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2012年9月

2012年9月30日 (日)

久々、ダリオの登場です!

「きのこ狩りに行こう!」

数日前から、そう決めていて、
私達はこの手の情報に詳しそうなピーノをリーダーにたて、森に入った。

私達とは・・・
パトリッツィオとその息子ダリオ、娘のシルビアちゃん
悪友のピーノ、そして私の5人組。

「おっ、この紫の花が咲いている、
ということは、いい兆候だ!」

目立たぬ小さな花から元気をもらい、いざ、森の中へ!

「きのこって、食べすぎたらお腹に悪いのかしら!
どうやって調理しよう!」

籠一杯のきのこを想像しながら、
レシピのアイデアが頭をよぎります。

1時間ほど散策を続け、私達が見つけたもの・・・
それは、鹿の足跡や猪が掘り返した土、ハリネズミの針毛、野生動物達のまだ新鮮な糞など等・・・

肝心のキノコは全く姿を表しません。

「おい、ダリオ、何やってるんだよ?」

伐採された枝に出くわす度に、
それを道の脇に寄せている。

レストラン「アクアボッラ」を閉店してから、
ダリオはオリーブ農園で働いていますが、
彼に任されているのは、
剪定後、伐採された枝や樹を道の脇に寄せること。

だから、どうしても、
道の脇に寄せなければ気が済まないようです。

「土の湿りが足りないから、きのこは無いね!」

粘りに欠けた私達は、2時間散策した後、バールで一休みし、近くにある温泉の川へ向かいました。その後、近郊の「PARI」という村を訪れます。

車を降りた途端、プーンと風に乗ってやってくるステーキの匂い・・・どうやら、この村では肉祭りが開催されているようです!

「お~、なんて幸運なんだ!」

路地に並べられた長テーブルに腰をおろし、
ワインとグリルの肉にありつきます。

のんびりとランチを楽しみ、しばらく村で過ごしますが、
風が強く吹き始めたのを合図に、
私達は車に乗り込み、シエナに向かいます。

運転は、昨年の秋に免許をとったダリオ。

「おい、視界が開けているじゃないか!
もう少し、スピードだせよ!」とパトリッツィオ。

「父さん、標識には70キロと書いてあった。
だから70キロぴったりで走ってるんだ。何が悪い!?」

「おい、ダリオ。
後ろについているダンプがイラついてるぞ。
脇に寄せて、追い越しさせてやれ・・・」

気付くと、後方に付く車もない。

全ての車に追い越しをされ、
パトリッツィオとピーノは彼のスピードにイラつきますが、ダリオはいたってマイペース。

ドライブインに到着。
ここで、ピーノとお別れです。

「じゃ、またな!」「おぅ、またな!」

そのまま御開きと思っていましたが、パトリッツィオは、彼の家でも、私の家でもない方向へと車を走らせます。

「ねえ、何処に向かってるの?」

「きのこを狩りに行くんだよ!」

「え~、またなの?」

今度はシエナ近郊の森に入り込み、散策すること1時間。

ピーノの場合は、森を熟知していて抜け道を知っていたけど、パトリッツィオは当てずっぽうに進んでいる。

猪が掘り起こす赤土の跡が目立つばかりで、
道はどんどん険しくなります。

「ねえ、向こう側にオリーブ畑があるわ。道になってる!あそこを辿ったら、道路に戻れるわよ!」

土手を這い上がると、人間の手が介入された、
整理整頓された自然が広がっている。

「あ、ここは僕が掃除したところだ!」
と、ダリオが呟いた。

「ちょっと~、あんた、
この農園で作業してたってこと?」

「うん」

「なんだよ、1時間経って、今ごろ気付くのかよ?」

「・・・・」

ピーノが、ダリオに会う度に言うセリフがある。それは「お前さん、酒を飲んだほうがいいよ!そのほうが、正常になれる!」

5分に一度は、なんだかんだと、論争が生じますが、
それは全て、対ダリオとの対抗戦。

声を張り上げながらも、皆、どこかで楽しんでいる。

「きのこ狩りに行こう!」

その目的が果たせなかったから、
今日は、寄り道が満載されたスローライフ日よりとなって、それはそれで、結果オーライです!

