愛と光と自然の滴が音符になり、それをALLEVIの感性で繋げて旋律が放たれるかのようだ。
数か月前、
シエナでALLEVIのコンサートがある事を知った。
私は早速、パトリッツィオに電話をした。
「ねぇ、ALLEVIが来るんですって!
一緒に行ってくれる?」
「ああ、いいよ」
「じゃあ、チケットを2枚、買いに行くわね。
ネットでの申込みもあるけど、
CDショップに行って、買ってくるわ!」
これまで何度か
パトリッツィオとコンサートに行ったけど、
演奏が始まり、5分も経つと鼾をかきはじめてしまうので、彼を誘う事が少なくなった。
それでも、私が伴奏する会があったり、
知合いが演奏する時には、喜んで聴きに行ってくれる。
ALLEVIのコンサートを告げた時、
「俺は行かないよ」との答えも想像もしてたけど、
「ああ、いいよ」という返事を聞いて、ホットした。
チケットを購入した後、
パトリッツィオとバールで落合うと、
「俺も、ALLEVIのコンサートを知って、
密かにチケットを買うつもりだったんだ。
キヨミへのサプライズプレゼント作戦、失敗だ!」
と告白したものだから、私の付添ではなく、
彼の意志で行くつもりだった事を知り、
すっかり嬉しくなった。
と同時に、私はどこか、悲観主義者なので、
どこかでドンデン返しがあるのではないか?
と、高まる気持ちにブレーキも踏んだ。
その後、パトリッツィオは
手術の為に入院をすることになった。
本当は、7月4日に退院できるはずだったけど、
1週間が経過しても熱が下がらず、検査が続いたから、
15日のコンサートは諦め、
そのチケットをどうしようか?と考えていた。
幸い、彼は、コンサートの二日前に退院できた。
「これでコンサートに一緒に行ける!」と思ったけど、
次の瞬間、全く反対の事を考えた。
「ねえ、無理するの、辞めよう。
人混みに出ると、ウイルスもらうかもしれないし、
疲れるよ。コンサート、キャンセルしよう」
すると彼は、「いや、俺は行く!」と言い切る。
彼は、自分の意見を滅多に曲げることはない。
「だったら、タクシーで会場まで行って、
10分くらいしたら、帰ろう?」
「Oh~キヨミ、俺は、観る」
コンサートの当日、会場に向かう途中も
「どう?具合は?」と尋ねたけど、
結局、会場に到着した。
音楽に強い関心を示さない彼だけど、コンサート中は、
ブラーヴォと呟いたり、
ALLEVIのトークに頷いたりしている。
美しく純粋な旋律、7月の甘い夜風、
パトリッツィオの匂いと息と厚い存在感。
今後、眼を閉じてALLEVIの音楽を聴きながら
この日を思い出そうとすると、
この時の空気が私を撫でてくれるのかな?
本当に満たされた夜だった!
神様に感謝です。
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南トスカーナのモンテプルチャーノ村で
ワイン作りに勤しむルカを訪ねた。
彼の畑は、モンテプルチャーノで1、2を争うほどの
有名な蔵の畑に隣接している。
先週の日曜日、
この地に、ぞっとするような雹が降った。
有名な作り手、P社の樹をみると、
葡萄の葉には穴があき、房もダメージを受けている。
ダメージを受けた葉は、
リンパを流す事も、光合成の能力も衰え、
破裂した葡萄の粒からは果汁が流出して、
カビが発生するだろう。
そうなると、
何かしらの薬を用いた処置を施すことになる。
一方、10メートルしか離れていないルカの畑をみると、
被害を受けているはずの房や葉の状態が全く違う。
傷がついた葡萄の粒は黒く縮れて、
自らポロっと地面に落ちる。
穴のあいた葉以上に、新しい葉が誕生し続け、
エネルギーに満ちている。
雹が降ったのは、夜の7時。
ルカは、その日の夜、傷ついた葡萄に銅を散布した。
銅は、自然物質として、
無農薬農園に一定量の使用が認められていて、
殺菌消毒の効果がある。
「キヨミ、例えば、人は傷を負うと、
病院に運ばれるよね。
同じ傷を負った人が二人いるとする。
もし、どちらかは、人間性豊かな先生に診てもらい、
愛情をもって、看護婦さんや見舞に来てくれる人達
に触れると患者は良く治るよね。
同じ処方をされた患者どうしても、
愛を感じられる患者とそうでない患者では、
結果が違ってくる。
それと同じだよ。
葡萄も、傷がついたら、愛情をもって接するんだ。
そうすると、
それに答えて、治る力を発揮してくれる」
この言葉を聞いた時、
病室にいるパトリッツィオと重なってしまい、
涙が出そうになった。
彼も、病室で沢山の愛情を受けながら、
良い方向に行くはず・・・・
この日、農園を後にして、ルカと昼食に出かけた。
レストランでは、ルカのワインを注文した。
昼食を終えた頃、パトリッツィオから電話が入った。
「キヨミ、いいニュース!
