長い冬が過ぎ去ると、出番を待ち望んでいた花が咲き乱れ、人間や動物も陽を求めて屋外に現れます。
「さて、何処でランチする?
街?郊外?それともキヨミの家?どこでもいいぞ!」
パトリッツィオがスカイプから訊ねてきました。
「街は観光客がアイスクリームを方手にそぞろ歩きして混んでるわ。こんな日は絶対に郊外!
そうだ、モンテリジョーニ村に行きましょう!
ランチは当然、レストラン〝チェッポ”。
あそこで、リブステーキを食べる!」
「昼から、肉かい?」
「そうよ! 栄養つけたいの!」
車に乗り込み、フィレンツェ方面に走ること20分。
ソラマメ色の絨毯が広がってきました。
どんなにトスカーナの情景が素晴らしくても、
今の気分は「花より団子」
興奮ぎみにドライブを楽しみ、やっとチェッポが見えてきた!しかし、閑散とした駐車場から、定休日ということが分かり気分は急下降。
「ん~、残念。じゃあ、この先のオルソに行くか?」
「そうね・・・」
レストラン「チェッポ」は以前、とても広い店構えで、
ランチと夜の営業でしたが、経営方針を変え、
店の規模を縮小し、ランチのみの営業となりました。
価格は驚くほど安く、ボリュームたっぷりでとても美味しい!
それに比べて、「オルソ」は、
立地条件の良さから益々、繁盛し、
味の質は落ちたものの、価格は上昇し、
今ひとつ、シエナの労働者に人気がない店です。
オルソが見えてくる。
遠目からでも、屋外テーブルで人が賑わっている様子が伺えます。
「お~、人が多すぎる。まるで、ベネツィアだな!」
とパトリッツィオ。
「本当!これだけ人がいると、嫉妬しちゃうわね!アクアボッラに、この5分の1の客でも来てほしかったわ!」
「そうだ、そうだ!
嫉妬するから、このまま通りすぎるぞ!」
更に車を5分走らせると、Staggia(スタッジャ)という小さな城壁の街に到着しました。
裏路地にあるレストランに入ると、
ボリュームある美味しい料理と良心的な価格に大満足。
その後、城を観光。
入場料 1人5ユーロで、
私とパトリッツィオの為に、1時間、
城を巡りながらガイドをしてくれました。
「ここで穀物の種を保存していたんだ。涼しいでしょ!
地下階は水。冬は凍らせて置いて、ゆっくりと使う」
「この窓に板を乗せて、出来の悪かった隊長を落下するまで歩かせた。〝いい仕事をしないとこうなるぞ”という見せしめだったんだ」
「この屋根は、フィレンツェのドーモの屋根の設計を手掛けたブルネッレスキが手掛けたもの。彼の意図としては、木を使うことで節約を図り・・・」
「ほら、ここの小窓を覗いてみて。
城の入口に焦点があってるでしょ。
ここから、敵を撃ってたんだ・・・」
「この建物の入口は小さく、敵は大勢で押し寄せることは出来ない。城壁内の兵士は窓を出入り口としていたんだ。窓に板をかけて、城壁の壁へ廊下をつくる・・・
敵がこの階段を登って攻めてきたら、
この隙間から、熱々の粘土を落としてた。
粘土を浴びた兵士は、熱さがひっついて混乱する」
この城、スタッジャはフィレンツェの領であり、
4キロ離れたモンテリジョーニはシエナの領土です。
この城で、昔から、フィレンツェ対シエナの戦争の歴史が繰り返され、1260年にスタッジャは崩壊。
1260年。
この年は、シエナ郡がフィレンツェに勝ったモンタペルティの戦いが行われた年です。
戦場は、まさに、アクアボッラのレストランや私のアパートがある場所。
だからこの日、私たちは
「シエナのモンタペルティから来ました」などとは、絶対に口に出せないものの、案内人の話に興味深々だったのです。
歴史を知る度に私はシエナに根を生やし、
その根が少し伸びては、新たな地層に触れる。
そこでまた新たな事実を知り・・・
そうしていくうちに、シエナの精神が少しずつ体内に流れていく。
このブログを読んで、シエナに訪れてくださる方、
もし宜しければ、このお城、スタッジャにご一緒しましょう。
シエナを肌で感じ、少し根が生えますよ!

