寒さが過ぎ去りつつ3月
今日は、パトリッツィオの尿路結石の手術です。
(朝の7時に病院にいなければならない、
ということは、もう、手術は終わったのかな?)
彼は、定期的にこの手術を繰り返す必要があり、本来だったら、半年前には手術を終えていなければならないのですが、病院からの呼び出しがなく、出血が続く生活を送ってきました。
血液不足から、疲れやすく軽いめまいを起こしていた彼。
「嫌な予感がするんだよ。
恐らく、俺の体のあちこちの機能が弱り果てて、
手術に耐えられないだろう、と判断されたから、
呼び出しがかからないんじゃないか?って」
待ち続けることに痺れを切らせ、
パトリッツィオの奥さんのルチアが病院に乗り込み、
その3日後には手術が決まりました。
流石、ルチア!
2001年、私はパトリッツィオに雇われエノテカで働きはじめ、2006年には、エノテカを閉めて、彼とアクアボッラのレストランを手掛けるようになってから、彼と過ごす時間は、とても長いものとなりました。
2011年の末、レストランは閉めたものの、(空き家の状態では物騒だ)とうことで、パトリッツィオはアクアボッラに通い続け、私もアクアボッラに遊びに行っては、毎日、昼食を共にしてました。
しかし、昨年の10月末には、
私達の憩いの館であったアクアボッラの鍵を役所に返却することになり、私は家でティティちゃんと、そしてパトリッツィオは実家で家族と暮らすスタイルへと、環境が変わりました。
昨年の11月から御正月にかけて、
急に静かな生活環境になり、正直言って寂しかった。
でも、同時に、彼の体の症状を知れば知るほど、彼の健康を切望するようになったので、新たな生活環境で良かったとも思い、複雑な気持ちが共存していました。
奥さんのルチアは、ほぼ、菜食主義。
食材の質と栄養には、相当な拘りがあります。
栄養をしっかりと摂り、
年金生活に入ったが故に、彼がこれまで感じていた責任感やストレスを取り除き、必要なことは、ルチアがしっかりと受け止めてくれる。
彼女に対する敬服の思いが、自分の中に湧いてきた。
その後も、パトリッツィオとは毎日、電話でやり取りをし、週に3~4度は昼食を共にする。そのうちに1~2回は、彼の家で昼食をとります。
彼の家には、92歳になるルチアのお母様と、
そんなお母様を看病するルチアの姉、フランチェスカがいて、「あら、いらっしゃい!」といつも嬉しそうに迎えてくれます。
パトリッツィオは、常日頃から私の話題を家族にするので、私の存在は、彼らにとって日常の一部になっているかのようです。
「はい、これ。トスカーナのお菓子の本よ。
お菓子にまつわるエピソードやレシピが書かれているの。
この前、図書館に行った時に、あなたを思い出して、ついでに借りてきたわ!」
「ま~っ!私のことを考えてくれたの!嬉しいわ~!」
といって、両頬にキスをしてくれるフランチェスカ。
ルチアも私にとても優しく、洋服ダンスにあるセーターの半分以上は、彼女がかつて着ていたものです。
気がつくと、私はパトリッツィオの家族に、
親戚のように迎えられている。
昔、彼と一緒に過ごす時間は、
女性として、愛情を感じられてとても嬉しかった。
でも、今、環境が変わり、
パトリッツィオを愛おしく思う気持ちは深まり、それに加えて、彼の家族への感謝と愛情も感じるようになった。
人それぞれ、置かれた環境があり、
そこで得た経験から人生を学びとる。
気付くと、もう3月。
厳しい寒さを通り越し、柔らかな桃色の芽が膨らみかけている。
それは正しく、奢り高ぶることのない、
うっすらとしたトーンの愛の開花です。
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