イタリアからブログを流す意味・・・
今回の日本滞在で、何度か都心に出た。
鳥の声や、道端に咲く花の代わりに、
私は、沢山の雑知識や、綺麗なコトにも包まれた。
(今の私には、無いものばかり!)と焦りが湧いてくる。
若い頃は「刺激」として楽しかったけど、45歳となり、
自分らしさ、という感覚が分かってきたので、
もう、流行や 自分の意思とは反するテーマに呑みこまれないと思いつつも、これだけの雑知識に囲まれると、自分らしさの軸が、不安定になる。
イタリアにいる日本人を見ていると、
お洒落感を発信する人と、田舎生活を発信する人がいる。
お洒落感を発信する人は、
日本で情報に敏感な人にとってのカリスマ的存在に映り、
ある種のサークルを築いていく。
私は、田舎生活を発信する人。
日本人は勤勉で秩序を重んじ、
組織が整った暮らしやすい社会を形成している。
その反面、
人間関係にデリケートになっている部分もある。
そこに悩む人が多い故に、今、書店では、
「自分を大事に・自分に甘く」的なテーマの本が
沢山あるのだと思う。
分かっているけど、どうやって?
イタリア人は、茶目っ気たっぷりで利己主義。
彼らにとって、「自分に寛大に!」は当たり前。
勿論、問題が生じる。
問題にぶつかっても、
そこに、ユーモアの影も見え隠れしたりする。
イタリアでの生活は、喜怒哀楽がたっぷりで、
社会にとっていいのか悪いのか、分からないけど、
元気があるのは確かだ。
「私はお洒落や流行のカリスマ派ではない、
田舎派だ!」
とはっきり定義できてから、す~っと楽になった!
人や自然にある天然の養分を吸いながら、自分を育て、
それを味わっていただける人との交流を通じて、
生活を楽しもう!
と思う、日この頃です。
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