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2012年9月27日 (木)

イタリアでの開業に向けて

今日も商工会議所を訪れた。

前回、準備するように言われた資料は全て揃っている!

担当者に資料を提示すると・・・

「土地測量技師の発行する排水溝、空調、面積、室内の設備・・・それに加えて、建築許可証も必要ですね・・・。私が欲しいのではないのよ。保健所と市に提出しなければならないの」

それを聞いた途端、
(やっぱりな~)という勘が当たったことに、弱々しく納得しつつ、内なる声が漏れ始めた。

「何故、初めから一度に言ってくれないのですか?
前回、あなたは私にメモを書きましたよね?
これだけ揃えればよい、って・・・
今、仰った事は、ここに書かれていませんよね?
どうして、初めから、明らかにしてくれないのですか?
外人の私にとっては、準備期間が必要なんです。
正直言って、勇気を無くします・・・」

イタリアでは、条例がよく代わる。

9月14日付けで追加された新たな項目に、、
商工会議所の担当者も、初めて目をとおしている。

来週の月曜日に、事業者の資格を求めて商工会議所を訪れ、火曜日にも、賃貸の契約関係で、商工会議所を訪れます。

自分のキャパ以上のことに取り組んでいる、
汗をかいて、ゼーゼー言っている今の自分をよく覚えておこう・・・

来週、全てを整えるために、
もうちょっと、頑張ります・・・

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2012年9月26日 (水)

途中経過のご報告です

皆様、今日は!

ブログの更新がなく、ご心配をおかけしてます。

只今の状況を説明いたしますと・・・

シエナにて、私のお店のオープンに向けて動いており、
ゴールに近づいて参りましたところで、
ご報告させていただきます!

思えば・・・・
トスカーナのシエナにて語学留学生として生活を初め、
2001年から2006年まで、市内のエノテカで働きました。

動機はいたって単純で、
当時、その店で働いていたカナダ人の友達に
挨拶をしに出向いた際、「この店で働いてみないか?」とオーナーのパトリッツィオに言われ、「やってみます!」との一つ返事で即決。

その時、私はワインを知りませんでした。
パトリッツィオとの出会いは、この時です。

2006年、エノテカの物件を手放さなければならず、
パトリッツィオと一緒に、
郊外のレストランに場所を移動します。

そこで私は、コンピュータを使い、
ワインの輸出や販売を手掛ける予定でしたが、
レストランのコックが次々を代わる状況に耐えきれず、
「こうなったら、私がやるわよ!」と啖呵を切ります。

厨房に一人で立つ、その前日までは、
自分が包丁を持つことなど、想像もしませんでした。

そして、2012年。
レストラン「アクアボッラ」を閉めた後も、
アクアボッラを拠点とした活動の可能性を求め、
市に対して、賃貸の申し出を繰り返しましたが、
具体的な回答を得られず、

そうこうしている間に、
パトリッツィオは、年金生活に入りました。

本来、67歳まで待たなければならないのですが、
過去2度にわたって傷めた足を理由に、
国は、彼の年金需給を認めたのです。

「これで、俺の名義で事業を続けることは出来なくなる。次は、キヨミの番だ!」

そうなんです。
いよいよ、私の番なのです。

英文科を卒業しておいて、イタリア語を喋っている。

ワインを全く知らないのに、
ワインの産地で、外国人客にワインを販売している。

料理をしたことがないのに、厨房に立っている・・・

決して、いい加減に過ごしているつもりはないのですが、
将来の計画を模索し、その方向性が見えてくる前に、

「お前は、もう、準備ができた・・・」と、
神様に新たな環境を提示され、
背中をポンッと押されて、突き落とされる・・・・

今回も、そんな感じがしています。

私がイタリアでお店を持つ条件。

イタリアでの永久版滞在許可証、
エノテカやレストランで働いてきた実績、
お給料の等級などの証明書を公的機関から発行してもらう他、食品を扱うお店のカテゴリーで認可を受けている物件を探し、その物件の水や電気の証明書を揃え・・・

商工会議所に何度も足を運び、必要とされる資料を提出しますが、いつも、その場で、他の資料の提示を求められる。

物件の大家さんも、パトリッツィオも私も、
(最初から言ってくれよ!)
(国は、仕事をしたいという人間を阻止する気かい?)
と不満を抱きながらも、御上に従わなければならない。

