好奇心の芽

「ただいま~」

母が、清々しい顔で朝の散歩から戻って来た。

「おかえりなさい、お母さん。
 今日は、何色のお友達に会ったの?」

「今日はね~、茶色のお友達がいました。
 でも、触らせてくれなかったけどね」

母は、1.5km離れた手賀沼まで行って戻ってくる。

道すがら、散歩している犬が尻尾を振って母を見つめ、飼い主さんが立ち止まってくれたら、撫でてあげ、
手賀沼に着くと、ベンチに座り、暫く人間ウォッチングを楽しんでから、家に戻ってくる。

そして私たちは、朝食につく。

今日は、納豆に大葉と生姜とネギを加え、
そこへ酢と醤油を入れてみた。

焼き魚はいつもの鮭。

お味噌汁の具はキャベツ。

そして、1枚だけ残っていたハムとキャベツでコールスローサラダを作った。

この時期のキャベツは安いから丸ごと買うけど、
なかなが減らないので、強制的にテーブルに並べる事になる。

「いただきます」

「ん~、美味しいね~」

私は食べ始めに夢中になったが、母はどこか遠くを眺めるように、
余韻に浸っている。

「それにしても、昨日は楽しかったね~
 我孫子市民の歌。
 あの歌、作曲したの、誰だったかな~?
 有名な人が作曲したんだよ・・・・」

母にとっての朝食のおかずは、我孫子市民の歌だ。

「誰だったっけな~、
 あの歌、書いた人・・・
 有名な人なんだよ・・・
 今日、図書館に行って聞いてみたら、誰か、分かるかな?」

「そうだね。図書館に行って、聞いてみようか?」

我孫子市民の歌を作曲した人は誰か?
そんなこと、ネットで調べればすぐに分かる。

でも私は、あえて黙っていた。

昨日、母と私は、我孫子市民プラザで行われたイベントに参加した。

それは、我孫子の歴史を語る会で、
スライドに映る数々の風景を通じて、
街の歴史を学ぶ事が出来る。

イベントは、我孫子を時空を超えて巡るバス旅行、というスタイルで、運転手とバスガイドさんが分かりやすく、時には冗談を織り込みながら、親しみやすく解説してくれる。

100年前に遡ってみたり、初日の出を見にいったり、
イベントには地元の合唱団も参加して、
春のシーンでは春の歌を、花火のシーンでは花火の歌を聞かせてくれた。

そんな会の締めくくりは、我孫子市民の歌だった。

私は、その時はじめて、我孫子市民の歌がある事を知ったが、
母は既にその歌を知っていて、一緒に口ずさんでいた。

約200席ある会場は満席。

前売り券が1000円。当日券は1200円。

来ているのは全員といってよいほど、65歳以上の高齢者だった。

物価があがり、年金生活者にとって1000円という金額は決して軽くない。

(無料にしたら人が来るかな?)

(300円なら?
 600円!・・・
 1000円に設定してしまったら人は来るのだるか?)

そんな憶測もよぎった事だろう。

しかし、1000円、1200円を支払ってまでもこのイベントを心待ちにしている人が、これほどまで多い事に驚き、また、会が終わって席を立つ人の生き生きした表情を見て、「凄いな」と感じた。

朝食を終えると、母はいつものようにソファーに着き、
私は、自分の部屋に戻った。

するとすぐに「きよさ~ん・・・」と母の声。

「分かった、分かった!小椋佳だった」

母はスマホで我孫子市民の歌の作曲家を検索し、
小椋佳だった事を思い出して、すっきりしている。

そして、ユーチューブで我孫子市民の歌を検索し、一緒に歌ってる。

昨日のイベントを通じて、母の心に咲いた好奇心のパッション。

「この歌、いいな~
 誰が作曲したんだっけな~?」

「知りたいな~」

もし、私がさささっと検索してしまったら、
それは、花屋で買った切り花のように、短く咲いてお終い。

でも、母が好奇心の種を、自分の力で育てた結果は、
地に咲く花のように、長い時間、その話題を愛でる事ができ、
そしてまた、次の花も咲きやすくなる。

「もう年なんだから、一人暮らしは不安でしょうがない」

「もし、携帯が壊れたらどうしよう」

「もし、歩けなくなったらどうしよう」・・・

と、今、降りかかっていない不安を口に出してしまう時も多々あるが、

82歳の母に、「知りたい」という小さなパッションが宿り、
それを探索して、喜びを咲かせている母を見て、私にまで幸せが香ってくる。

今、母が私に話かける

「きよさん、何時頃、行く?」

「そうだな~、あと15分したら行こうか?」

母が私と一緒に図書館に行きたがっているので、
この変でブログを閉じますね。

皆様、穏やかな週末をお過ごしください!

