たかが1本の電話 されど1本の電話
日本は、朝の5時半。
ちょっと早いかな?と思ったけど 実家に電話をした。
電話が鳴ると、お母さんは小走りして電話に向かうので、「プルルルル・・・プルルルル」と2回の呼び鈴の後で、明るい声が現れる。
今日は、2回目聞いても応答がないので、
お母さんは外出中だという事が直ぐに分かった。
「もしもし、お父さん? 元気?」
「あ~、元気だよ。今日は雨なんだよ」
「雨でも、お母さん、散歩に行っちゃったの?」
「うん。2時間くらいで戻ってくると思うよ。
そう言えば、叔母さんから昨日、電話があったよ。
キヨタンから電話があった、って言って、
喜んでたんだって。
いつもだったら、5分位しかお喋りしないのに、
昨日は30分くらい、お母さんと話していたよ」
私は2日前に、叔母さんに電話をした。
「叔母さん、今日は。聖美です」
「あら、キヨちゃんなの?
日本に戻ってきたの?それとも、イタリアから?」
「イタリアからですよ。
叔母さんの事を考えてて、
声が聞きたくなって、電話しました」
「キヨちゃん、生きるって事は、大変な事なのよ。
色々な病気になるし。
叔母さんね、全然、頑張れないの。
こんなんじゃ駄目だ~、って思うけど、
全然、駄目なのよ」
「叔母さん、頑張って立派である必要、ないですよ。
昔から、叔母さんは、私たちの事を考えて、
良くしてくれて・・・
頑張らなくても、叔母さんの事、好きですから。
好きな音楽を聴きながら、ノンビリしてください。
叔父さんのお墓参りに行けるように、
足腰を丈夫にしててくださいね」
叔母さんは、半年前に他界してしまった
叔父さんの事を語りはじめた。
何度か、締めの挨拶の節になったけど、叔母さんは
思い浮かんだ事を話し始め、長く会話をした。
最初の「もしもし」と発した人とは全く別人のように、
いつもの力強い声に戻っていた。
日本もイタリアも、高齢者が増え、
繊細にゆっくりと生きる人達が増えていく。
でも、社会は効率化を求め、新しい機能を取り入れて、
どんどんスピードアップしていく。
便利になるはずの社会なのに、
「遅れを取らないように・・・」
とアップアップしている人も多い。
高齢者は、大切な人、体の機能を失い、
その穴埋めが出来ぬまま、
容赦なく訪れる不安や病にさらされる。
大切な人との別れを覚悟しながら、
今、生きる意味を模索している人も沢山いる。
繊細な人が増えていく分、
もっと優しさが必要とされている。
誕生日やお正月、敬老の日を待たなくてもいい。
思い立った時に、何も構えず、電話をしてみる。
「思いを寄せていて、声が聞きたくなりました」
たかが1本の電話。
されど、1本の電話・・・
将来の大きな使命を考えるよりも、
今日の小さな喜びが、
明日まで余韻を残す。
そういう簡単な事が、ピンとくる今日この頃です。
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