週末婚
今日は
ティティです。
「今読んでいる日本の小説、ちょっと陰険なのよ」
kiyomiさんはパトリッツィオに不満を漏らします。
小説には、容姿端麗、頭脳明晰な姉と
地味で何のとりえもない妹が登場します。
社会人になると、二人の立場は逆転し、日陰的存在の妹が仕事の成功を通じて世の中から脚光を浴び、
本来、したたかに男遊びを繰り返した姉は結婚生活と妹の出世に不満を抱く、という話。
「その時、私は姉に勝ったと思った」とか、
「私は負けた、と思った」という表現が多く、
勝負をかけるために見栄を張る心理的な描写ばかり。
結婚することによってアイデンティティが失われ、刺激が薄らぐ凡庸な夫婦生活を避けるため、妹は週末だけ旦那と暮らす、という提案を立て、それを実行し、そして離婚に至ります。
(まるで、嫌いな玉ねぎをお皿の端に寄せて
美味しいところだけをつついて食べる子供の食べ方みたいな人生ね)
理論的には納得いかない話の筋ですが、実際、kiyiomiさんの周りを見渡してみると、10年以上、恋人の関係を維持しながら生き生きしている友達が結構いるのです。
平日はプライベートな生活を守りつつ、休日は一緒に過ごす。
10年以上の付き合いゆえに、お互いの家族も知り合い、困ったときには助け合うプチ夫婦のような彼ら。
ランチ時、大きなリュックをしょった物売りのアフリカ人がアクアボッラにやってきました。
「悪いけど、この前はライターをまとめて買ったし、猫柄のカーペットも買ったでしょ、今日は何も買うもの無いわよ」とkiyomiさんがピシッと一言述べ、パニーノを手渡します。
「ここイタリアで生活をするって、決めたの?」とkiyomiさん。
「とんでもない。ナイジェリアに帰って結婚するんだ。
そのための資金稼ぎさ。第一、イタリアは遅れている。
皆、英語をしゃべれない!」
すると、ピーノが横から口を出します。
「結婚するために稼ぐなんて、古いぞ!俺らなんか、慰謝料払うために働いてるんだ。先を入ってるだろ!」
イタリアの法律では、浮気や暴力、妻を見放すようなことが原因で離婚に至る場合、男性は元妻の生活を一生保護し続けるため、送金し続ける義務があります。
中には、結婚してまもなく、夫の欠点を洗い出し、慰謝料で気ままな生活を送る女性も少なくありません。
精神の自由を求めるイタリア人、そんな優柔な意見にカッカする真面目なナイジェリア人、どっちの意見も分かる中立的なkiyomiさん。
40度近く温度が上昇してますが、アクアボッラの屋外席では、会話が渇くことはありません。
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