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2026年5月16日 (土)

私だけの時間がやってきた・・・

今日も22時がやってきた。
左の手首に、ほんの少しだけ香水をつけて、
窓を開け、夜風を部屋に流し込んで、
こんな音楽と一緒に過ごしてます・・・・

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2026年5月15日 (金)

人と小銭の響きがある日常より

日本滞在中は、歯医者、皮膚科、産婦人科、耳鼻科と、病院巡りのツアーをする。

今日は皮膚科。

診察を終え、
処方された薬を貰いに、
薬局へ行き、順番を待った。

言うまでもなく、
待合室は、高齢者が占めている。

「斎藤さま~、斎藤さま、いらっしゃいますか~」

柔らかな声が室内に広がる。

「斎藤さま~、斎藤さま~」

それでも、誰も立ち上がらない。

受付の女性がすっと席を離れ、
薬剤師のそばへ寄り 耳元で囁いた。

「あの、緑のマスクの女性です」

呼びかける女性は、今度はお腹に力を込め、

「斎藤さま~」と、緑のマスクの女性に向かって声を放った。

斎藤さまは、「あっ、ごめんね~」と言ってゆっくりと席を立ち、カウンターに着いた。

それからの斎藤様と薬剤師の声は
待合室で待っている私たちに全て筒抜けとなり、
斎藤様がどのような症状で悩んでいるのか?
この薬はどのように処方すればいいのか、
全て、把握してしまった。

続いて、別の薬剤師が男性の名前を呼んでいる。

この部屋には、男性はただ一人。

私の隣に座るその人しかいないので、
「呼ばれてますよ」と伝えると、
男性は、体をのけ反らせて
「おっ、そうですか、すみません」
といって、慌ててカウンターに向かった。

この男性と薬剤師の声も、筒抜けだ。

「お体の調子はいかがですか?」と問われ、
「いや~、それが・・・大変なんですわ・・・」
と少し照れくさそうに答えている。

そして、「私も85歳になりましてね・・・ 」
と、ゆっくり身の上話を語っている。

そんな男性に向き合う女性は、
「そうですか~。そうですか~」と
男性を急かす事なく、耳を傾けている。

その間、別の薬剤師がソファーで待つ私の所にやってきた。

「すみません、お待たせしてしまって。
 カウンターが埋まっているものですから。
 こちらで、お薬をお渡しさせていただきますね」

なんて気の利く薬局なのだろう。

誰もが、静かに優しい。

日本に帰省する前、シエナの骨董市で食器を売っていたイタリア人男性の言葉を思い出した。

「昔、日本に旅行して日本が気に入りましたよ。
 見どころとか、食べ物とか、
 それだけじゃないんですよね。
 何というか・・・日本人の在り方、
 日本人に触れることに感動してしまうんですよ・・・」

ふと思う。

もし、全ての窓口が機械化されちゃったら、
人の声や、ちょっとしたエピソードに触れることもできなくなるな~、と。

薬局で待つ間、
高齢者が財布から小銭を取り出そうとしている時の、
チャラチャラと鳴る音に、
心地よさを感じた今日この頃です。

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シチリアへのお誘い

円安が更に加速し、イタリアへの旅行が遠く感じられてしまう今日この頃、音楽を通じて、日常生活でイタリアを感じませんか?

以前、何度かナポリ音楽に触れましたが、
今日はシチリアです。

ナポリをイメージする音楽といえば・・・・

それは、ナポリ出身者によって書かれ、
ナポリ出身の歌手に歌われ、
ナポリ市民の愛唱歌とされるものが多かったのに比べ、

シチリアをテーマとした音楽を連想してみたら、
それらはシチリア人以外によって書かれた曲が目立つ事に気付きました。

きっと、皆さまにもなじみのある曲が多いことでしょう!

