皆さん今日は
ティティです。
億劫に感じながらも携帯に手を伸ばすkiyomiさん。
着信は予想通りパトリッツィオからです。
「kiyomi、用意できた?」
突然のパトリッツィオの迎えに困惑するkiyomiさん。
「後からゆっくり歩いて行くから、先行ってて頂戴」
「今、kiyomiのアパートの下にいるんだよ」
「でも、まだパジャマなの。何も用意してないのよ。
時間かかるから先にいってて頂戴」
「いや、待ってるぞ!10分あれば準備できるだろ」
〈あの人が勝手に来たんだもの。関係ないわ〉
ゆっくりとトイレを済ませ、鈍い動作で準備をしていると
痺れを切らしたパトリッツィオがドアをノックします。
「ごめんね。何も湧いてこないのよ。
つい先日までは、桃君のことを思い出すたびに涙があふれてきたけど、その涙もなくなったら、気持ちが空っぽで、何も行動したくないの・・・・」
「そうだろうよ。しょうがないよ」
穏やかにそう答え、新聞に目を通しながらゆっくりkiyomiさんの仕度を待ちます。
「ふ~、今日も寒いわね~!」
「うん・・・心が寒~い・・・グスン、グスン」 と泣きじゃくる真似をして、両目でギュッとウインク。
相手を見つめてから両目を閉じるウインクは、
「あなた、大好き」という猫の愛情表現。
猫の真似をするパトリッツィオにクスッと笑うだけで心に晴れ間を感じます。
雪山の遭難シーンで、
「ここで眠るなー」と声を張り上げて隊員を励ますリーダーのように、
「ここで殻にこもるなー」と適度にユーモアを投げかけ、塞がろうとする心に刺激を与えてくれるパトリッツィオ。
今回、寂しい思いをしたkiyomiさんは日本の皆様に温かく慰められ、現地でも周囲の方から声をかけてもらいました。
これが元気に戻れる処方箋。
心が塞ぎこんでしまい、何もかも無意味に思える。そして鬱状態にスーッと入り込むことを防ぐのは、遠くから届く思いやりと日常生活でかけられる声。
毎日顔を合わせるコンビ二の定員ですら、お客様と視線を合わせない。
マンションのエレベータで一緒になった方に挨拶はするが、それは社交辞令であって視線を交わさない。
賑わう商店街で交わされた威勢のよい声が消え、学校の先生の威厳のある声が弱まり、校庭で野球やドッチボールをする子供の声が消え・・・
社会の中で自分に真直ぐ向けられた声が消えていくかわりに、コンピュータのカチャkチャという無機質な音が鳴り響く。
そんな音を聞いて育つ子供たちが開発するロボットに、私たちはやがて介護されていくのでしょうか?
繊細な心を持ち、思いやりのある日本人。
その私たちが、社会で互いに声を掛け合うことにより、皆の心が自然に刺激され、日本の鬱病患者の数は減っていくのではないでしょうか?
相手に向って声をかける。
誰でも、いつでも出来る心の準備体操です。