明日、全ての資料を提示し、
上手くいくと、10月にはお店の認可がおりる予定です。

お店の認可がおりたら、
私の事業登録番号を使って、
ワイン、その他商品の注文をかけます。

こんな状況の中で、
日本のインポータの方からの依頼があり、
ワインを輸出する仕事も重なっていました。

輸出の話を進行するため、収穫で大忙しの作り手をつかまえることにも苦労がありましたが、今では、そんな繁忙期を超えました。

「自分がどんなに忙しいか!」
そんなこと、本来は皆様にお伝えしたくないのです。

シエナに居ながら、普通の日常生活で感じること、
それは、日本にいらっしゃる皆様にも、共感して頂けるようなことが沢山あります。

イタリアだから・・・
日本だから・・・

もしくは、イタリア人だから・・・日本人だから・・
と区別することは出来ず、

日本でもイタリアでも、
都会には都会の目に見えないスピード感と、
そのスピードにそって動く人間のスタイルがあり、

また、日本でもイタリアでも、
田舎には、それなりの時間の流れがあって、
そこで交わされる人間社会の営みがあるような気がしてます。

ふと、私のブログをご覧になり、
「そうよね、こんなにノンビリした環境もあるんだもの・・・」と、一呼吸していただけるようなメッセージを綴れるまで、もう1週間ほどお待ちくださいね。

追伸:ダリオは、葡萄の収穫の後、ファンチュッリのオリーブ農園で働き続けています。
パトリッツィオは、相変わらず私と共に行動をしてくれて、農園で得る新たな情報に驚いたり・・・・

ご支持いただける皆様のお陰で、
私達が、健全な精神と安堵感をもって仕事を続けられますこと、
改めまして、お礼申し上げます。

いつも、ありがとうございます!

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2012年9月16日 (日)

2012年 オリーブ農園の近況です

最近、皆様から

「そろそろ、オリーブオイルの時期ですね!」
というメッセージをいただきます。

今年、旱魃が続いたイタリアですが、8月末、恵みの雨を受け、
オリーブ達は、好調に育ってます。

収穫まで、約1カ月。

農園の様子をご覧ください。

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2012年9月10日 (月)

のんびり・・・

通常、私の不在中は、
猫に慣れた大家のアンナおばさんにティティの面倒を見てもらうのですが、彼女もただ今、旅行中。

そこで、
パトリッツィオが私のアパートに通ってくれています。

「ねえ、ティティちゃん、元気?」

「おう、こんなに痩せたよ!」

スカイプを使ってのテレビ電話。

画面の前で、彼は両手をいっぱいに広げて答えます。

「なんなら、砂のトイレを見せようか?
も~、凄いんだぞ!」

そういうと、パトリッツィオはコンピュータを移動させ、
ベッドの下で寝ているティティちゃんを映し出しました。

「あ、ティティちゃんが寝てる!ティティちゃ~ん!」

すると、ティティは、顔をあげ、
左右をキョロキョロ見渡した後、
声の出所である画面をジーッと見つめました。

(また、キヨミが箱の中に入っちゃった・・・・)
と不思議そう。

ティティちゃんに向かい、一方的に話をし終えたら、
今日の出来事をパトリッツィオにご報告。

「私、鉄分が足りないでしょ。
食べ物から栄養を補給するけど、
念のため、鉄分補給の錠剤も買ったわ!」

私の当たり前の会話に、彼はいつも色を添えてくれます。

「そんなの、鍵をしゃぶっていれば、いいんだよ。
昔、親父が、間違って鉄を飲み込んじゃったんだ。
その後、トイレに行ったら、そのまま出てきた。
チャリ~ンと音がして飛び出したもんだから、
(神様からの贈り物だぞ!)って叫んでは、
俺たちを笑わせてくれたよ・・・・」