■シチリアを舞台とした映画より
映画『ゴッドファーザー』より 
Nino Rota作曲「愛のテーマ Parla più piano」

 

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』より
Ennio Morricone作曲「Cinema Paradiso」

 

■シチリアを舞台としたオペラより
Mascagni作曲
Cavalleria Rusticana(カヴァレリア・ルスティカーナ)》


■シチリアが生んだ偉大な作曲家Vincenzo Belliniより3

Vaga luna, che inargenti
夜空に輝く月に、遠く離れた恋人への想いを語りかけるロマンチックな歌曲


・Malinconia, Ninfa gentile
「憂鬱」を擬人化し、それを自らの魂の伴侶として受け入れる、ロマン主義的な感性が現れた作品


・Per pietà, bell'idol mio
「どうか私を苦しめないでほしい」と愛する人に懇願する、切実な恋の歌。


■シチリア風様式(シチリアーナ)

バッハの時代は「シチリア」とは単なる地理ではなく、
音楽様式(シチリアーナ)として表現されていました。
その特徴はゆったりと揺れるようなリズム。
どこか懐かしく、哀愁がある旋律が魅力です。

Johann Sebastian Bach
フルート・ソナタ 変ホ長調 BWV 1031 2楽章:Siciliana


Gabriel Fauré
Sicilienne op. 78


Ottorino Respighi
《リュートのための古風な舞曲とアリア》第3組曲よりSiciliana

 

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2026年5月14日 (木)

シエナで見れるミューズとサッフォー

私は官能的なものを愛する。
私にとって、これと 太陽への愛は、
輝きと美しさを分かち合っている。

――――
山々の風が 樫の木を襲うように、
愛が私の胸を揺さぶった。

――――
山に咲くヒヤシンスが、
羊飼いに踏みにじられてしまうように。
地に落ちてもなお、 紫の花。

――――
死は悪である。
神々がそう考えている。
そうでなければ、神々も死ぬはずだから

――これらの詩は、2600年以上も前に、
女流詩人サッフォー(Sappho)によって書かれたもの。

ギリシャ東部のエーゲ海に浮かぶレスボス島で、彼女は竪琴(リラ)に合わせて詩を詠む、いわばシンガーソングライターだった。

愛や美、嫉妬や切なさの感情を豊かに表現し、とくに女性への愛情を詠んだことから、女性同性愛の象徴的存在とされ、彼女の住むレスボス島にちなんで、「レズビアン」という言葉が生まれたらしい。

そんな彼女が中心に描かれている作品、
「キージのミューズ(Chigi Muses)」

私は、シエナ国立考古学博物館(サンタ・マリア・デッラ・スカーラ内)にあるこの大理石の浮彫が大好きで、何度も見にいく。

13人の登場人物の中には、サッフォーの他に、
文芸・音楽・学術を司る9人の女神「ミューズ」と、優雅に立つアポロン、椅子に座るホメロスが描かれている。

サッフォーは人間だったが、彼女の持つ才能が非常に特別だったため、神に近いレベル「10番目のミューズ」と称えられていた。

彼女の膝には巻物があり、
手には楽器を持ち、芸術の融合を象徴している。

竪琴(リラ)やリュラを持つ抒情詩を司るエラト、
楽・賛歌を司るテルプシコラ、ポリュムニア、
巻物(パピルス)を持つ歴史を司るクレイオ、
叙事詩を司るカリオペ、
笛(アウロス)を持つ吹奏楽を司るエウテルペ、
芸術の守護神であるアポロン、
古代ギリシャ最大の詩人ホメロス、
そして椅子に座り、膝の上に書物(パピルスの巻物)を広げ、手に楽器を持つサッフォー。

文化・芸術を司る彼らのお喋りが聞こえてきそうな作品。

石でありながら、
なんて、優雅で穏やかな情景なんだろう・・・・

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2026年5月12日 (火)

