過保護体質
今日は
ティティです。
猫の家では、昨日に引き続き、
今日も小さな猫ちゃんが息を引き取ろうとしています。
「お~、可哀想に、可愛そうに、何とかしなくちゃ、何とか・・・」
泣きじゃくるカルラ。
そんな彼女に対して、マリアアンジェラはいつものように強い意志をもって説教を始めます。
「カルラ、あなたもご存知のように、この子の母猫は病気だったのよ。生まれた時からの宿命なの。
もし、治療して回復に向うようだったら、
他の猫同様に手術でも何でもするけど、駄目なのよ。
もし、あと1日、もう1日と命を延ばしたからって、
この猫ちゃん、その分をより苦しんで、あの世に行くことになるのよ。
あなたに何の権利があるわけ?
この猫の苦しむ時間を引き伸ばすなんて・・・・
仏教的に言うとね、3時間早く旅立ったら、3時間早く、生まれ変わるかもしれないじゃない」
「グスン・・・グスン・・・昨日の猫ちゃんも可哀想に・・
私が抱っこしてあげたら最後にあんな鳴き声あげて・・」
「あなた、可哀想だからって、猫を檻から取り出して、そんな勝手なことしないで頂戴。
私達は大人なの。
こういう光景に耐えられないようだったら、ボランティアは出来ないのよ。他所に行って頂戴。
それに言っちゃなんだけどね、仏教的に言うと、あなた、心の奥底に何かとても苦悩を抱えているみたい。
科学的な根拠なんて全くない私のお喋りだと思って聞いて欲しいんだけど、あなたの体内に潜むネガティブな空気が、不幸まで運んでくるような気がしてならないわ!」
イタリア人でありながら仏教徒のマリアアンジェラ。
Kiyomiさんへの初めての質問は、
「あなたの宗教、何?」でした。
「キリスト教よ。プロテスタント系」 と応えると、
「あ~残念!仏教の話が出来ると思ったのに!」
と大げさなジェスチャーで感情を表現する彼女。
イタリア人がジェスチャーを加えながら表情豊かに話すのは知られていますが、彼女のそれは、イタリア人の中でもハイレベル。
まるで舞台のお芝居のようです。
声のボリュームも、抑揚も、表情もジェスチャーも、まるで100メートル先の人間に伝えるかのように大きいのは、彼女が学校の先生だからかもしれません。
そんな大柄のマリアアンジェラからコテンパンに説教を喰らっても、カルラは猫のことで頭が一杯です。
「ところで、キッカは引き取り手が見つかったのかしら?」
~あなたの体内に潜むネガティブな空気が、不幸まで運んでくる~、とまで言われておきながら、そんな台詞は聞き流しているのか?あまりピンとこないのか?涙目で彼女に話しかけるカルラ。
「あら、こんな時間!私、もう帰るわ!またね」
とkiyomiさんは猫の家を去りますが、入り口の門で振り返ると、マリアアンジェラとカルラは二人でキッカの小屋を整えています。
Kiyomiさんは、今まで両親に可愛がられ、
パトリッツィオや友達、日本のお客様からも良くされ、
柔らかい人間付き合いに慣れきっていました。
それに加え、消費大国日本での過剰サービスによるソフトな対応になれ、些細な言葉にも傷つく体質になっていました。
「あのテーブルの女性客、アジア人の私を軽蔑してるみたい」
「傷ついた、こんなこと言われた、誰もわかってくれない・・・」
このボランティアに参加するようになり、
イタリアの社会では皆、自分の思いを言ったり、
相手の思いを嫌でも聞かされたり・・・
しかし、平然とした態度でその場に共存する、
という光景を目にします。
それは、この場に競争原理がなく、
自分が有利に立つために、相手を扱き下ろす、
という相手への敵対心がないからでしょうか?
指に小さな棘が刺さったことを、泣きわめいている時、ふと、隣では、指に深い傷を刻み血を流しているけど、平然としている人がいる。
そんなことを知った途端に、小さな棘ごときで泣いている気分が白けて飛んでいくように
日常で飛び交う一言に落ちこんでいる自分が幼稚に思える今日この頃です。
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