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2015年6月14日 (日)

ビアンキーニ先生

ビアンキーニ先生は、
いつもたっぷりと遅れて診療所にやってくる。

診療時間は9:00~12:00と書いてあるけど
先生が登場するのは、10時半頃だ。

杖をつきながら、ゆっくりと待合室を通り抜け、
自動販売機の珈琲を飲み、それからトイレに10分くらいこもってから、診察が始まる。

今年の2月、咳が止まらないので先生を訪ね、
症状を説明すると、吸入ステロイド薬を勧められた。

私は、ここ数年、
冬から春にかけて、咳が止まらない症状に悩んでいた。

日本に帰省した際、医者に診てもらっては
咳止めなど8種類の薬を処方してもらったけど、
全く改善しなかったのに、吸入式のテラピーを始めて
2週間ほど経った頃、咳が治まった。

診察室に入ると、先生は

「やぁ、君かい。どうしたんだい?」

という感じで迎えてくれる。

「先生、今度、ピアノ伴奏をするんですけど、
 風邪ひいた人とか、インフルエンザの病上がり
 ホヤホヤの人まで、会場に来る事になってて・・・
 そんな人からウイルスを貰わないには、
 どうしたらいいんでしょう?」

すると先生は、

「ほ~。そのコンサートは、いつ、あるんだい? 
 行けたら、行くよ。何を演奏するんだい? 」

と興味を示してくれてから、

「このタイミングで注射を打つことは出来ないから、
 総合ビタミンを飲むといいよ」と教えてくれた。

「先生、動物、好きですか?」

「ああ。大好きだよ」

「先生、咳喘息の人って、動物と暮らしたらいけない、
 ってネットに書いてあったんですけど、私の猫は
 家族だから、今更 離れる事が出来ないんです。
 猫と一緒に暮らしていても、問題ないですよね?!」

「ああ。大丈夫だよ」

私を、「患者」として診る以前に、「一人の人間」
として話を聴いてくれるビアンキーニ先生は、
まるで親身に相談に乗ってくれる担任の先生のようだ。

そんな先生が大好きだから、
どんなに先生が遅く現れようが、
本を読みながら、待合室でノンビリと過ごす。

今回は、定期健診のため 先生を訪ねた。

検診の予約には
ホームドクターが発行する診断書が必要になる。

診療所に入って、ビアンキーニ先生の順番カードを探したけど、見当たらない。

何度探しても見当たらず、診療時間割りを見ても、
先生の名前が掲載されていない。

「参ったな・・・」

受付に行き

「ビアンキーニ先生は、
今日は、いらっしゃらないのですか?」

と訪ねると、受付の女性から返事が戻ってこないので、
私のイタリア語の発音が悪かったかな?と思い、

「ビアンキーニ先生、
今日はどちらにいらっしゃいますか? 
ビアンキーニ先生」と訪ねると、

「先生は、御亡くなりになりました」

と押殺したような声が届いた。

私はキョトンとしてしまった。

そして「先生、お亡くなりになられたのですか?」
と問いなおしてみたら、

「先生は、御亡くなりになりました」
と同じトーンで女性は答えた。

私はそれ以上 何も聞けず、喉を詰まらせて診療所を出た。

2月に先生を訪れてから2か月後、
先生は天国に旅立ってしまった。

社会では、人それぞれが様々な役割を持って、
その役目を果たしながら、コミュニケーションを図る。

時に、どんなに沢山の人とコミュニケーションを図っても、笑顔で清々しく接しているとしても、技能や役割だけを見られているかもしれない。

ビアンキーニ先生は、
私の目をみて、じ~っと耳を傾け、
しっかりと頷いてくれたり、笑ってくれたり・・・

しっかりと私と向き合ってくれた分、
ノスタルジーが深くて、あの日の先生の声が、
今も尚、はっきりと生きている・・・


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