私の正しさより、相手の共感

私が家で一人で食事をする分には
冷凍庫に保存してある豆やレバーを温めたり、
キャベツに御酢とオリーブオイルをかけて食べたりと、いたってシンプルに済ませてしまう。

でも、母やマッシモと一緒に食事をする時、
(誰かの為)となると、
メニューを考えてしっかりと作ったりする。

そんなわけで、
私が帰省して10日も経つと、
母のお腹にじわじわと肉が付き始め、
ズボンがお腹を締め付けるようになってきた。

「きよさん、ズボンを買いに行きたいな~
やっぱり、ゴムが楽でいいね。
我孫子高校の近くに、
服を売ってるところがあるのよ」

さっそく私たちは、その婦人服売り場に行った。

「これ、いいんじゃないかな」

私は母に似合いそうなズボンを探し、
ハンガーごと腕にかけていく。

すると母が寄ってきて
「きよさん、この服、どうかな?」
と尋ねた。

それはズボンではなく、
春夏用の、ニットだった。

私の好みとは少し違う柄と色だったけど
「あっ!いいじゃない、それ!
いいの見つけたね。買おう、買おう!」
と返事をし、また、母のズボンを探しに戻った。

ブラウスの柄が映えるオフホワイト、
裾に余裕のあるネイビー、
真夏でもサラサラと履き心地がよさそうな軽い生地・・・

そうして、そろそろ試着をしようかという頃、母の目に、サーモンピンクと若草色の2本のズボンがとまった。

結局、母が選んだその2本と、
私が選んだ中から2本、
そして最初に母が見つけたニットを選んで、会計を済ませた。

翌日、母は出かける前に
サーモンピンクのズボンを履き、

「きよさん、このズボンには、どれが合うかな?」

と聞いてきたので、クローゼットから、落ち着いたピンク系の花柄のニットを選んだ。

花を愛でるように、
と言っては大袈裟だが、
明るい色をまとった母の姿に、
小さな幸せを感じた。

こうして母は
「何を選べばいいかな?」
と聞いてくる時もあれば、
「きよさん、これ、どうかな?」
と既に服を着こんでから聞いてくる事もある。

その時は「あらっ、いいじゃない。とてもいい組み合わせだね!」と答える。

母の「どうかな?」の中には、
「これでいいよね」と、
誰かにそっと背中を押してほしい気持ちがある。

だから私は
(このズボンだったら、あのブラウスが似合うんだけどな~)と内心で思ったとしても、「うん。それでいいよ」と肯定する。

母が求めているのは、
正しさではなく、共感なのだ。

もしも私が、

その組み合わせは、ちょっと変だな(私の感覚からして)

それじゃなくて、こっちの服の方がいいんじゃない(私としては)

(私が選ぶ)こっちの方が合ってるよ・・・

そんなふうに、“私”ばかりを前に出してしまったら、相手の為を思っていたとしても、私の価値観の押し付けになってしまう。

大切なのは、母が「分かち合っている」と感じて、安心して穏やかにいられること。

それは、母の日に豪華なカーネーションを贈るよりも、日常の何気ない場面で、小さくても沢山、咲いてくれる方がいい。

私の考える「きちんと」よりも、
相手が共感で、小さな希望や歓びを感じられることの方が、ずっと大切だ。

買い物に行った日から、
母は新しいズボンを交互に履いている。

外出しない日でも、
上下のコーディネートを考えて、
ほんの少しのお洒落感覚を楽しんでいる。

そんな母の姿をみていると
こちらまで嬉しくなる今日この頃です。

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2026年5月10日 (日)

今日の我孫子のお宝歴史探し - 水戸街道を求めて

「お母さん、行ってきま~す!」

「行ってらっしゃ~い。
きよさん、楽しんできてね~♪」

母の明るい声に見送られ、
まだまだ十分に明るい午後の5時頃、
今日もまた、ここ我孫子の街に隠れた歴史探しへ出かけた。

今日見つけたいお宝は、石碑。

そこには、「水戸街道」と書かれているはず。

その石碑がある場所を母から聞いたときは、何となく分かった気でいたけど、いざ、その付近に到着してみると見つからない。

あの道、この道と歩き回り、
一度通った道も、もう一度確かめるように歩いてみるけど、やはり見つからない。

何だか足が疲れてきて、
気がつけば暗くなってきたので、
この日は諦め、翌日、母と一緒に出直す事にした。

ここ我孫子(あびこ)の街が
「水戸街道」上にあったことは書籍に記されている。

でも、そのことをどうしても私の目で確かめてみたい。

なぜ、水戸街道が私の中で盛り上がっているのか?