月曜日には、退院できるぞ~!」
「え~、本当! やった~!!!」
流石に、嬉しくて涙が出ちゃった!
食事を終え、珈琲を飲んだ後だったけど、
テーブルの上に残っていたワインで、また乾杯!
傷ついてしまった事を嘆くよりも、
愛情を注いで、やれる事をしなさい、って
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たまには、トスカーナの街の様子もご紹介。
今日は、日本からの御客様を、
南トスカーナのモンテプルチャーノにお連れしました。
街を見下ろせる塔に登ると、
そこで監視を勤める少年が人懐っこく話しかけてくる。
農学部を卒業した彼は、日本の盆栽に興味があり、
彼のお父さんは鷹を飼っていることから、
鷹についても説明してくれた。
「あなたは、何にパッションがあるんですか?」
と、綺麗な瞳で質問され、私はドキっとしてしまった。
「ピアノかな?
私のパッションって、3か月ごとに変わるのよ。
最近は、歌う事にも興味があるかも!」
すると、
「僕も、ピアノ、好きです!」と答えが戻ってくる。
「申し遅れました。僕は、ファビオです」
と言って、右手を差し出したので、
私も、御客様も、名前を告げて握手を交わした。
十分に景観を堪能し、
「ありがとう!さようなら!」と言うと、
彼は、私たちの名前を述べて挨拶してくれた。
この塔に登る前、
食事をしたオステリアのカメリエーレも、
清々しくフレンドリーだった。
この季節、モンテプルチャーノの街には、
クラシック音楽が溢れている。
夏期講習を受講する音大の生徒、
中心の広場で開催されるコンサート、
美味しいワインと郷土料理、
中世に一流の建築家が手掛けた歴史的建造物、
絵画やフレスコ画・・・
30度を超える夏日だけど、
標高650メートルのこの街には、涼しい風が吹き抜る。
古代ローマ時代から、
裕福層の別荘地とされていたモンテプルチャーノ。
今では、当時の貴族達よりも
遥かに、贅沢な時間を味わう事ができますよ!
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日本は、朝の5時半。
ちょっと早いかな?と思ったけど 実家に電話をした。
電話が鳴ると、お母さんは小走りして電話に向かうので、「プルルルル・・・プルルルル」と2回の呼び鈴の後で、明るい声が現れる。
今日は、2回目聞いても応答がないので、
お母さんは外出中だという事が直ぐに分かった。
「もしもし、お父さん? 元気?」
「あ~、元気だよ。今日は雨なんだよ」
「雨でも、お母さん、散歩に行っちゃったの?」
「うん。2時間くらいで戻ってくると思うよ。
そう言えば、叔母さんから昨日、電話があったよ。
キヨタンから電話があった、って言って、
喜んでたんだって。
いつもだったら、5分位しかお喋りしないのに、
昨日は30分くらい、お母さんと話していたよ」
私は2日前に、叔母さんに電話をした。
「叔母さん、今日は。聖美です」
「あら、キヨちゃんなの?
