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2011年6月25日 (土)

この日から始まった

今日は

キヨミさんの愛猫、ティティです。

1999年6月25日。

それは、日曜日でした。

大きなスーツケースを引きずり、
ようやくシエナの駅に到着。

それまで抱いていた大志と希望はすっかりと尻込みし、お酢のようにツーンとした緊張が体内を駆け巡ったあの頃。

「どうしてシエナを選んだのですか?」とよく聞かれます。

イタリア留学を意識し始めた頃、
赤坂で催された〈留学の為の説明会〉に何気なく顔を出しました。

その会場ではシエナの語学学校の先生が、現地での教室の様子を再現。

教材の内容が『オペラ、椿姫』だったことも大きく影響し、その場で申し込みの手続きを済ませます。

当初のきっかけは衝動的だったとしても、
何故、他の町に移ることなく、12年間シエナに居続けるのでしょうか?

先日、シエナの記者からインタビューの依頼を受け、
その記事は、LA NAZIONEという新聞に掲載されました。

原発の是非を問う国民投票を控えていたので、
日本人であるキヨミさんにインタビューの依頼がきたのでしょう。

インタビューの内容では、シエナのメリットとデメリットにも触れています。

シエナの感想を語っていくうちに、それまで自分でもはっきりと分からなかった「何故、シエナなのか?」という答えが明確になっていく。

「シエナには、シエナ人によるシエナの生活が残っています。自分が生まれ育った町の今の姿を知るのみに留まらず、お父さんや伯父さん、曾おじいさんからの話を受け継ぎ、家系の歴史の断片とも生活を続けている。そういうセネーゼ(シエナ人)と触れ、彼らの価値観や今抱えている問題、生活模様を知れることは、グローバル化が進む今日では貴重な経験です。

(イタリアを知れる)という収穫は、彼らとのコンタクトの上に得られるような気がしてます」

「今、コレが流行ってます!」
といった、明後日には色あせてしまうような一過性の楽しみに依存するのは苦手。

キヨミさんは保守的なのです。

例えば、懐かしい幼少の想い出、商店街。

いつもの肉屋に足を運び、ショーケースに並べられたメンチカツやアジフライ、チクワのから揚げなどを眺めては注文に迷い、3人兄弟で用意した夏休みの昼食。

いつものパン屋に行き、トレー片手に散々悩みながらも、結局、いつものカレーパンとウインナー入りパンを買って足早に家路へと急いた日曜の午後。

お父さんに貰った100円で、どうしたらより沢山の駄菓子が買えるか?イカの燻製、紐についたイチゴの飴、ふがし、雨傘チョコの前で、算数に集中したマッチ箱のように狭い駄菓子屋・・・

そんな思い出からは、懐かしい生活臭が漂います。

流行に刺激を受け、その渦中に身を置くことを楽しいと感じたのは、高等学校時代から社会人にかけての数年間。それ以降は、どこか、(流行)に疲れを感じてしまう。

それは、その背後に、情報を提供する側の競争意識や消費劇場の舞台裏の臭いを感じ取ってしまうからかもしれません。

そんな自分であるがゆえに、
都会にいると、どこか取り残された感覚に陥り、
それが劣等感にすら思えてくる。

しかし、ここシエナの田舎にいると、
生活臭を感じることができるのです。

洒落た人生を楽しめる人もいますが、
他人からの賞賛を通じて、自分の価値を知ろうという、人に見せるための演出であれば、そんな疲れるものは要らない。

力一杯生きているという美しさが欲しい。

そこには、積み上げた達成感がある。

12年間、異国での一人暮らしには、自然と力がこもっていましたが、今日からの一歩、息が抜けた、そんな空気をまといながら生活したいです!

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