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2013年9月19日 (木)

嵐の後の晴天

昔、お世話になった方を訪ねたら、
お寿司を御馳走になった。

その方は、脳梗塞で倒れてから
左半分の自由が利かなくなった。

でも、杖をつきながら
ホテル内にある寿司屋に案内してくれた。

会長としての経営方針を語ってくれて、
その言葉は私の心に刻まれた。

そして、私を大切にもてなしてくれることに感謝した。

だから私も、日本で過ごす最後の晩、
両親を寿司屋に招待した。

母はメニューに目を通し、
「ちらし寿司が食べたいわ!」と、
一番安いメニューを指したので、
私は「特上の握り、そしてメニューにない季節のネタを少し入れてください!」と、気持ち大きく注文した。

瓶ビールが運ばれ、乾杯をすると、
父が、私の事業について色々と聞いてきた。

答える度に、「本当にそれで、大丈夫なのか?」
と言っては、遠い昔に引退したサラリーマン時代を思い出し、ありとあらゆる世間一般の失敗例を挙げ、「どうすんだ・・どうすんだ?」と続くものだから、私の気持ちは重くなった。

母も 私の気持ちを察して、うつむいている。

和室は沈黙で覆われ、
息苦しくなった父は、「帰る」と言って、店を出た。

「お父さん、明日はきっと、
 部屋に籠っているでしょうね」

私と母は、胸の内を吐き出すように色々な話をしながら、特上であるはずのお寿司を平らげた。

翌朝、父は 誰にも顔を合わせることなく、
いつものように散歩に出かけた。

5分も経つと、救急車のサイレンが聞こえた。

母は廊下を走ってテラスに出て、
上半身を乗り出しながら、
サイレンの聞こえてきた方角を覗きこんでいる。

救急車は止まることなく、サイレンが遠のくと、
母は安心して、何事もなかったかのように家事を始めた。

暫くして、ドアノブがカチャカチャっと音を立てると、
私は私に、緊急指令を出した。

ドアが開き、父が玄関に入ると同時に、
「おかえりなさ~い!」と大きな声で言った。

お父さんは、確か、「うん」と答えた気がする。

言葉数が少ない朝食を囲み、
その後、テレビを見ながら、出発の時間を待った。

NHKの連続ドラマが終わり、
母が、ベランダにいる父に向かって、
「それじゃ、行ってきますね」と声をかけた。

続いて私も、
「じゃ、お父さん、
 次回の家族旅行の幹事さんも、宜しくね! 
 今回もいろいろ有難う。
 次に戻ってくるまで、元気でね!」と、
明るい声で、力強く言った。

父は、ず~っとテラスにいた。

マンションの玄関を出ると、母が、
「お父さん、テラスから見てるわよ」と言うので、
見上げてみると、父は、
赤ちゃんのように少し丸まった手で、手を振っている。

歩きながら、何度か振り返って見上げてみた。

お父さんは、ず~っと、手を振り続けている。

距離が遠のくほど、気持ちが引き寄せられる。

嵐の後、空気が澄んで、心が晴れた・・・

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