幸せはじけるポップコーン
皆さん、今日は
キヨミさんの愛猫、ティティです。
「はい、ど~ぞ!」
熱々ポップコーンが盛られたお皿をテーブルに載せると、皆は大喜び。
「ワ~ォ、ポップコーン!」
「キヨミ、ありがとう!」
「俺達を過保護しすぎじゃないか~?!」
この日、外のテーブルで気持ちよさそうに午後を過ごすのは、パトリッツィオと彼の友達ピーノ、そしてガブリエーレです。
ピーノがポップコーンを口に頬張るやいなや、
携帯が鳴りました。
「もしもし・・・・・お~!元気か?・・・・
俺? 今、パトリッツィオのとこ。
ガブリエーレのギターで歌って、キヨミがポップコーン作ってくれて、友達とワイン飲みながら過ごしているのさ!これで分かるだろう?
俺がどんなに元気かってことが!・・・・」
そんな彼らの隣テーブルに座って車の教本と睨めっこしているダリオ。
お皿に手の届かぬ距離にいるキヨミさんを気遣い、
ポップコーンのお皿をもって、キヨミさんの席までやってきました。
「ありがとう、ダリオ。私は作っている最中に沢山つまみ食いしたからいいの。皆で食べて頂戴」
(こんな時、ポップコーンが喜ばれるかな?)
と友達の喜ぶ姿を想像すること。
ささやかな行為に、感謝されること。
(キヨミがポップコーンに手が届かないんじゃないか?)
と気付かぬところで誰かが自分を思ってくれること・・・・・
なんて豊かな時間を過ごしているんだろう!
昔、仕事の関係でご一緒させていただいた方は、
自分の自慢と他者の批判をよく口にしていました。
この方と高級レストランで食事をしましたが、
折角の美味しい料理に感動する気持ちが失せ、
ストレスで満たされた胃は、心の消化不良を起こします。
お金がかかっているのに、豊かさが感じられない空間がある。
しかし、ポップコーン一つで豊かさを感じられる空間もある。
相手の職業、肩書き、身につけているブランド品、容姿、生活環境などなど・・・
目に映るものや社会的評価を取り除き、
目に見えない「心の交流」に注意しながら今を感じてみる。
すると、庶民的で、誰でも頬張ることのできる豊かさが、意外にも身の回りに存在しているのです!
棚の隅に忘れられているポップコーン。
地味ですが、それがはじけると、美味しさが味わえます!
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