それは、水戸街道なしには、
この街の歴史を語る事ができないことに加え、「街道」というキーワードから、シエナと我孫子を、私なりの視点で比較する事が出来るからだ。

遡ること、1603年。

徳川家康が関ケ原の戦いに勝利し、将軍になると、江戸幕府(徳川幕府)を開いた。

家康は、各地の大名が力を蓄え、
江戸に攻め入ることを防ぐため、
大名が定期的に江戸を訪れる
「参勤交代」という仕組みを作った。

地方からくる大名の行列は、
その規模によって人数もさまざまだが、
移動費や滞在費には膨大な出費と体力が費やされる。

その結果、江戸幕府に反乱を起こす余力を奪う仕組みでもあった。

江戸幕府から約120km離れたところに、水戸がある。

もし、敵が攻めてくるとしたら、水戸を通る可能性が高い。

それゆえに将軍は、水戸に厚い信頼を置ける人物を配置し、防衛の要としての役割を重視した。

水戸街道とは、そんな水戸藩の大名が江戸(現在の東京)を往復するために整備された街道で、後に、この街道は商人や旅人にも使われるようになり、ここ我孫子の街は、宿場町として、宿や店などが並び、栄えていった。

この節を読みながら、
「そうそう!」と心の中で声を弾ませた。

シエナも、イギリスのカンタベリーからローマを繋ぐフランチェージナ街道上にあり、ここで巡礼者は、休憩をとり、両替をしたり、病院で傷を癒したり、貴重品を預けたりと・・・長旅の途中で休憩する大切な拠点とされていた。

そして、巡礼者に留まらず、
商人も使用し、異国から入るモノや情報の交換が行われていた。

フィレンツェ軍が責めてくる事を事前に察知するため、シエナ郊外には、防衛機能を備えた塔も、いくつも配置されている。

さて、我孫子に話を戻すと、
約250年続いた江戸幕府は1868年に幕を閉じ、参勤交代もなくなった。

そして、約10年後には、我孫子駅が誕生し、人は、電車を使って移動するようになり、街の風景や賑わいも変わっていった。

シエナも同じく。

1964年に、ミラノ〜ローマ〜ナポリを結ぶイタリア縦断ルート「太陽の高速」と呼ばれる高速道路が開通し、経済の成長と共に、それまで使われいてたフランチェージナ街道はどこか色褪せていった。

しかし、シエナには、当時の痕跡を残そうという姿勢が、今もなおまだ生き生きと息づいている。

市はフランチェージナ街道の道標を掲げ、
観光案内所ではルートマップを無料配布し、
民間でも、愛好者による説明会が開催され、
その話に触れようと足を運ぶ市民も多い。

今でも、シエナのサンタ・マリア・デッラ・スカーラのフレスコ画をみると、当時の巡礼者の様子を感じ取ることが出来る。

1999年、シエナ大聖堂(ドーモ)の修復作業中には、長い間埋もれていた地下空間が発見され、そこには、13世紀頃の非常に保存状態の良いフレスコ画が現れて大きな話題になったが、そこの壁に切り込まれた手の形をなぞった落書きや楽譜などから、巡礼者たちの休息所だったのではないか?とも推測されている。

シエナが巡礼者を、慈悲と厚いホスピタリティーをもって迎え入れたことが一目瞭然だ。

一方、我孫子の場合はどうかというと???

歩いても歩いても、街道の痕跡を見つける事が出来ないほどに、市も、市民も、この土地の歴史を残していこうという意気込みや活動が感じられない。

残念ではあるが・・・

情報もサービスも容易に手に入れられる時代に、
こうして一つ一つ、
自分で探しながらストーリーを組み立てていくのも、
自分だけの宝探しのようで楽しいな!
と感じる今日この頃です。

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2026年5月 8日 (金)

灯台下暗し - 我孫子への郷土愛

日本に帰省してから2週間が経つ。

シエナと我孫子(あびこ)。

この2つの街を、
ここに暮らす私の日常の視線から比較してみると、それぞれの特徴がより感じられて面白い。

まずは、シエナ。

ユネスコに認定されている旧市街地はもちろんのこと、街から離れた小さな町や村であっても、歴史的建造物が点在し、どこも、広大な丘陵地帯と隣り合っている。

それらの美しい景観は、単なる「環境」ではなく、
人の手によって築かれ、守られてきた「景観」だ。

人間の介入とは、歴史的建造物の維持、
修復、保護であったり、
街中から田園風景まで及ぶ景観法の介入だったりする。

その規制はかなり厳しく施行されていて、
煉瓦の統一、窓枠の色、看板や道案内表示等々、細かく定められている。

そして、一個人の庭にそびえ立つ大木であっても、認定を受けている場合は、勝手に伐採することは出来ない。

こうしたルールのもとに、
街も郊外も美しく調和が保たれ、
エトルリア時代、ローマ時代から現代まで、
何世紀にもわたって受け継がれてきた歴史が今も息づくシエナは、町全体がまるで博物館のようだ。

しかし、生活者の視点からみたらどうだろう?