イタリア人、特に、トスカーナの人間は、
この手の話題が得意なのです。

「こんなこともあったぞ! 
ある日、間違って、サクランボの種を飲み込んでしまい、むせ返ったら鼻の奥に詰まったんだ。ほっといたら、鼻の孔から新芽が出てきた!」

どうやら、本当の話らしい・・・

彼の友達がいると、そんな話に触発されて、
「俺も思い出した!昔さ~…」と、
またエピソードが展開されて、笑いが湧くのです。

「ねえ、あなたへのお土産、
ウエストポーチはどうかと思って探したけど、
なかなか、いいデザインが見つからないのよ・・・」

「キヨミ、俺は、持ち歩くものは、ないよ!
秋になれば、ジャケットにポケットがついている。
だから、必要ないんだ」

「そう・・・だったら、何がいいかしら?」

「最高のお土産、それは、
キヨミが早く、シエナに戻ってきてくれること!」

11日(火)の早朝には、成田を発ちます。

シエナに戻ったら、パトリッツィオや友達に、
私の家族や親戚を紹介したくてたまらない!

ビデオをとってあるから、
彼らの会話や昔の思い出を説明して・・・・
私の家、田舎の景色、両親との旅行の道中を紹介して・・

(私って、家族のことを語る人間ではなかったのに?)

そして、次回、日本に帰省したら、
今度は、両親に、シエナの人を映像で紹介したい!

(もっと、もっと・・・)と、
先への準備に頭を働かせ、計算していた。

(きっと、きっと・・・)と、
将来の自分が偉くなっていることを夢見ていた。

目先の成功に向かい、忙しく過ごしてみたけど、
今回は、相手に、暗黙の契約を求めることなく、
ただ、のんびりと過ごしてみました。

そうしたら、人間の営みが心の目に映り、
今日が明日へ、明日が、明後日につながることを
更に、感じさせてくれました。

シエナに戻ったら、自分が主人公になることなく、
皆様がイタリアを感じていただけるような、
そんなブログを綴りたい。

皆様とイタリアとの繋がりが、
日常に、ささやかな幸せをもたらしてくれますこと、
願ってます。

では、また!

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2012年9月 4日 (火)

赤倉温泉にて

「あらっ、星が一つだけ見えますね」

「えっ?どこですか?」

「ほら、あそこに…」

広い天空は雲に覆われ、月が見え隠れする中、
私達を見つめるような低い位置で星が一つ輝いていた。

「願い事をすると、叶いそうですね!」
といって、私たちは、笑った。

湯船に体を沈め、その後、上半身を秋風にさらし、
火照った体を冷やすためデッキチェアーでボーっとしては、また湯船に戻る。

1時間半の間、
何人の女性と、こうやって静かに話を交わしただろう。

やっと、私が解けてきた。
心と頭が解放されてきた。

シエナという田舎の土地に13年もいると、
私は、その土地の人らしくなってきた。

自分でもそう思うし、
周囲の人も、そう認めているような気がする。

すると、そこで送る生活習慣、環境、
人とのコミュニケーションが私の常識となるので、
日本に降り立ってから2日くらいは、妙な格闘を抱くことになる。

「この暑い中、女性はなぜ、長袖に長い手袋を身にまとっているのだろう?まるで、特殊な宗教団体のようではないか?イタリア(世界)は違うよ・・・」

「なぜ、涼しく感じる時間帯でも、冷房が強く効いているのだろう?風邪をひいてしまうじゃないの!日本って、節電しなくちゃならないんじゃないの?イタリア(世界)は違うよ・・・」

