グローバル
ある方のFBの投稿で、
産経新聞に掲載された曽野綾子さんの記事を知った。
日本の労働人口の減少、そして需要の増える介護について
「近隣国の若い女性たちに来てもらえばいい」と述べ、
「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない」 とした上で「人間は事業も研究も運動も何もかも 一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と締めくくっている。
昔、白人だけが住んでいた集合住宅に黒人が住むようになり、
彼らは大所帯で生活をするため、そのマンションは水不足となり
、白人は逃げ出した、とある。
その事から、
「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、
私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに
分けて住む方がいい、と思うようになった」と述べている。
この記事を読んで、息苦しさを覚えた。
シエナでアパートを探す際、もしも、
「あなたはアジア人だから、ここには住めません。
アジア人指定地区に住みなさい」
「あなたの為を思って、言っているのですよ!
その方が、お互いにこの町で暮らしやすいでしょう?」
と言われたらどうだろう?
私はイタリアに惹かれ、イタリアにやってきた。
最初は、「アジア人女性」と識別され、
そのうち、「日本人女性」と認識され、
次に「キヨミ」と呼ばれるようになった。
「アジア人」として境界線を張られることなく、
「キヨミ」として、イタリア人の生活環境に潜り込めている。
昔、中東の人と同じアパートになった時、水不足を体験した事もある。
物件情報を見てアパートを決めた後、
部屋のオーナーがアルバニア人である事を知り、
入口には常にチンピラ風の男性がいて怖い思いをした事もある。
また、イタリア人の医者が所有するアパートで暮らした時、
家賃は高かったが、夫婦そろって、いつもニコニコ接してくれたが、
アパートを出ると知るや否や
金の切れ目は縁の切れ目とばかり、ののしられた事もある。
色々な経験をしてきたが、今のアパートはとっても住み心地が良い。
テレビでは、ローマで移民が多く住む地区では犯罪が多発し、
ローマ市民の生活が脅かされている、
というニュースがよく報道されている。
犯罪を犯す移民とは、ジプシー、またはルーマニアやアルバニア人。
でも、ルーマニアやアルバニア人の働き者も沢山いる。
人それぞれなので、人種ごとに区切ることは出来ない。
シエナにも沢山のアフリカ人が生活しているけど、
一つのアパートに大所帯が生活して困る、という話を聞かない。
日本人でも、金銭レベルに合った住家を選ぶので、
外国人と共同で暮らす人もいれば、一軒家に住む人もいる。
人それぞれ、直面する問題があるけど、自分で解決している。
曽野綾子さんのような意見は、
日本人としての生活文化を尊重し、平和で安定した暮らしを守る、
とも見られるけど、
「マニュアルに沿わない人間とは交流できない」という
柔軟性ある人間同士のコミュニケーション能力の弱さも感じてしまう。
皮肉な事に、同一、イタリアのニュースでは、
フランチェスコ法王が、イタリアに逃げてくる難民の死を悼み、
「裕福さの文化は、自分の事ばかりを考え、
他人の叫びに対して冷淡(無関心)という事態を生み出しました」
と無関心のグローバル化について触れている。
偶然にも、今、曽野綾子さんの「自分の財産」という本を読んでいる。
共感する箇所に線を引いていたけど、
産経新聞の記事を読んで「んッ?」とつかえてしまった今日この頃です。
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