美しさから豊かさを実感できる一方で、
少なからず犠牲を払わなければならないのも事実だ。

例えば、中世からの建物が今も使われている現状。

階段の角は丸くすり減り、
うっかりと滑ってしまう。

排水管や電気などの工事も難しく、
エレベータやエスカレータを設置するにも特別な調査が必要になるだろう。

石畳の道は高齢者にとって注意が必要で、
街中には、公衆トイレも少ない。

シエナの街は文化と歴史が薫る美しい街だが、生活の機能性という観点から見ると、また違った姿が見えてくる。

それでもなお、人々がこの中世の街並みに暮らし続けているのは、「観光地」という理由以上に、この街への誇りがそうさせているのだと思う。

その誇りは、コントラーダ(地区社会)というコミュニティの存在、住民の厚い理解・協力によって成り立ってるように感じられる。

一方、我孫子はどうだろう?

シエナで見られるような建築様式の美しさや景観の統一性は、正直なところ感じられない。

街は、近代化、工業化、
そして高齢化に対応してきているが、
美意識という点はなおざりにされ、
歴史を物語る景観も目に飛び込んではこない。

しかし、我孫子もストーリーを持つ街だ。

注意をもって歩いてみると、
その痕跡にふと出会えたりする。

今回の日本帰省では、
そんな痕跡を、まるで、宝探しするかのうように寄り道しながら楽しんでいる。

今日みつけたお宝は、家の前にあるマンションの敷地内にひっそりと残る古墳。

目立たない場所だけど、
実はここに1300年以上前の、この地域を治めていた豪族の墓がある。

前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」という、鍵穴のような形をした古墳で、全長は30メートル。

墓の本体は地中にあり、
横から入るトンネル状の部屋になっているが、
現在は崩れないように埋め戻されている。

トンネルの入り口前には、「前庭(ぜんてい)」と呼ばれる広場があり、かつてここで豪族との別れを惜しむ儀式が行われていたとのこと。

そこに並べられていた土器から、
この古墳が7世紀(西暦600年代)であることが分かったらしい。

さて・・・

この地を治めていた豪族は、
どんな人だったんだろう?

その人を中心に、
どのような社会があったのだろう?

そんな歴史に思いを巡らせながら、
私の中に、我孫子への愛の芽生えを感じる今日この頃です!

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いいんじゃないの? たまには

朝起きると体が重い。

「さて、今日がスタート! 
 今日は何をしようかな~♪」

という、いつもの弾むような気分はなく、
思考が止まっている。

リビングに向かうと、
母はすでに起きていて、
いつものように本を読んでいる。

私は、昨夜のお酒を少しでも解毒したくて、
コーヒーをやめ、なんとなく日本茶を選んだ。

「お母さんも、お茶いる?」

「いりませーん。さっき、牛乳飲んだから」

「そう。昨日の夜、私、
 日本酒とウイスキーを飲んだじゃない?
 だから、体が重いんだよね。
 どうして、お酒を飲みだすと、
 どんどん、進んじゃうんだろう?
 お菓子だって、2袋いっきに食べちゃったし・・・
 どうやったら、コントロールできるのかな?」

すると、母の方を向いて、
こんな返事をくれた。

「たまには、いいんじゃないの?
 きよさん、今日、家にいるんだもん。
 トイレだって、いつでも行けるんだし。
 そりゃ~、外出の予定があったら面倒だけどね。
 きよさん、その時は楽しかったんでしょ?
 楽しかったんだったら、それでいいと思うよ。
 そんなキチンとしなくていいよ」

その返事を聞いた途端、心がす~っと軽くなった。

確かに。

私はその時、楽しかった。

母は、昨日、私がお酒を飲んだ事を否定しない。

そして、これから先、
私がお酒を飲むことも否定しない。

だから、私も私自身を否定する必要はないのだ。

お酒を飲んでいる時間は楽しい。

なぜなら、美味しいことに加え、
常に「やるべきことリスト」を次から次へと差し出してくる頭に居座る私が離れてくれて、それに代わって、思考ではなく感覚だけの私が現れてくれるから。

もし私が、誰かから
「昨日、お酒を飲みすぎちゃったのよ」
と言われたら、どう答えるだろう?