「なぜ、日本の人は、食べることばかりを話題にするのだろう・・・?イタリア(世界)は、違うよ・・・」

自分が正しいという視点から他者を見る。

これはまさしく、『自己原理主義』

これがある限り、他国や他人と出会ったときに、
自分と違う観点から、相手を小さな敵に感じてしまう。

本来、人恋しいのに、
私は自分への誇りが高いがゆえに、
こうして敵を作ってしまう傾向がある。

昔に付き合った男性や先輩から
「お前は、もっとこうしなければダメだ・・・」と
言われることが多かったが、シエナでの生活で、
大分、逞しくなった。その反動で、

「私は、私の意見を持っているぞ!
今の生き方を、とやかく言ってくださんな!」
という抵抗だと思う。

イタリアから日本に戻ったばかりの時、
もしくはその逆で、日本からイタリアに戻ったばかりの私は、「自己原理主義」の虫のおかげで、穏やかに過ごすことができない。

愚痴の多い私に、親は、そしてパトリッツィオは、
寛容すぎるほどの愛で包んでくれる。

だから、帰ってきたばかりの頃は、
正直言って、親以外に会う気はしない。会えない。

「気持ちの整理をしなければ・・・」と
湯船で考えようと思っていた。

でも、こうして、裸の状態で、
同じ湯船の人と穏やかに話をするたびに、
温かいものが湧いてきた。

蕎麦の花がきれいだった、とか、風が気持ちいい、
という会話をしている相手に好感を持ち、
日本が好き、という感情にシフトしてきた。

一生懸命生きていて、
ささやかな幸せに浸っている人に対して、
どうして、私は愚痴を言ってきたんだろう・・・

恥ずかしさと嬉しさで、気持ちが火照っている。

露天風呂から出て、ポロっと垢が落ちたような、
今日この頃です。

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2012年9月 2日 (日)

美味しい食卓

昨日、日本に到着。

いつものように、母が笑顔で迎えてくれます。

「ユーチューブを見て、あんたが真っ黒なことを確認したわよ。真っ黒な女性・赤いスーツケース、と唱えながら、探していたの」という母。

父の、「お前さん、どうして、こんなに黒くなっちゃったの?」という素朴に質問に、「夏だからよ!」と軽く返しますが、
〈素敵〉と思うことには過剰にほめ言葉を注ぐ母がコメントを控えている。

どうやら、母の価値観とは違うようで、
「また、仕出かしてやったわ!」と、悪戯心が喜んだりします。

ベランダには、田舎の叔母さんから送られてきた段ボールにジャガイモがあり、それで、プレを作りました。

今も現役で畑仕事に勤しむ81歳の叔母さん。

叔母さんの手から渡ったジャガイモは、
今後も、ず~っと手に入るとは限らない。

だから、口に運ぶ際、
何とも言えないスペシャルな気持ちが、
感動調味料となって、味つけされるのです。

「はい、お母さんが作った那須!」

母が畑で手掛けたという那須が、
お味噌汁や炒めものになって、食卓に並んでいる。

この時の、器に盛られた那須。

写真に撮ってないけれど、
味も姿も、ず~っと余韻が残ることでしょう。

美味しい食卓のレシピ、
その定義が私の中で、変わってきている。

照明や音楽、素敵な建築様式、
お客様を持て成す心のこもった接客態度・・・

素敵なお店は沢山ありますが、
私が好きな食卓は、記憶に残るような味。

最近ブログで、レシピを紹介させていただくと、

「娘と一緒に作ってみました!」とか、
「美味しく出来て嬉しいから、写真を送りますね!」
という夫婦からのメールをいただき、感動に心が小躍りします。

シーンがある!

最近、紹介した野菜スティックのレシピ、
「ピンツィモニオ」も、何でもない簡単なレシピです。

皆さんの庭には、野菜が育っていますか?
近くに、日に焼けたおじちゃんが直売している八百屋さんがありますか?

イタリアって、本当は、貧しい国です。

でも、豊な国。

なぜなら、自分たちが向き合う日常生活には、
話題が沢山あって、そこに冗談が交わされ、
美味しい時間を過ごすコツを知っている国民だからです。

私の母は、昨日、
畑からとってきたローズマリーを、トイレに飾りました。

「いい香りでしょ!」

ローズマリーと言えなくて、
一度は、「クリスマス・マリー」と口にしてから、
「ローズマリー」と言い直す母。

私は今後、ローズマリーの香りから、
我孫子のトイレを連想することになるでしょう!

日本のテレビを見ると、イタリアが登場します。

でも、どこか加工されてしまって、
よそ行き顔のイタリアしか伝わってきません。

貧しい庶民の日常が、習慣化されて、
それが伝統となったイタリア文化。

そこには、庶民の日常シーンがあるはずなのに、
どこか、ブルジョワな香りが漂っている。

外見や肩書、イメージ・・・
そんな消費社会が作り上げた騒音で、
本質がかき消されそうになるけど、
できれば、今の旬の時間を、素朴な形で味わいたい。

味わいある余韻が、ず~っと長く続くためにも・・・

43歳。

またまた、自分の嗜好の変化を感じる、今日この頃です。

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