ブルネロのテイスティングの準備
今日は、モンタルチーノ村でブルネロの試飲会。
肝臓を傷め、禁酒生活を送るパトリッツィオに、
電話で、この日の感想を述べました。
「果実味と同時に、なめし皮、土やロースト香のようなニュアンスもあり、その部分がしっかりと分かるワインは、どこか男性的な感じがして…」
そんなコメントにパトリッツィオは口を挟みます。
「キヨミ、そんな当たり前なコメントはつまらない。
いつものように、キヨミ節で語ってくれよ。
音楽を例えに、もしくは、私生活で起こるシーンを例えたりして語る、そんなテイスティングコメントこそ、キヨミのオリジナルだろ?」
「そうね!私、型にハマってしまってたわ。
一つの音楽でも、奏者が違うと違う調べになる。
それは、同じ葡萄品種でも、作り手が違うと、
違う感情を持って心に響くのと一緒よね」
そして、この日、なんとなく心に淀んだ愚痴を溢しはじめました。
「パトリッツィオ、私、また例の美人日本留学生と試飲会場で会ったけど、正直言って、彼女といると不愉快なのよ。周囲の人間が、彼女の姿を見た途端に、ビップ扱いする。隣にいると、優劣をつけられているようで・・・」
「それは完全に嫉妬だな」
「分かってる。私の問題よね。それにしても、
ラウラやフランチェスカのように、訳があって、女手一つで事業を支える彼女たちは、とっても偉いわ。お世辞にも、美人とは言えないでしょ。取り巻き男性のコネなんて武器は持たないのよ。泣いて、苦労を重ねて、実力で立っている。そんな彼女たちは、私の持つくだらない嫉妬の代わりに、ユーモアのセンスを持ち、大らかで明るく、人のことをよく覚えていて大切に扱ってくれるのね。私も、そういう女にならなくちゃ、ダメね!」
ブルネロと人間が交差してしまう。
容姿端麗で、明るく振舞う女性には、
すぐに惹かれて、心地よさを感じる。
ならば、ブルネロも、パッと出合った時に、
華やかさを印象付けてくれるものがいいのかな?
美人ではなく、でも、賢く、忍耐がある女性は、
付き合えば付き合うほどに、彼女たちの凄さが身に沁み、尊敬してしまう。それをワインに例えると、どうなるんだろう?
モンタルチーノでエノテカを経営する女性に言われた言葉が耳に残る。
「ブルネロは一つ一つが違うのよ。
それぞれのキャラクターを理解しなくちゃ!」
なるほど。
今まで私は、「飲み心地が良い」「華やかな」という第一印象を大事にしてた。
もっと深くテイスティングコメントをするには、
作り手を知る努力も必要だな、と思い知らされた。
どのような環境で葡萄が育っているのか?
収穫後、蔵での働きかけは、
どのような意図をもって取り組んでいるのか?
そして、テイスティング、ということが揃わないと、
内面的にブルネロを味わっているとは言えないかもしれない。
長期熟成したワイン、ブルネロのコメントを語るには、
語り手も熟成してないと、分かり合えないかもしれない
と感じる今日この頃です。
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