あの頃
今日は
愛猫のティティです。
Kiyomiさんのお母さんは、定年退職後も家に留まらず、
好奇心のアンテナが向くままに生活を謳歌しています。
毎週2日、銀座教会で行われる講習に通っていますが、宿題に、以下のような作文を提出しました。
「わが恵み、汝に足れり」63期生大多和美恵子
長女の聖美が顔面神経痛に罹ったのは、
桜美林短大の一年生の2月でした。
初めは、軽い風邪くらいに思っていたのが、
歯が腫れ歯科医に行くと、耳鼻科へと紹介されました。
教会員に耳鼻科の医師がおられ、
これは「ベル麻痺」つまり顔面神経痛との事。
東大病院に紹介状を書いて頂きました。
6時間に及ぶ手術の後、1カ月経っても顔は別人の様にゆがみ、当時映画に出て来る「エレファントマン」そのもの。
入院中医師から、大学に保存したいので写真を撮らせて欲しいとの依頼がありました。そして「お子さんの場合、太い針を顔に突き刺しても反応がありません。完全麻痺です。残念ですがこのままの状態が続きます。」と。
当時私は教文館に勤務しており、
退院した聖美が学校帰りにちょくちょく寄りました。
すれ違ったお客様はびっくりした様子で振り返ります。
でも、神様がしっかりと、子供に寄り添っていて下さいました。
泣き言一つ言わずに明るく振舞っています。
そして、「世の中には私よりももっと大きな病気で苦しんでいる人がいるのに」とも。
人前に出る仕事には就くことが出来ないのでと様々に考えていたようです。
4月になり学校が始まってすぐに、
学校のベンチでぽつんと座っている子供の側に宗教主任の高垣岬先生が声を掛けて下さいました。
「その顔を僕が治してあげるから、明日からお昼の休み時間にいらっしゃい」
先生は「牧師のぼくが催眠術なんて、おかしいのだけれど、東洋医学を学んでね」と言われました。それからは、見る見る間に治っていきました。神様が高垣先生と出会わせて下さいました。
あれから、20年以上の年月が過ぎました。
図り知ることの無い恵みの中に生かされ続けております。罪深い私をこうまでして許し、愛して下さるお方、ただ感謝の祈りを捧げるのみです。有難うございます。
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当時、同じ病室の女性達がとても明るく、
病室で一番若かったkiyomiさんにとても親切にしてくれたこと、
そして、銀座にあるMデパートの食品売り場で、
販売員の女性が、kiyomiさんの顔を見た途端に、驚きを隠しきれず、ハッと息を呑み、動揺していましたが、その後、「パリの朝市」 というレストランに一人で入ったとき、ホール担当の年配の男性が、穏やかに優しく、普通に対応してくれたこと、その嬉しさは今でも忘れることが出来ません。
社会人になる手前、
19歳の頃、〈普通に扱われることの嬉しさ〉を勉強しました。
あれから23年目を迎えようとしています。
仕事暦が長くなる一方、
仕事が出来る・出来ない、という視点でいかに、他人を図ってしまいやすくなったか?
そんなkiyomiさんにちょっとした警告を投げかけてくれる、母の作文でした。
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