宮崎から信治さんがやってきた。
25年前、
信治さんはイタリアレストランを開くと決心してから、
100通の手紙をイタリアのレストランに送り、
返事をくれたシェフ、ピエロの元で修業をした。
その後、信治さんは
宮崎でイタリアレストランをオープンした。
その時から今日まで、時々シエナにやってきては、
ピエロの店で日本食を披露し、
ピエロは宮崎を訪れては、
トスカーナの郷土料理を披露する。
この夏、私はピエロのレストランに4名で予約を入れた。
シエナに引越してきたヨハンとシモネッタ、
そしてパトリッツィオと私の4人だ。
1月、ボローニャに行った時、
ヨハンとシモネッタにお世話になったので、
今度は私が、彼らを招待したいと思っていた。
ピエロの所で食事をすれば、越してきたばかりの彼らに、地元住民のピエロを紹介することも出来る。
メニューは、ピエロのお任せにしたら、
前菜の盛り合わせ、2種類のパスタ、肉料理と付合わせ、そして、ボリュームたっぷりのデザートが出てきた。
飲み物も、スプマンテから始まり、
白・赤ワインをたっぷりと堪能した。
私は、おトイレに行くふりをして、
お会計を済ませようとした。
するとピエロは、
「キヨミは僕のお客様だ。何もいらないよ。招待だ!」
と言って、お金を受け取ろうとしないから、
「そんなのダメよ!
そんな事されたら、次から来れなくなるわ!
ちゃんと払わせて頂戴!」と迫ると、
「じゃあ、全部で50ユーロ」と言って、
お金を受け取った。
私はテーブルに戻り、
友達に恐縮されるのもなんなので、全てを明かした。
パトリッツィオは、
「それって、ピエロから声が掛かる度に、
キヨミが協力してあげているお陰だよ。
だから、キヨミが御馳走してくれたことになる。
御馳走さま、キヨミ!」と言ってくれた。
私は、今回の「日本食お披露目会」で、
ピエロの友達が集まるテーブルに着き、
必要に応じて、厨房や会場で通訳をした。
同じテーブルにつく彼の友達は、
皆、レストランのオーナーだ。
聞くと、トスカーナの海沿いや、
アッシジから駆けつけてくれたようだ。
車で片道、2時間はかかる。
何かあると、遠くから応援に駆け付ける同業者たちは、
まるで、ファミリーのようだ。
ピエロのレストランには、いつも人がいる。
雑誌やテレビに掲載されなくても、
フェイスブックをしていなくても、
長年に渡り、ピエロを知るファミリーは、
彼から声がかかると、遠くから集まってくる。
信治さんも、その一人だ。
私はこの日、
ピエロの行動をさり気無く目で追いながら観察した。
友達に接する仕草、話題、場の雰囲気・・・
私も、このセンスを取り入れたいと思った。
ピエロから『大切な友達』という扱いを受けると、
彼の友達は、自分の居場所が感じられ、
嬉しくなって、丸くなる。
プロテクトされているようで、自分の家のようで、
自然体で居られるから、
周りの人とも会話がしやすくなる。
自分をアピールするのではなく、相手に、
「よく来てくれました。ここが、あなたの居場所ですよ!」と配慮してあげる。
そういうことを学べた、
とても味わいのある会でした!