日本に戻ってきたの?それとも、イタリアから?」
「イタリアからですよ。
叔母さんの事を考えてて、
声が聞きたくなって、電話しました」
「キヨちゃん、生きるって事は、大変な事なのよ。
色々な病気になるし。
叔母さんね、全然、頑張れないの。
こんなんじゃ駄目だ~、って思うけど、
全然、駄目なのよ」
「叔母さん、頑張って立派である必要、ないですよ。
昔から、叔母さんは、私たちの事を考えて、
良くしてくれて・・・
頑張らなくても、叔母さんの事、好きですから。
好きな音楽を聴きながら、ノンビリしてください。
叔父さんのお墓参りに行けるように、
足腰を丈夫にしててくださいね」
叔母さんは、半年前に他界してしまった
叔父さんの事を語りはじめた。
何度か、締めの挨拶の節になったけど、叔母さんは
思い浮かんだ事を話し始め、長く会話をした。
最初の「もしもし」と発した人とは全く別人のように、
いつもの力強い声に戻っていた。
日本もイタリアも、高齢者が増え、
繊細にゆっくりと生きる人達が増えていく。
でも、社会は効率化を求め、新しい機能を取り入れて、
どんどんスピードアップしていく。
便利になるはずの社会なのに、
「遅れを取らないように・・・」
とアップアップしている人も多い。
高齢者は、大切な人、体の機能を失い、
その穴埋めが出来ぬまま、
容赦なく訪れる不安や病にさらされる。
大切な人との別れを覚悟しながら、
今、生きる意味を模索している人も沢山いる。
繊細な人が増えていく分、
もっと優しさが必要とされている。
誕生日やお正月、敬老の日を待たなくてもいい。
思い立った時に、何も構えず、電話をしてみる。
「思いを寄せていて、声が聞きたくなりました」
たかが1本の電話。
されど、1本の電話・・・
将来の大きな使命を考えるよりも、
今日の小さな喜びが、
明日まで余韻を残す。
そういう簡単な事が、ピンとくる今日この頃です。
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今日も異常に暑い。
バス亭は、直射日光にさらされている。
こんな時に限って、
次にやってくるバスは私の家まで届かないけど、
これ以上、ここに居座ってられず、バスに乗った。
バスは、全ての窓 全開でやってきた。
何も考える事が出来ず、ボーっと座っていると、
チョンチョンっと、左肩をつつかれた。
後部席を振り返ると、
移民系の、10歳くらいの女の子が座っている。
「このバスはタベルネ ダルビア方面に行きますか?」
「うん。行くわよ。
もう少しで、その地域に入るわよ・・・
はい、ここからタベルネ ダルビア地区」
私は、標識を指差した。
バスが停車し、地元の人が下車していくけど、
彼女はまだ座り続けている。
「一体、どこで降りたいの?」
「タベルネ ダルビア地区に入ってから、
5つ目のバス停で降りるんです。
橋の手前だって、友達が言ってます」
それから、私たちはバス停を数えた。
「3つ目・・・4つ目・・・はい、次が5つ目よ!」
すると彼女は、
「Grazie!」といって席を立ち、
扉の前で私に向かってもう一度、大きな笑顔で
「Grazie ancora(重ねて、ありがとう!)」
と言って降りていった。
真っ直ぐ「ありがとう!」と言われて、
私はすっかり嬉しくなり、
それまで垂れ下がっていた頬がグ~ッと引きあがった。
それからどんどん人が下車し、
バスの中には、私一人になった。
終点に到着。
ここから長い坂道を登り続けて、
私の家まで歩くしかない。
バスを降りようとすると、
「どこに行きたいんだい?」と運転手が声をかける。
「2区間先までです」
「なんだったら、アクアボッラまで乗っけてくよ!」
「え~、本当ですか! ありがとうございます」
バスは、1区間先の広場まで走ってくれた。
この炎天下で、半分の距離を楽できるのはラッキーだ。
私は、さっきの女の子の笑顔を思い出した。
運転席に行き、
「本当にありがとうございました。助けられました!」と、大きな笑顔で、真っ直ぐに挨拶した。
運転手さんも、嬉しそうだった。
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朝、ボイラーのテクニカルに電話をした。
「金曜日に来てくれるはずだったのに、
来てくれませんでした。
もし、来れないと分かったら、
電話1本、欲しかったです。
いつ、来てくれるんですか?」
「あ~、すみません。
金曜日は、訪問しきれなくって・・・
今日の17時以降に伺います」
18時を過ぎても、外気は一向に下がらず、
蝉が癇癪を起して、ヒステリックに鳴いている。
(今日も来てくれないかな?)と諦めかけた頃、
テクニカルが来てくれた。
彼らの事務所は、
私が行きつけのバールのすぐ近くにあり、
来てくれた技術者は私をよくバールで見かけるらしい。
彼が作業をしている傍らで、私は話しかけた。
「この時間でも、働き続けるのね。
残業手当って、付くの?」