きっと、お酒から離れる習慣作りや、
健康がいかに大切か?という情報を探して、
教えてあげようとするだろう。
〈あなたの為を思って〉。

母は私の生活を知っているからこそ、
「楽しかったんでしょ? なら、いいじゃないの!」と言ってくれた。

そして、その言葉は、私の処方箋となった。

人はみな違うし、お酒を飲む状況も様々だ。

だから、一概に、全ての状況には当てはまらないけど、私も〈あなたの為を思って〉、このフレーズを使ってみよう。

「その時、楽しかったんでしょ? 
 なら、いいんじゃないの、たまには!」って。

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2026年5月 7日 (木)

まだ85歳なんです

私は中耳感染を起こしやすいので、
予防の薬を常備している。

その薬は、日本に帰省するたびに、
耳鼻科で処方してもらっている。

大型連休が明けた今日、
その薬をもらうため、病院へ向かった。

総合病院では無料のシャトルバスが運行していて、
私の住むマンションの前も通過してくれるからとても便利だ。

それに乗り、病院に到着したものの、
生憎、今日の午前中は休診だと知り、
別の日に出直す事にした。

病院の外で待機しているシャトルバスに乗り込むと、私に続いて、ショッピングカートを引いた年配の女性が乗り込もうとしていたので、私はさっと入口へ向かい、その女性のカートを車内へ持ち上げた。

すると女性は
「あら、ありがとうございます。本当に助かるわ」
と、私に感謝して席に着いた。

その後、杖をついた女性が乗り込み、
カートの女性の隣に腰掛け、
「足がよたよたしちゃって、歩くのが大変なのよね」と言ったのをきっかけに、二人の会話が始まった。

※以下、カートの女性を(カ)
 杖の女性を(杖)と記します

(カ)
「私は昔から足が悪かったんですけど、
 最近、手まで大変な事になっちゃいましてね。
 ところで、お幾つですか?」

(杖)
「94歳です。
 92歳までスポーツジムに通ってたんですけどね」

(カ)
「94歳! まあ~、どうしたらそんなにお元気でいられるのかしら?秘訣を知りたいわ~!」

(杖)
「おたくは、お幾つなんですか?」

(カ)
「私はまだ、85歳なんです」

(杖)
「あらっ。私が85の頃は、
 一人で旅行に行ってたわ」

(カ)
「まあ、とてもいい人にお目にかかれて嬉しい!
 私は13年間、足のリハビリを受けてるんですけど、回復は諦めて、現状維持を心がけてるんです。でも、何回も転んでるから、歩くのが怖くて・・・」

(杖)
「でも、動かなくちゃダメね。
 歩かないとすぐに固まってしまう。
 私は這ってでも、自分の足で歩こうと決めてるんですよ。あとね、話す事も大事。朝の散歩の途中、庭でバラを手入れしている方を見かけては、『綺麗ですね』と声をかけたり、病院の待合室でも知らない人と一言交わしたり、ちょっとした会話のチャンスをみつけるんですよ」

(カ)
「なるほど。
 私も、もともとは人が好きで、
 お喋りが好きだったんですけど、
 昨年、旦那が亡くなってから、
 すっかり喋る事が少なくなってしまいました」

(杖)
「歩くことと、おしゃべりが大事」

(カ)
「今日はいい人とお話できて良かったわ~」

(杖)
「お互いに頑張りましょう!」

私は、二人の後ろの席で、その会話を聞いていた。

二人とも、我孫子駅で下車するらしい。

本来なら、私のマンションは駅より手間なので、
先に降りるはずだったが、運転席に行き、
「すみません、私も我孫子駅で降ります」と伝えた。

駅に到着すると、
また、女性のカートをバスから降ろし、
軽く挨拶をして、その場を去った。

それにしても、
「私、まだ85歳なんですよ」
という言葉が印象的だ。

駅からマンションに向かう途中、
定年退職を迎えたであろう男性たちが、道を箒ではいている。

70代であろう彼らだが、
まだまだ若い大人のように見えてきた。

そして、私の母の年齢を思いながら、
「あ、まだ、82歳か・・・」

高齢者が多い我孫子で生活を送る中、
そんな風に感じてきた今日この頃です。

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«2026.5.5 動画日記