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2015年7月10日 (金)

たかが1本の電話 されど1本の電話

日本は、朝の5時半。

ちょっと早いかな?と思ったけど 実家に電話をした。

電話が鳴ると、お母さんは小走りして電話に向かうので、「プルルルル・・・プルルルル」と2回の呼び鈴の後で、明るい声が現れる。

今日は、2回目聞いても応答がないので、
お母さんは外出中だという事が直ぐに分かった。

「もしもし、お父さん? 元気?」

「あ~、元気だよ。今日は雨なんだよ」

「雨でも、お母さん、散歩に行っちゃったの?」

「うん。2時間くらいで戻ってくると思うよ。
 そう言えば、叔母さんから昨日、電話があったよ。
 キヨタンから電話があった、って言って、
 喜んでたんだって。
 いつもだったら、5分位しかお喋りしないのに、
 昨日は30分くらい、お母さんと話していたよ」

私は2日前に、叔母さんに電話をした。

「叔母さん、今日は。聖美です」

「あら、キヨちゃんなの? 
 日本に戻ってきたの?それとも、イタリアから?」

「イタリアからですよ。
 叔母さんの事を考えてて、
 声が聞きたくなって、電話しました」

「キヨちゃん、生きるって事は、大変な事なのよ。
 色々な病気になるし。
 叔母さんね、全然、頑張れないの。
 こんなんじゃ駄目だ~、って思うけど、
 全然、駄目なのよ」

「叔母さん、頑張って立派である必要、ないですよ。
 昔から、叔母さんは、私たちの事を考えて、
 良くしてくれて・・・
 頑張らなくても、叔母さんの事、好きですから。
 好きな音楽を聴きながら、ノンビリしてください。
 叔父さんのお墓参りに行けるように、
 足腰を丈夫にしててくださいね」

叔母さんは、半年前に他界してしまった
叔父さんの事を語りはじめた。

何度か、締めの挨拶の節になったけど、叔母さんは
思い浮かんだ事を話し始め、長く会話をした。

最初の「もしもし」と発した人とは全く別人のように、
いつもの力強い声に戻っていた。

日本もイタリアも、高齢者が増え、
繊細にゆっくりと生きる人達が増えていく。

でも、社会は効率化を求め、新しい機能を取り入れて、
どんどんスピードアップしていく。

便利になるはずの社会なのに、
「遅れを取らないように・・・」
とアップアップしている人も多い。

高齢者は、大切な人、体の機能を失い、
その穴埋めが出来ぬまま、
容赦なく訪れる不安や病にさらされる。

大切な人との別れを覚悟しながら、
今、生きる意味を模索している人も沢山いる。

繊細な人が増えていく分、
もっと優しさが必要とされている。

誕生日やお正月、敬老の日を待たなくてもいい。

思い立った時に、何も構えず、電話をしてみる。

「思いを寄せていて、声が聞きたくなりました」

たかが1本の電話。

されど、1本の電話・・・

将来の大きな使命を考えるよりも、
今日の小さな喜びが、
明日まで余韻を残す。

そういう簡単な事が、ピンとくる今日この頃です。


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