「そんなの、付かないよ」
笑いながらも、汗を吹きながら作業を続けている。
「毎日、夜20時頃に帰宅して、
奥さんに不平を言われない?」
「奥さん、いないから。ちなみに、彼女もいない!」
「あ~。じゃあ、犬と暮らしているの?」
「ノ-。一人暮らしだよ」
「あ~。一人で暮らしていて、寂しくない?」
「寂しくないよ!友達と一緒にいるから。
そりゃ、毎日じゃないけどね。
女友達だったら、もっと嬉しいかな!」
20分ほどで修理は完了。
彼は、次の訪問先に向かうため、
素早く道具をしまい込んで、ドアに向かった。
「幾らかしら?」
「いらないよ」
「え~、そんなのダメよ。わざわざ来てくれて、
時間を割いてくれたんだもん」
「本当に、大した事してないから、いらないよ」
「困る、困る・・・ちゃんと払う!」
結局、彼は受け取らないで玄関に向かった。
「名前、何ていうの?」
「ステファノ」
「今度、バールであったら、珈琲をおごらせてね!」
ステファノは、ハハッと笑って、去って行った。
私は、直ぐにバールのガブリエーレに電話をした。
「ねえ、テクニカルのステファノって、知ってる?」
「勿論」
「今ね、彼が修理に来てくれたのよ。これくらいの事、
って言って、ただでやってくれたの。
私、10ユーロを払うから、
ステファノが来たら、おごってあげて! 」
「おお!了解!」
今日は、個人所得税で、
4000ユーロ以上を国に徴収された。
でも、こうして、日常生活の中で、
温かな心遣いに触れて、感謝で気持ちが満たされると、
幸せな気分になる。
お金ががっぽりあって、人情に触れられない、
としたら、そっちの方が、厳しいかな・・・・
今日も、ありがたく過ごしました・・・
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病室にいるパトリッツィオから電話が入る度に、
私に元気が注がれる。
「ズルイわね。あなた、病院にいることで、
株がどんどん上がってるじゃない!
元気な声が聞けて嬉しいわ。
思えば、私の事をいつも褒めてくるわね。
その言葉が、どれだけ栄養になってるか・・・」
「だって、キヨミは偉いだろ?」
「違うのよ。あなたに褒めてもらえるから、
今の自分でいられるの。
あなた無しでは、弱くてもろいのよ・・・。
こうして離れていると、
あなたの存在の重要さに改めて気付かされるわ。
ねえ、もうちょっと、私をウンザリさせるような
態度をとってくれないかしら?
あなたの事、大切に思う気持ちが大きい分、
何かあったら、どうしよう? って
不安も膨らんでしまうのよ。」
「よし、分かった
これからは、会う度に、蹴飛ばしてやる!」
やっぱり、笑わせてくれる。
パトリッツィオは、来週に退院するけど、
また来月も手術をして、悪い部分を切り取った後に、
テラピーが始まる。
ラジオのニュースに耳を傾けると、
ギリシャのユーロ圏脱退に伴う経済の大混乱や、
イスラムテロ、政治の話題...
勉強不足で基礎知識がないから、
良く状況がつかめず、ピンとこない。
フェイスブックをみると、知人のパーティーシーンの写真や、仕事の活躍ぶりの報告やら・・・
日々、情報に触れる度に、
新たな事を吸収して、知らない事を調べて、
今の自分の仕事のやり方に問題を感じたり・・・
何となく、もやもやと過ごしてきたけど、
なんだか、気持ちが整理されてきた。
私の場合、「情報量=幸せ度」という方程式にはならず、知らない事を叩き付けられる情報社会に、ちょっと醒めてきている。
世界の問題に目を向けるのも必要だけど、今は、
身近にいてくれる人と共感しあえる事が大切に思える。
私の周囲で、病気と戦っている人、
大切な人が困難な状況におかれて一緒に苦しんでいる人、孤独に苦しむ人がいると思う。
私がパトリッツィオの件で、友達のアンナに電話をしたら、あんなに明るい彼女が、実は、ある事で長く苦しんでいる事を告白してくれた。
私は無意識に、今、自分が抱えている仕事や、
今後の豊富を話題にし、
歴史や文化のテーマを取り上げながら、
ちょっと知的さを装ってみたり、という傾向がある。
「チャレンジ」「前向き」「目標に向かってGO!」というトーン。
でも、今、パトリッツィオの事とか、
金曜日から家の水の出が悪い事とか、
パソコンが壊れたとか・・・
今の自分を明かすと、
友達も、今、向き合っている事を明かしてくれて、
共感が生まれる。
昔は、どこか、自分をプレゼンテーションしながら、
その場に居る人達に、自分を受け入れてもらおうとして
格好つけたり、良い子でいようとしていた。
今は、ありのままの自分を明かしても、大丈夫。
受け入れてくれる人と、共存していけばいい。
病気を通じて、
自分にとって、大切なものと、あまり必要じゃないかな?
というコトが、なんとなく明らかに整理されていく今日この頃です。
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